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あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

昨日は登山道のない、端山に直登で登り降りのワークでした。

幾何学反転ワーク

いよいよフサエさんの個人レッスンが終わりました。

そして本日、連れだって、新井先生の長野でのコズミックセレブレーションに参加です。

最後の〆ですから、当然端山に登り、全速力で下って貰います。

その前に三時間かけての、反転ワーク。

上下を反転、左右をクロスで反転、そして内と外を反転です。

これで、三次元の世界に、四次元でかかわっている、所作が可能になります。


昨夜テレビでやっていた、緒方貞子さんが、仰る、先ずは決めてしまうの。

あとは勘を頼りに突き進む。


これが日常になります。

この世に、全く新しい事を作り出すとき、とにかく大事なのは、決めてしまうこと。

そうすると、腰の骨が頭蓋骨に替わります。

腰で見て、聞いて、嗅いで、味わって、尾骨と繋がる触覚で、突き進めます。

腰が、勘を効かす、重要な機関。

これに自信がつくと、全く不動になり、弥勒が動き出す。


宇宙全体の、意志を統合して、今の自分があるとき、孤独でありながら、孤独感は皆無なのです。

身も心も全て、宇宙に任せている。

勘を頼りに、策略を捨てて、真っ直ぐに進んでみる。

勿論このblogでおわかりのように、変換ミスはあるし、伝えても解らないであろうことも、そのまま抽出してみる。

勘を説明することほど、困難な事はない。

勘を必要とするから、感覚機関が育つ。

そして、意識が強固になる。

意識とは、意思が強固であるかを識別して、保ち続けるしかない。

全ては意識、とは言うけれども、意識さえも体は知らない。



お山に登るのではない。

お山に入るのである。

外からみた山は、正八面体で、地下にもピラミッドがある。

その中心に入る。

頂上で上下のピラミッドをツクッテ、上下を逆転させる。

ミクロがマクロに、マクロがミクロに変化する。

それが中心に入ると言うことになり、下山は、逆に登ると言う感覚に変える。

そもそも、僕らは、母親のお腹で釣り下がっていた。

頭から、膣を通って出るようで、それをコントロールしているのは、腰の勘だ。

これが、登山道のない、斜面角度60度の山では、まるで膣から出るように腰が活性化される。

だから、筋肉痛がおきない。

即ち、一番元気な精子にだった自分に、戻るのである。

そして、三〇〇メートルの山が立ち塞がっているほど、人生で立ち塞がっている悩みはない。

それが、始めてのかたでも、四十五分で登れる。

僕一人だと、十五分かな。

下りは三分。

人は猿だと言う。

アイヌのアシリレラさんは、その様子を見て、以前僕を樺太犬と名付けた。

よは、動物の感覚、本当に戻ってしまう。

究極は精子に。

何万匹の一等賞で、卵子に突入した、自分を思い出す。

何のために、そこまでして、鮭の産卵のように、膣を掛け上り、子宮を目指したか。

目的達成のためである。

その目的を思い出す事が、意識だ。

小さな意識の積み重ねで、意識の塊が星のように、観えてくる。

それは、プラズマの光を出す。

その時、自分の中を満たす水は火入れされ、金化される。

それがオーラだ。


一度火入れされると、燃え尽きるまで、光を放つ。

ドンドン光度を増す。

だから、自分の得意分野に鎮座していたら、己の全体意識とも再会出来ない。

だから、得意分野を更に磨きたかったら、全く違うものに、純な精子に立ち返り、その未体験な場に自分を置く以外に方法はない。

そこで出逢う自分は、全く回りから知らされてきた自分ではない。

そんな自分と出逢うためには、一度捨てさせられる。

そこで残るものは、本物の意識の一部である。

本来宇宙から与えられた意識は、捨てたくても、残念ながら、なくならない。

それが嫌いであろうと、その自分を受け入れるしかない。

後は自分を反転させて、パン生地を捏ねるようにしていくうちに、全体意識に出逢う。

そこにはイデオロギーが入り込む余地がないので、悩みも不安もおきない。

このとき、光始める。

陰が陽に変換され、陽が陰に変換され、勾玉が急速に回転し始める。

これが水のクラスターの回転である。

そこにプラーナが入り込む。

まさに宇宙意識そのものに、自分がなるのである。


















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