反転して、内外が入れ替わった、自分に変わってしまった。
荒川修作さんが、生存されていたときに、お電話でお話しできたことが、昨日の森の中での幾何学多面体 水のワークを終了後の自分の変化で、見事に実感してしまいました。
今までにない左右でも、前後でも、上下でもない、内と外の反転が、起きてしまいました。
スイカを見ても、内側が外に、そして皮の部分が逆転して内側に存在しているように、響命されてしまいます。
当然表面積の広い皮が内側で凝縮されるので、マクロがミクロになり、形も位置さえも持たない中心という、響命する《空》がミクロからマクロになって存在しているのを感じてしまいます。
植芝盛平翁が、相手の力を無力化させるとは、マクロの力をミクロに変換させる術を心得ていたと、判明できました。
M女史から与えられたワークで、見事に自分が外枠から中心に、位置変換したときに、此れが起きてしまいました。
それからは、人が話すことを聞いていても、今までと何かが完全に違うのです。
相手の話を、今まで表面で先ず捉えていたものが、ダイレクトに、ミクロからゼロかに向かう中心に、情報が入り込み、四次元感覚を持つ新しい内臓感覚が表面化された皮膚に、必要なものだけが伝わり、後の情報はゼロ化してブラックホールに消えていく。
魂と言うか高次の自我というか、そのようなものさえ小さく感じる、宇宙のような何かが表層を包んでいて、そこからシリウスと、ダイレクトに繋がっているような、感覚なのです。
本当に宇宙に必要な情報だけが、新しい内臓皮膚感覚に現れて来る。
昨日はまだまだ新しすぎる感覚で、言葉に変換出来なかったのですが、一夜明けて、ちょっと整理できるようにはなりましたが、新しい身体を持ってしまったようなので、此れから更に発見があるはずです。
夜はあまりにも、疲れて九時にはベッドに入ってしまいました。
内臓が皮膚になっているので、空気中に触れた内臓皮膚感覚が捉える情報に、頭脳が困惑しています。
一方で、内臓さえも反転して、内側が外に感じていますから、内臓内壁が削除したいものは、僕の意思無視して、勝手にゼロ化して、他の銀河に情報がいってしまいます。
その結果、四次元が先にあって、三次元に抽出して問題のないものだけが、自分の所作を創ります。
骨盤の五感ワークは、上下を見事に反転させ、頭脳と肚脳クロスによる、七感ワークは、左右を見事に反転させます。
そして、尾骨ワークとピョンキチ下タンデン及び肋骨内部ワークは、前後を見事に反転させます。
これでは、何かが足りないと感じたときに、幾何学のワークが僕の中に降りて、《場》や《隙間》、《天地》そして《風》が分かって来たのですが、《水》は、体が理解できていなかったのです。
水は見事に内と外、即ち三次元を感じる場と四次元を感じる場を完全に裏返しにする事だと、体が掴んだのです。
其が流転の動き。
龍の動き。
水はクラスターの球体が、内と外をコロコロと反転させながら、流れるものが、本来の水の動きであったと言うこと。
しかし、今では、この水が反転していないので、毒物をゼロ化出来ない。
僕らも反転出来る水が体内流れていないので、どんなに良いものを取り入れても、その成分が水が反転して包み込み、細胞の核のようなものにして、体に全てを送らない。
きっと六割は流れ出ているのでしょう。
今回の水のワークの前に、ゴーシャしたことも、仕組まれていました。
そして、この感覚は断食後にソックリです。
断食も、内臓内壁の感覚が、研ぎ澄まされて、皮膚と呼応するので、反転現象が起きる。
此れが将来、不食の感覚に人を育てて行くのでしょう。
水そのものになってきていた自分が、今度は自分を反転させる事で、水を開きそして反転させる事が今日の給水から始まる。
完全に、水が大きく変わる事でしょう。
保江先生の《愛》とは、反転させて包むこと。
これとも見事に繋がって、わかりだしました。
反転を所作で作ってこそ、《愛》という力が観えてくるのでしょう。
僕の皮膚は、内臓内壁という服になってしまったようです。
此れは、結果身体意識を巨大化させます。
だって腸壁面積は、テニスコート以上。
此れが今日の僕の大きさです。
身体がテニスコートよりも大きな自分を感じている。
当然、パラボラアンテナに例えると、巨大である。
これを更に反転させて行くと、宇宙に行き着く。
ここで疑問は、更に反転させると、元に戻るのではないか?
けれども反転させる方向は、無限。
よって更に拡大できる。
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