あらえびすブログ

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命の響き

行基の軌跡。

この東根市から、中国銭が出土されました。

それも一万枚。

ロマンです。

一体当事、中国から何を買いに、この地に訪れたのでしょうか?

鎌倉時代に埋設か?との今のところの見解ですが、元を辿ればそれは、行基の軌跡に通じるのではないでしょうか。

飛鳥時代空海以前に温泉を杖で見つけ、フルボ酸鉄入りの伏流水を創り出すお山を守り、伏流水が創り出す金を守ったであろう、行基

その人柄に、民が結集して、日本中に1400箇所も神社仏閣を建設し、三本もの道路を九州から東北に、僅か35年で創る。

最後は東大寺の仏像を建築。


今、マネー資本主義の限界が見える世界。

様々な職種が、次の世界の仕組みの創造に、なかなか行き着けずに、どうにか今を動かしている。

動かせば動かすほど、崩壊に向けてのスピードは増す。

解ってはいても、従業員を抱え、今の付け焼き刃を生きることも止めれない。

さて、どうするか。

取り戻すのは、自然界の増殖による、新しい経済の仕組みとは、気づきはじめている方が、確実に増えてはいる。

藻谷さんが提言する、《里山資本主義》は、その解答例である。

しかし、偶然第一次産業を生業としていたり、過疎と経済困窮地域だからこそ、転換に迎えた。

木村さんの《奇跡の林檎》は、とっても偉大で美しいが、そこに皆が行っては多分殆どの方が結果を出す前に、諦めるであろう。

そこを越えて結果を出せた木村さんに、感動するは、素晴らしい事。

けれども、感動の次が、ない方が殆どである。

ましてや、マネー資本主義にドップリにならざるおえない、二次産業や三次四次産業は、きつい。

その上に成り立つ、五次産業も危うい。

至って当然である。

一次があっての二次、三次、四次、五次産業経済構造であるから。

しかし、実は消費者さえも供給者さえも、自然界をも含めたある仮想的な中心に置く、志の民としての円の中心にて、タッグを組んでる構造に変革しなくては、平面ピラミッド系の構造を変革出来ない。

家庭を例にとっても、それは顕著に現れる。

殆どが、月給という、一次をベースに、消費部門に、割り当てて行く。

けれども、藻谷さんが指摘されるように、お金を殆ど介さないで、普段消費しているモノを見つめ直すと、お金を介さなくても良いものにも、お金がかかると、思い込まされている。

病気もなってから、改善。

安易に高価な毒物に頼る。


長田ファームのアートテンテクノロジーの、お蕎麦や野菜類は、本当の美味しさなので、少量で大満足がおきる。

ということは、あんまり、細胞が満足できていないから、多くの食べ物を脳が欲しがる。

この満足が又々、脳の仕組みが、勘違いをしてしまう。

景観が、脳に与える作用、空気が脳に与える作用、自然界の音が脳に与える作用、スーパーではなく、土や太陽や水がトーラスエネルギーで作物を創る作用という、感じるしかない気のよさにも、食欲は作用されている。


本当は自分の、仕事の空間の心地悪さに飢えているのに、脳は単純な欲求に置き換えて、我々に勘違いをさせ、お腹が減ったとか、グルメな料理を欲していると、指令をねじ曲げて受けとる。

学術的には、この東北には、犬鷲はいないとされているが、実は沢山いる。

それで、何を煽るか?

木を切りすぎだと、環境保護団体に火をつける。

全体で回る、命の循環は、全く違う。

きちんと捕食者がいる。

だからこそ、ある種だけが増えない。


もう原生林等は、存在しない。

何処にでも命の痕跡がある。

自然界に手を入れて、命が響く。

だからこそ、実体験で自然の増殖を理解して、よい意味で自然界を、上手にコントロールしてきた。

それが里山である。

猿を極端に保護した、宮城は本来五十頭が限界の《場》に三〇〇頭が暮らしている。

一昨日訪れた、長野でも猿が増え、人間と共に温泉に入っている。

これが、美しい自然だ勘違いをした、頭でっかちが、餌をやる。

食い過ぎで、天敵のいない猿は、年中出産をして、ドンドン増える。

しかし、猿には、コンドーム等での、猿口調整が出来ない。

よって、畑は荒らされる。

自然保護団体は、猿の避妊教育の為の学校を創ろうと、常識を覆す提案をするのなら、まだ理解が出来る。

けれども、マネー資本主義にドップリの脳は、解決策を考えると、必ずイデオロギー思考で、悪者を探す。

この、ポイントが、今こそ変革しなくてはならない。

だから、マネーの批判では何かが抜け落ち、陰謀説だけでも何かが抜け落ちていく。

勿論、スピリチュアルでも、高度な浄水器でも、何かが抜け落ちていく。

必ず、敵を創りあげる。

よって何時までも解決にたどり着けない。

ましてや、変革が始まった時は、二つの矛盾が並列で動く。

これを二極化していると、言うがイデオロギーのどちらかではなく、この並列の二本の道が、何処かで出逢える筈だと、思考を諦めない事が、創造だ。

アートテンテクノロジーの素晴らしさは、どの農法にも、否定せずに、よい結果が出てくる。

しかし、不思議に、イデオロギー思考のかたが、テクニックとして取り入れても、何故か結果は生まれない。

僕ら人間だけが、ネガテイブナな思考が実は、風景に水に土に食品に動物植物に、多大な影響を
与えているとは、思ってもいない。

特に水は、コロコロ変わる。

本でも出ているけれども、クラスターの結晶が変わる。

だから、水は怖い。

僕は、水を差し出す役割ゆえに、心の在り方を何時も気にしている。

この水が人どうしでも、響命する。

電車で、機嫌悪い人が一人乗り込むだけで、そこの空気感が変わり、場が変わってしまう。

だから、例えば電車の内装を、水を吸ったり吐き出したりする、木材を多用するだけで、ずいぶんと変わる。

音楽だって、録音スタジオの回りをアートテンテクノロジーを施すだけで、音の輝きは全く変わる。

僕はそのように、結果がドンドン見えてくる形で、自然界の壮大なエネルギーの仕組が、様々に与える影響を山ほど感じる、コミューンを創りたい。

最終的には、黒伏山のスキー場を、買ってしまいたい。

そこの山の上には、男水以上の伏流水が出ている。

九号目辺りから、サイフォン効果で、吹き上がる水はなかなかない。

ここに、ウオーターランドを、生み出したい。

完璧な伏流水が創る、マネー資本主義とは違う、フォレストウオーターリゾート。

所謂、新しい観光客も来るし、幼老院もあるし、村も棚田もあるし、実験農場もあるし、植林して、もっと里山に近い場にスキー場を戻して、スノーボードで降りてくるようなコースや、ネイチャースキーを、ネイチャーサマースポーツを、楽しめる施設。

訪れる方が、里山志本主義を、理解して帰られる場である。

これこそが、現代の神社になると、僕は信じています。

スキー場のなかにも、おいらずの森を創り、訪れるたびに、山の増殖を感じる里山リゾートが、完成出来たときに、マネー資本主義と、里山志本主義が合体された、キアスムを、現代に提示できると、感じながら、此れから水源地に愛犬マラミュート達と、代行汲み上げに向かいます。











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