あらえびすブログ

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新しいIターン 森と泉のトラスト お山繁盛コーポレーション

昨日は、春日部のワークのあとに、皆さんとじっくりお話し合いが出来ました。

アフターでのお山繁盛コーポレーションの打ち合わせ?も、とても皆さんと、有意義な時間を過ごせ、感謝です。

イオス様の事業所向けの伏流水会員も、村上専務始め、皆様のご協力で決まり、事業所向けのモデルとして、此方もしっかりと今後形にしていきます。

本当に企業のお立場でのご協力に、感謝です。


さて今日は、朝から春日部で個人ワークです。

そして、新井信介様の皆神塾東京で、お水の宣伝に赴かせて頂きます。



では、昨日の続きを。

消費者主権とは「経済システムは消費者に奉仕するものであっって、その消費者が経済を最終的に支配する」という考えと定義されています。

即ち、先に消費者に欲しいものがあって、それを察知した生産者がそのモノを生産する、このような構造を当たり前だとするのが消費者主権という、考え方である。

しかし、現代社会は、「生産によって充足されるべき欲望をつくりだす」。

その結果、新しいハードが生産者から先にていじされ、そのソフトもつくりだされ、旧モデルは、山のように捨てられます。

様々な産業に見いだされている現状です。

ガルプレイスという経済学者は、このように見解をのべている。

「十九世紀始めにはには、自分の欲しいものが何であるか、広告屋に教えてもらう必要のある人は、いなかったであろう」。

以前は、欲求が供給や生産に先行していた。

欲求が供給や生産を引き起こし、かつ決定していた。

しかし今日では、生産と供給が欲求に先行し、これを強制する。

つまり欲求のために生産されるのではなく、世界市場の為に生産されていると、國分さんは、説きます。

そして新しい階級が生み出される、

一般的に労働とは不愉快であったものだったのに、そうでない階級が出てきた。

これは、昭和四十年以降生まれには、ピッタリな存在である。

仕事は楽しいのが当然で、最善の努力もする。

給料だけが重要ではなく、社会からの尊敬が重要な源泉である。

この階級は開かれている。

専門を大学で学びぶことさえクリアーすれば、その階級に必ず雇用が待っていた。

よって専門学校や専門を学ぶ大学が繁盛した。

けれどもこの学びもまた、欲求から始まってはいない。

就職市場が先に、これから資本主義を回す人の為に、新しい階級へのカタログを提示している。

未来への個人の欲求が先ではない。

そして、社会が大きく望む仕事においてこそ、人は充実していなければならないという強迫観念が生み出される。

そして、この階級に入るために、こぼれ落ちない為に過酷な競争を強いられる。


労働ではなく、楽しみを含んでいる職業を見つけることの重要性を念入りに教え込まれてきた。

昭和三十年代の頃から、もうそうでした。

そしてこの階級が拒否するのは、成功しない息子である。

例えば、歌手を目指す、大手銀行の幹部の父を持つ息子。

そして、なかなか売れない。

特に市場の歌手という、マスコミに相手にされる歌手になれないと、それなりの地方性の中での歌手になれたとしても、社会からゾッとするような哀れみの目でみられる。

新しい階級が新しい強迫観念を、生み出した。

これは、何となく退屈が最終的に生み出す、本来はこうであるという、強迫観念と何ら変わらない。

そして、この新しい階級は、悲惨な労働からの脱却という、イデオロギーに他ならない。

もしも、もっと自由に、欲求のままに仕事を選べることが出来たなら、もっと世の中は開かれていた。

そして、多くのイノベーションという可能性が、世に抽出されていたのではないだろうか。

親や上の世代が自分の人生の経験値のもとに、子供たちに架空のより良い人生プランをかかげ、刷り込んで行く。

今や、就職、結婚、人生そのものが、先にカタログがある世界に行き着いた。

そして、何か可笑しいよねと、少数の快楽主義者が本音を語り出した。

新しい少数民族の始まりでもある。

当然市場は、排他的に扱う。

同性愛、自給生活等々、新しい少数民族が、様々な場から産声をあげた。

ここに宇宙的な広がりも含まれ、先祖の星までも、直感で感じ、表明するものも出始めてきた。

当然心の病気と市場は、排他的な層に、少数民族を押し入れ、蓋をする。

この流れが大きく変わるキッカケが、9'11で始まり、3'11から見事に表層にポツラポツラと出てきたように感じるのです。







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