あらえびすブログ

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今日から、訪問ラッシュの里山志本主義

最近の、僕の体に起きている、大きな変化は、本当に時間がないと差し迫って来ている証のように感じます。

明日からお越しの、宮城の《森と水源地の縄文トラスト新夷》のサポーターさん、Oさんから、とっても素敵な励ましのメールを頂きました。

皆さんが、大きな変化を日々感じとる能力が高まって来ておられ、それによって仕向けられる自分の変革の、覚悟が感じられています。

宮崎駿さんの、36℃への希望と、預金封鎖の可能性という現実が、《風たちぬ》では大きなメッセージとして、あげられております。

誰もが来たなと、感じる頃には、相当の欠落を与えられたあと。

その時までに、新しい社会の仕組みをと、もがいて来た自分ですが、何としても自分の命と引き換えにでも、この仕組みを早急に自可動出来るまでに、仕上げたい。

朝は毎日、仏壇と山神さま、水の神様、宇宙の神様と、感謝の祈りを捧げてから、blogを書きますが、どの神仏からも「急げ」と、言われているように感じます。


僕らの体の内部の状況が、社会を創り、果ては宇宙にまでも全体として、影響を与える。

そして、逆も真成りで、外の世界すべてが僕らの内部身体に影響を与えます。

まさに「入我我入」空海のお言葉です。

右脳は五芒星を感じ、五芒星の目で左目は作用します。

左脳は六芒星で、判断して、六芒星の目で右目は世界を見ています。

達磨の目に、両目を入れるとは、まさにこの現れであります。

即ち左目と右脳が、右目と左脳が、入我我入して、クロスして、松果体の正八面体にエネルギーを与え、上昇下降が同時におきながら、この八面体の内部の《ベクトル平衡体》を回転させる。

よって、五芒星の回転原理で、表面の十二個の五角形を通して、六芒星の現実二十面に結果を抽出させる。

十二個の情報発信装置と十二個の受信局を持ち合わせ、それを二十面の情報の受け皿に転写させる自分を持っていなくては《練円術》は、絵に描いたぼた餅でしかないでしょう。

五臓六腑も五芒星と六芒星

五臓の相関関係による制御装置が崩れ、五芒星の動きが滞り、結果回転増殖エネルギーが止まり、六腑に影響を及ぼす。

その五臓も、結果社会の、地球の、果ては宇宙の変革の影響を受けているのです。

僕らが山をそのような、全体的な思考から切り離し、忘れ去るとは、どうような事でしょうか。

それは、僕のように里山に暮らすとか、登山をするとかとは、大きくかけ離れているモノでしょう。

わかりやすい例で例えるなら、昔の山伏と今の登山とは、全く違う。

山そのものの内部に潜んでいる人達。

土化、岩化して、生きていた人達。

僕から捉えるなら、宮沢賢治も、精神的な山伏でしょうか。


その渦という、五芒星特有の運動を、自分達の暮らしに、見事に日常から取り入れていた、縄文人

どうしても、僕らの都合での縄文認識があるので、昨日からのblogのベースになっている、《宇宙の謎を解く鍵は、聖なるカタチにあった!見えてきたカタチのパワー原理》を書かれた高橋励さんのお言葉を借りるなら、《古代渦文明人》が一番ピッタリくるでしょう。

渦が上昇する為には、軸が必要です。

強い常磁力性の巨大な岩が、出来れば山頂に、出来れば広大な丘に必要です。

高橋励さんの意見と、僕も同じくそのルーツは、チベットカイラス山がピッタリでしょう。

関野さんの新グレートジャーニー日本人の来た道は、まさにカイラスから辿るルートがあります。

ここの黒伏山も巨大な岩山です。

宮沢賢治が心ひかれていた、岩手の山も、岩山です。

これは、僕の直感では、ニビル接近時に巨大な隕石として、大地に食い込んだモノと、捉えています。

その下には、凄い水源が必ずある。

ですから、我々が富士山に郷愁を感じたり、僕なら黒伏山に心を奪われたりは、この五芒星が水のエネルギーと共に、上昇するからでしょう。

分かりやすく言えば、密封された出来れば山型の建物で、水を引きつめ、スノコをその上に引いて座り、真ん中で焼き石をおく。

これこそが、伏流水の創られる仕組みで、この行程を何年も積み重ねて出来上がるのです。

僕がお届けしている黒伏山の伏流水は、地元では、2000年の雪解け水と言われています。

当然クラスターが、今の雪とは、比べ物にならないレベルの結晶でしょう。

北海道のアイヌの村、アシリレラさんに任された、二風谷村の伏流水は、一万年前と、言い伝えられている水です。

水は、その時の情報を持っています。

いったいどのようなブナに吸い上げられ、朝には一度空気中に霧雨にもなり、また冷えて地中に戻る。

その水は一体どのような景色を見ていたのでしょうか?


僕らは山を見て、脊柱を意識します。

それを広場にあえて立てた、巨石。

必ずその下には、大きな隕石の痕跡とそれによって出来た、空洞に蓄えられた水があります。

以前、行った淡路島の神社にあった巨石も、その仕組みを創るために、配置されたモノと感じました。

この霧雨が先程言った、地下水の上昇です。

これこそが、逆からの禊でもあります。

インデイアンのスエットロッジは、まさにそれであり、セドナの岩もまさにそれでしょう。

そこで行われるのは、歌い語らい、ひとつになる。

それは巨石柱が、共同体の構成員全員の、脊柱を統合する道標であり、それを支える大地が腰椎五番を含む骨盤であり、そこを行き来するのが、水の役割であり、僕らのタンデンに意識として蓄えられている、水なのです。

それによって、天と地のエネルギー交流を即して、例えば巨石の神社や、スエットロッジでは、病気をも、天と地のエネルギーで、浄化させていたのでしょう。

汗は発汗して天にも登りますが、同時に地にも落ち染み込みます。

汗を流した気持ちよさは、まさにその水の作用でもあります。



今必要なのは、視点の変換だと、自分に言い聞かせています。

即ち、隕石が落ちてきたのではなく、太陽系が隕石にも逆に接近していっている。

ニビルも接近してきているけれども、太陽系もニビルに近づいて行っている。

乙姫と彦星です。

引かれあっていく。

相似象です。

まさに今我々の貨幣経済が危ういのは、古代渦文明人類が経験した激変と、逆の行程への宇宙規模の時代変革時期の現れでしかない。

気候変動は、宇宙の全体的な調和とも、リンクしています。

よって、古代渦文明人類と同じく、大気中や地中、生物内の水質は、今大きく変化しはじめ、食物連鎖によるエネルギーの流れの変化等に調和するため、宇宙からの四次元からのエネルギーと交流することが必要になりだした現れが、UFOや、シリウス、スピリチュアル、ヒーラーブームに大衆の無意識が火をつけたのでしょう。

一昔前なら、ヒーロー宗教家が、大衆による信者によって、つくりだされたのでしょうが、今はカリスマなくして、ここを越える時代ですから、民の一人一人の決断が決めてになるという、難しさを秘めています。

そのためには縄文、又は古代渦文明人類の、巨石と大地の関係、それに流れる水こそを、ヒーローにして、宇宙が創る人知を越えた、仕組みの素晴らしさに感動して感謝して生きる方向性への変化の時期に入ったと感じているのです。

それが里山志本主義プロジェクトであり、我々はそこの森と水源地のトラストから生み出される、贈り物を人々に気付いて頂く仕組み作りが、仕事なのでしょう。

今こそ大衆が聖者羨望から卒業して、聖なるモノを自然界の仕組みに自ら見いだす時が来たのではないでしょうか。

宮沢賢治や、モリス、行基空海、はたまた、ダ・ビンチやピカソ、バッハやベートーベンそしてモーツアルトエジソン等に、三次元の中でそれぞれがメタファー思考で生み出す、アーテイスト経済科学者として、生き始める時代が到来して来はじめたと、感じています。

それは柳田邦男さんが仰る、名も無き偉人の集合体としての、地球人への進化なのでしょう。

名もない日常の山に、巨石を見る目を養うこと。

そして、都会では、もう一度人工的な巨石を中央に配置すること。

東京ならば、皇居を、オープンに解放して、そこに巨石、湧き水を配置し直し、都民に解放する。

皇居バザール構想が必要だと、僕は感じます。

日曜日、巨石を中央に、市が開かれている。

それこそが、定着した、アースデイの形だと、想っています。

僕らの人類の男根と、女陰のはじめは、父性的な象徴である彗星の衝突からくる破壊と創造、そして母性的な象徴である彗星の衝突を受け入れ、様々な命と豊穣を生み出す大地だったのです。

当然、父性的な象徴が一神教を僕らに創造させ、母性的な象徴が多神教を創造させた。

どちらも必要です。

目線が父性的な創造からだと、例えばニビルは、破壊としか捉えられない。

同じく母性的な創造からだと、女体としての太陽系も、彗星に恋をして近づいていってます。

つまり相思相愛。

僕らが彗星の接近を、乙姫と彦星と捉え、母にのっている我々も、宇宙の子供たちとして、単身赴任から帰る父と、ソロソロ帰る頃とワクワクしながら、迎えに飛行場まで出かける、ラブラブな親と捉え応援する、お母さんが優しいお母さんに戻るよと副産物を期待する子供になると、今回のニビル接近の結果は大きく変わると思います。

それを陰謀やら、破壊しか見ていないと、結果は、又々同じ繰り返し。

本当の相思相愛の男女は、美しい36℃の二本の螺旋で絡み合っています。

今回の変革は、僕らにヤット愛の形をも、植え付けるチャンスです。

DNAの形はまさに愛の形であり、脊柱は愛が巻き付く新しい人類のトーテムであり、その巨石を支える大地は愛の実践場であります。

きっとラブラブな男女の有する畑は、仲たがいしている男女の有する畑とは、全く違うエネルギーを、トーラスで放出しているはず。

アートテンテクノロジーの高橋先生が仰るように、自然界は、わらしべ長者を知っているという事が、科学される時代がくるのでしょう。

保江先生が仰るように、愛なのです。

もうソロソロ、ハリウッド映画も未知との遭遇やETのような、愛の溢れる世界へ向けての、終末作品を沢山上映して行く時期だと思います。

伏流水は、愛そのもの。

そして錬金術は、愛の証に昇華させる時なのです。

独覚の時代は終わります。

高橋励さんが仰るように、我々が現実に日々関わる全ての事を、意味あるものとして捉え、その中の六芒星の要素を明確にしながら、五芒星の要素を模索する。

それは新たな価値観の創造であり、調和の営みとなるはずであります。

ドイツでは、いち早くコンクリートの護岸工事をやめ、コンクリートを取り払い、水草を増やし、水に渦を戻した。

流転の水です。

自然や芸術の美や調和に感応出来る能力を個々に持っていることが、生きていく上でのあらゆる場面での不調和を敏感にキャッチして、世界を調和の方向に持っていこうとする能力に仕上がっていきます。

一人一人が、愛の調和のスタンスにたち、有機的にオフラインで繋がって連帯しながら、オンラインネットを活用出来たときに、ここにいながら世界と繋がることが出来るのではないでしょうか。

それが新しい聖なるモノへの道だと、確信しています。

























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