宮崎駿のサイン36℃
五芒星の中の星形の角度は、36℃。
宮崎駿さんの《風たちぬ》を、岡山の里山に越す娘と、最後の東京でのデートで見ました。
きっと最後の宮崎作品になるであろう予感の中で、気付くものが気づくであろうサインが、主人公の堀越次郎が、美しいという、鯖の骨。
此れが36℃である。
娘の無意識にも引っ掛かったようで、山形にはあったけれども、東京にはない角度と、小学校二年生の娘は、漏らしていました。
岡山の里山では、もう映画等見なくても、楽しいことが一杯あると、そのあとに言っていました。
子供の琴線にも、何処かで捉えている、自然増殖のエネルギー36℃。
この36℃が、流れのきつい水を駆け抜ける、生き物には必須である。
同じく、猛禽類の羽にも、ザトウ鯨のヒレにも。
此れは、薔薇の五枚の花弁と同じく、宇宙エネルギーの五芒星が、大地、海という、三次元六芒星のなかに現した、最高の秩序であり、慈悲です。
行基が、慈恩寺と命名したお寺の名前にの、この《慈》が含まれている。
慈 【ジ】とは、
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デジタル大辞泉の解説
じ 【慈】 [常用漢字] [音]ジ(呉) [訓]いつくしむ
1 いつくしむ。情けをかける。恵み深い。「慈愛・慈雨・慈善・慈悲・慈母/仁慈・大慈」
2 母のこと。「家慈」[名のり]しげ・しげる・ちか・なり・やす・よし[難読]慈姑(くわい)"
世界大百科事典内の慈の言及
【愛】より…際限なく増大してゆく〈欲望〉というのが,仏教の基本的な,愛の見方である。 梵〈プレーマンpreman〉,巴〈ペーマpema〉:〈愛・愛念・慈〉。〈愛情〉のことで,肯定も否定もされうるが,〈他人・衆人を愛すること〉と〈人々に愛されること〉とは,仏教徒としても大事であるとされた。…【慈悲】より…サンスクリットでマイトリーmaitrīあるいはカナーkaruṇāという。慈と悲と区別していう場合は慈がマイトリー,悲がカルナーに相当する。慈は人びとに楽を与えること,悲は人びとの苦を抜いてあげることをいう。
空海の師匠にあたる、行基が《慈悲への恩》という想いを、形にしたのではないか。
即ち我々の三次元でのバランスである、六芒星意識のなかに降りてくる、宇宙の増殖のエネルギー五芒星をタンデンの泉での水(此れを聖水、神水、気功水とよんだ)で転写され、それが頭に閃きとして、螺旋での上昇、サイフォン効果で届く。
この螺旋が、成長ベクトルにおける36℃である。
自然界の生物は、それを見事に生活に、即ち生きることに役立てている。
日本刀の名刀も、36℃の角度を持っている箇所を、見つけることが出来る。
チェンソーの刃の研ぎも、、36℃がベスト。
僕が躍りの回転で着目した骨や二点の位置関係も、実は無意識に体の中の36℃が成り立つ箇所を探していた。
勿論、DNAの形通り、二本の螺旋が脊柱をかけ上がっていくのだが、それと、腰椎や肋骨そして頭蓋骨の関係を導き出せないと、脊柱部分だけでは、うまく回転は出来ない。
同じく、五本の指のベクトルに、母音や、五識を当てはめて、ワークで伝えてきたのも、手が五芒星のエネルギーを掴めるからだ。
しかし、それは六芒星でキャッチしなくては、現実化できない。
チベット密教では、ひたすらに来世に生きる。
よって、金剛界マンダラに重点を置いている。
そこに、欠落を感じ配置したのが、六芒星胎蔵界マンダラである。
32面体のM女史から、頂いた本を頼りにで解説してみたい。
先ずマンダラとは、《円輪》、《集合》、《本質》という意味である。
そして、此れをたどると、古代遊牧民の生活から生まれた「醍醐味(スゴミとも捉えたい)」に行き着く。
今、僕らは、醍醐味という味を知らない。
五識だけでは、旨いには行き当たらない。
即ち、五芒星のみでは、旨いにたどり着けない。
もうひとつ総称する《識》の六個で旨いと、着地したのです。
此れが地に足がつくです。
自分もR社のS社長に指摘して頂いたお陰で、五芒星のみで殆ど生きてこられた分野だったから、アートとしての宇宙エネルギーは、知って使って一応生活して来ても、山伏の修行時に先生に言われた、「全ての分野を捨てた先に現れる世界を生きよ」をいざアートの世界を分野を越え出て現実化しようとしたときに、六芒星という場を持っていなかった事に、始めて気付かせてもらえたのです。
得意な自然界の中での仕事や、下手ではあるが大好きな大工仕事、力仕事には六芒星の辺があっても、経済や、現世ご利益、そして、人を雇い入れて生活を補償するための継続という、辺がなかった事で、六芒星になっていなかったのです。
しかし水晶が六芒星という場から、頂点に立ち上がっていくように、完璧な《場》は六角形であるのです。
インデイアンのテントも六角形。
真ん中に先に柱はない。
そこは、空洞で、宇宙とエネルギー交換をする場所である。
同じく、縄文の村もそのように中心を広場にした。
そこでは、バザールが開かれ、お祭りがもようされ、そこから死者をも送った。
僕らが分野を問わずに、しっかりと思ったときに、先に脊柱を立てるのを思い浮かんだら、六芒星意識の欠落である。
M女史に指摘された、仙骨と腰椎五番の自由度のなさ、水と出逢うまでは、あえて開放させないようにしてきたとも、言って頂いた僕のウイークポイントがここでも繋がる。
この事で有り難く発見させて貰ったのが、仙骨と腰椎五番が、亀甲羅六芒星であるという事実認識であります。
それから、見事にタンデンが、泉に変わりました。
内なる、静けさを体でつかみ始めました。
そして、一度しか花をつけないのに、二度も花をつけてしまった、サボテン《雷神》ですが、
此れがまさに、六芒星蓮の花型の葉っぱの上に、螺旋を描きます。
さて、話をマンダラに戻しましょう。
醍醐味の醍醐とは、、チーズのような食品を指します。
即ち「醍醐味」攪拌させることで、日常を超越した絶妙な味を意味します。
醍醐味という味覚を感じたことは、最近ありませんが、男水の伏流水や、アートテンテクノロジーの食品には、この言葉がピッタリ。
生命エネルギーが攪拌された美味しさが、醍醐味なのです。
自分の人生に醍醐味を感じないのは、取り込んでいるエネルギーに醍醐味がないからです。
僕は、本当にヤンチャで大人としては、相当に失格です。
けれども、醍醐味に満ちています。
だから生きてるって実感は、メチャクチャあるのです。
そこに、S社長やM女史が出現して、僕の弱点ウイークポイントを、伝えてくれる、とにかくとにかく、宇宙に感謝です。
だからこそ、このプロジェクトは、現実化させなくては、僕自身が今生、《サボテン雷神》にならなくてはならないのですから。
さてたびたび、脱線しますが、攪拌は、《円輪》を生み出す、そこに超越的なエネルギー作用が《集合》し、本来隠されていた、味が現れて《本質》になる。
此れは、ドイツの高地の農村で、続けられている、トーンジンゲン農法そのものである。
トーンは、音、メロデイーそして粘土という意味。
ジンゲンは歌う。
渦流した水が、歌と粘土を、咀嚼しながら、生命エネルギーを含む聖水になっていくのである。
これは、シュタイナー農法、ヤーブ農場でも科学者が研究して、認めざるおえないデータがでている。
30%高い収穫を証明している。
ですから、水を攪拌させて、渦をつくることによって、生命にパワーを与える水が出来るのである。
此れを常磁力性の巨石を持つ切り立った岩山では、上下の反転で攪拌して、山の上部からわきださせる、此れが伏流水である。(湧き水は下から出ている。)
以前にもblogで書いたように、完全な雪から出来る水の分子クラスターは、亀甲の六芒星である。
この水にパワーを与えるには、水に渦や螺旋を記憶させなくてはならない。
縄文の土器の渦もまさに、転写装置である。
そしてこれは、、六芒星と五芒星が補足しあい完成する。
上昇すると同時に下降するエネルギーをコントロールする五芒星原理と上昇するエネルギーの出発点であり、下降してきたエネルギーの受け皿となる六芒星原理の、ランデブーである。
32面体の一部、五角形一個に六角形五個。
此れを創る為の平面図には、糊代が出来る。
此れがキアスム、Y字である。
Y字への気付きも、以前のblogに出ているので、ここでは触れないが、よくみかけるY字路には、一個の五角形と五個の六角形があることを、何処で匂わせている可能性がある。
あくまでも、自分は幾何学のペンダントや、置物には、興味がないのだが、山や、整地された中に、隠された幾何学を見つけることが好きである。
人体もしかり、、花も鉱物もしかり、新しい社会の仕組みもしかり、豊作の秘密もしかりである。
新緑の山を歩いて、目に映える木漏れ日や、渓流の音、靴底に感じる石の感触、肌に感じる深山の空気、樹木の匂い、自分の鼓動、此れが絶妙にミックスされて、覚醒が起きている。
まさにサイコロ。
五識と、纏める六個目の識であり、此れが六芒星を創る。
三次元空間に、四次元を繋げて、そこからエネルギーを流入させる。
結晶構造の三次元を鈍化させた、六芒星とそれに対応した黄金率をあらわす五芒星である。
最近水源地を訪れる人が多くなり、いつまでもケイトラの後ろに載せてお見せするためにお連れすることは、雨の日もあり無理なので、先ずは雪上車を先伸ばしして、冬タイヤも含めて百万以内の中古の4WDを買うしかなくなって来ているのですが、これもこの作用を伝える為には必須であるからです。
雪上車は、出来れば、会員二千名時に、お一人五千円の寄付で買いたい。
冬でも、完全な伏流水をお届けさせていただくために、会員全員で、出しあう。
此れが組合らしくて良い。
里山志本主義らしくて良い。
三次元空間にいながら、、四次元空間のエネルギーを受けとる、空海がとく、即身成仏を目指したいからでもある。
地に足がつくという、三次元空間六芒星に接地して、はじめて四次元空間五芒星のエネルギーは、三次元空間で花を開かすからである。
俗に根差しながら、聖でパワーを得て、聖で得たパワーを、俗に還元する。
僕もあとを続きたい。
それがマネーを否定せずに、もうひとつの里山志本主義をマネー資本主義に付加させ、都市(人類居住区)と自然界という、六芒星に五芒星をもう一度付着させる新たな都市の創造である。
我々LLP《森と水源地の縄文トラスト 新夷》が目指すは、今の六芒星にはなっていない都市を、里山化させ宇宙が喜ぶ六芒星の都市に進化させることである。
このモデルがAUアジア共同体のモデルになるときに、EUも大国も作れなかった、構造を生み出せるであろう。
そのためには、水に渦や螺旋を記憶させ、先ずは人々のもとに届けなくてはならない。
水は唯一、五芒星の増殖システムを、我々の身体感覚に届けてくれる。
そして、僕が無意識で開くことを拒んできた、仙骨と腰椎五番の亀甲を、更に飲み手に伝えていかなくてはならない。
その時、誰もが36℃の野生の美しさを持つ、《光の志民》に進化するものと、確信しているのです。
小淵沢《光の大地》
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