新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る お山繁盛コーポレーション
さて、昨日一昨日とのせた、大衆演劇の記事は、去年の八月の記事。
そして今日でblogはじめて、一年がたちました。
平均一日五百のアクセス。
このキアスムにたどり着く、軌跡を、楽しんだり茶化したりしながら、読まれることに、感謝です。
不十分な、自分が不十分なままに、独白している内容です。
これは、あくまでも僕の軌跡。
あるときは肚をたてたりと、未熟な自分がどのように、自分に対峙してきたかの、内容にこいつもまだまだだなと、思われることも、自然に書いてきましたが、ここからは大きく舵を切り替えます。
全てのUターンをやめましょうと、問いかけていきます。
それは、出口が見えてきたからです。
今後はその内容を少しずつ証して行きます。
先ずは、國分さんの暇と退屈の倫理学という、最高の示唆を題材に、我々が目指すキアスムを説明して、仲間を募集していきます。
ここは、キアスムを世に示した、中沢新一さんや一寸ずれているけれども、それもしっかりと把握しないと、今後の知の開拓が不可能なハイデッガーやマルクス、スピノザと共に、新しい扉を開けていきたいと思っています。
これは、浪費と贅沢を更に追求して、消費をなくしていこうよという、試みです。
消費社会とは、退屈の形式である、例えばデズニーランドに行っても、東京の街並みに買い物に行っても、休日に川縁に行ってバーベキュウをしても、何処か退屈と言う構造を悪用して、気晴らしと退屈の悪循環激化させ、この構造に目をつけて、気晴らしの先にあったはずの物や記号や観念にこっそりすり替えて、見事に消費のプレイヤーにされていますということです。
東京の電車に貼ってあった、有料番組のこの宣伝に、僕は唖然としたのです。
仕事を終えて帰ると、妻は連ドラ、子供はゲーム、僕はなにしたらいいの?
そこでお勧めのチャンネルが出来ました。
とカタログがある。
どうみてもこれは、何かへん。
これを家族と言うのか。
僕らは暇潰しにいかに間違った方向を見いだして、ここまで来たのか。
スピリチュアルも陰謀論も祭りもミッションも全てが暇と退屈解決の間違った方向性。
だから僕もミッションとして、この活動を仕上げて行くことから卒業しました。
そして、これは、違う形で、定住化を卒業しましょうとの問いかけ。
定住して1万年。
しかしラファール猿人が遊動生活をしていたのは、399万年。
これは、気候変動で、定住化しただけ。
そのつけが、今の様々な問題を引き起こしています。
遊動生活がなんと幸せだったか。
けれどもUターンはしませんよ。脳がない。
定住化して、起きてきた問題が、暇と退屈。
しかし暇と退屈の過ごし方が、余りにも幼稚だった。
見事に偽物文化産業によって、良いように搾取されている。
もっと個性的に暇と退屈を謳歌して、本物の浪費と贅沢に向かいましょうの提案です。
では明日。
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