ここでシュタイナーが言うゲーテの自然観察学が身についてくるとは!
鳥取の土砂災害、これを全国中で阻止したい為に、立ち上がった《森と水源地の縄文トラスト 新夷》です。
針葉樹の植えすぎから来るこの災害も、僕らが分断した思考で、人間だけの都合で自然界を一方向に利用してからです。
飲む水と山の仕組みは密接に関わっています。
何かの新しい仕組みで、水を頂けるのは、山が健全であるからという、思考を、定着できたときに、マネー資本主義のみに傾く今のバランスを、整えることが出来ます。
そしてその事は、我々の中に、思考でなんぼ気にしないでも、無意識ではドンドン僕らの体の心の自然を、蝕んで行きます。
二泊三日で滞在していた、関東では、ヤッパリ空気も水も生きていない。
だから、生命エネルギーが、生きぐるしく感じて、とっても疲れます。
此れは、単純に空気を生み出す森がそばにあって、生きている空気感を感じるのとは、まるっきり違うのです。
僕らの生命エネルギーが、例え遠くにある森からでも、生命エネルギーを近くに感じる生活を、取り戻すことは可能です。
ただし、新しい仕組みが必須ですが。
それを本気で創ろうとするかしないかでしょう。
その為に、最近の僕の体の変化は、一つの例になるので、今日はそれをご紹介したいと、思います。
腸が反転したように感じたとき、僕の頭位置に骨盤が王冠のように存在しているように感じるようになってしまいました。
頭は逆にドンドン小さくなって、肚の中心に移動してしまったように感じ始めました。
そして、昨日、ふと体を感じると、位置はそのままですが肺の形状が、逆さになってしまいました。
シュタイナーは、ゲーテの自然観察学で、人間と木は逆さに出来ていると、言われたのですが、例えば腸は木の根と同じ役割仕組みを持っていますし、肺胞は木の葉っぱ、肺胞への管は木の枝と同じ役割を果たしています。
我々の逆さの木の葉っぱ(肺の中で逆さの木)は、酸素を吸い二酸化炭素を放出します。
一方で森の木の葉っぱは、人間の二酸化炭素を吸い、酸素を放出します。
お互いがお互いの生命活動を、見事に保管しあっています。
まるで、勾玉の陰陽ですね。
そして、僕らの腸壁は、まるで値の根毛のように、腸内細菌を付着させ、値の土壌細菌を付着させる形や仕組みが瓜二つである。
最近32面体の先駆者、M女史に頂いた本にも出ていたのですが、僕が大きな怪我をしたときに、感銘を受けた解剖学の三木成夫先生の本にも出ていましたが、人が作る外の世界は、自分の体と同じ仕組みで作り上げると、書いておられました。
頂いた本から抜粋すると、このように表現しておられます。
「現代のドイツなど、進んだ身体論では、住居や都市といった生活環境、経済活動等を含む社会環境を、身体の機能や形態がそに外に顕れた器官として、捉えている。
例えば、胃袋や肝臓等の内臓は、食物のエネルギーを効率よく蓄えて置くことによって、ネズミなどの小動物のように、一日中常に食物を探しまわっていなければならないことから、開放している。
人類は更に自らの身体の外に食物の貯蔵庫や流通システム、あるいは貨幣システムを作り、それらの内臓の機能をそのまま模倣して補っている。
つまり、人為的に築き上げたはずの身体外装置が、いつのまにか内臓器官等の身体内環境を真似ているのである。
自然と人工といった二項対立関係の境もあやふやである。
肺と樹木は、完全なペアーになっている。
同じく腸内と木の根は裏返しの根茎のアナロジーである。
植物の根毛と人類の腸壁の根毛は、瓜二つである。
前者が良質な土のなかのミネラルウオーターや共生している土壌根箘が固定した窒息分を吸収するように、後者もミネラルウオーターと養分とともに体内の土でであるモネラ中の腸内細菌の固定した窒素分も吸収する。
両者は土を介した循環経路を通して、隣り合わせに存在している。」
さて、まずはアナロジーを違う側面からも解します。
アナロジー思考とは?
アナロジーとは日本語でいう「類推」です。
アナロジー思考をざっと説明すると、アイデアが必要な領域(例えば自社の新規事業)=「ターゲット領域」に対して、それに類似した、アイデアの「借り先」(例えば他業界)=「ベース領域」を見いだす もともとよく知っているベース領域(他業界)の考え方が、「ターゲット領域」(自社の新規事業)でも使えるのではないかと関連付けて考えることで新しいアイデアを生み出すというもの。
わかりやすい例で言えば、リアルな世界(ベース領域)でやっていることをパソコン上(ターゲット領域)に持ち込んだらどうなるか?などと考えることです。
みなさんのパソコンにある、「ゴミ箱」という機能の発想はまさにアナロジーですね。
また、トヨタ自動車 : プリウス = 自社 : [?]っというような「穴埋め問題」といってもよいでしょう。
つまり、他の領域からアイデアを借りてくる方法なのです。
せっかく読書したりセミナーに参加したのに、学んだことを実践できない、ということはありませんか?
これは、アナロジー思考ができていないということなのです。
学んだこと(ベース)が、自分の仕事や生活(ターゲット)にどう活かされるのか、それを考えていないのです。
「なるほど、これは部下のAクンを指導するときに使えそうだな」「そうか、あの方法は自分のやりかたにこうアレンジして実践してみよう」などと、自分のフィールドでいかに使うかと考えられるかどうかが重要なのです。
知識・経験 × アナロジー思考 = アイデアマンアイデアというのはゼロから生まれるものではなく、既存のものの組み合わせです。
知識や経験が豊富な人なら、借りてくるベース領域が豊富なので有利ですね。
そして、借りてきたものをつなげる力、アナロジー思考ができる人こそ、アイデアマンなのです。
興味のあることや自分の業界のことばかりではなく、それとは直接関係のないことなどでも知識として持っていれば、「あ!○○と構造的には似てるんじゃないか?」「あれ?やってることの本質は□□業界と一緒かも?」というふうに、アイデアがつながることがあるわけです。
仕事と関係ない知識や経験が仕事とつながったときに、新しい発想が生まれるんですね。
いかに関係ないこととの間に共通点を見出すか、また常にそれを意識できるかがポイントです。
いかに共通点のあるものを見つけるかが、ポイント。
アナロジー思考は、共通点のある2つのものの間には、他にも共通点がありそうだ、と類推すること。
共通点を持った別のモノを探す力が必要です。
メタファー(比ゆ)を使って説明するのがうまい人も、「共通点」を見つけるのがうまい人です。
「共通点」のある実は身近でよく使われている考え方かもしれませんが、意識して使いこなしている人は多くはないでしょう。
何度も実際に考えて、「アナロジー思考」をモノにしたいと思います。
アイデア豊富で、さまざまな問題を解決できる人間になりたい方はぜひ共に、《森と水源地の縄文トラスト 新夷》が提供する、仮想ネットバザールに参加されて、共に新しい世界を構築しましょう。
このアナロジーが生み出したものが、《里山志本主義》なのです。
一見矛盾する、マネー資本主義と里山志本主義の両輪が回るためのメカニズム、これには参加者全員の智恵の結集が必要です。
となると、僕らが社会批判する前に、僕らの身体が正常な機能から、離脱している可能性に着目するべきでは、ないでしょうか。
僕が躍りや身体操作法を教授するうちに、自然界回復に取り込まないようでは、何かが大きく欠落するとその分野を捨てて、ただの代行伏流水汲み上げおじさんになったのも、更に身体からこそ、社会を変えれると至ったからです。
植物が吸い上げたいと思う伏流水を、体も欲している。
此れがないと、食べた栄養分は全て取り込まれずに、流れるだけ。
だから、三食が当たり前になり、結果様々なメタボリックシンドロームから、不妊、精神不安定が出ている。
そして、健全な二酸化炭素が人々が出していない、だから、植物が育たない。
これは、重要である。
僕らは排出物までも、ふだん他の生命体のために、考えて息など吐いてはいない。
それだもの、原発の処理不能な廃棄物も気にならない。
けれども、上質な二酸化炭素を吐くお陰で、上質な酸素を貰えるとの、ブツブツ交換で自然界は、バランスを取っている。
都市では絶対数で、植物が足りないはず。
同じく、森でも、ある種類の動物が増えることは、植物とのバランスを壊し、結果僕らの体に心に、社会に問題を生み出しているのです。
今更に不食近づいていますが、これは食わないのではなく、エネルギーを溜め込みすぎているから、先ずはそれから使いましょうと、細胞が僕に仕向けているのです。
同じく、肺をもっともっと木々と、ラブラブな関係にさせたい。
そして、木々と同じレベルで身体が欲する、完全ミネラルウオーターを、与えてみたい。
今、僕は、植物に近くなり始めているのです。
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