あらえびすブログ

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大衆演劇への旅と湧き水への旅の一致

では一昨日に続いて鵜飼さんにおける、大衆演劇への旅から、自分が感じ取って要る世界を構築してみたいと思います。
鵜飼さんいわく「お客さんが単純で、程度が低く、簡単に芝居にのめり込んでしまうから、僕のような京大で高等教育をうけたインテリには満足できないような芝居がウケるんだと考えることはできる。しかい芝居にのめりこまず、いつも適度な距離を保って批判的に鑑賞するインテリとは、一体なんだろう。そういうふうにしか芝居が見られないというのは、とてつもなく不幸なことではないだろうか。知識は一見、人を自由にするようにみえて、実は抑圧するのかもしれない。高等教育を受けることで、確実に失われていった何か。そしてもう二度と取り戻せない何か。僕は今其を痛切に哀惜する。恥ずかしそうに踊っていると知人から言われて、心にズキンと来る指摘だった。心のなかでブレーキをかけてしまう。その結果、いつも中途半端な芝居しかできないのだ。問題はもっと根深いところにあるように思う。其は教育の問題だ。僕は、最高学府の、其も日本で最高といってよい大学で教育を受けてきた。其処で一貫して教え込まれたのは、物事を先ず頭で、理屈で理解しようと言う姿勢だ。けれども、頭で理解することと、体を動かすことは又別なのである。むしろ、初歩の段階では、理屈抜きのガムシャラさこそが重要なのだ。それこそが僕にかけている決定的なものである。」

僕は、この言葉を自分に投げ掛けたのは、バレエスタジオの発表会での現代バレエで、自閉症の子と、海に流してしまう汚水の事を関連付けて作品化したときであった。
其処には断片的に繋ぎあわせた、作者不在の作品であった。
その時に作家とは、自分の内面の矛盾、弱さ、強かさ、狡猾さを浮き彫りにしてこそ意味をなすと悟った。
悟ったのは良いが、自分は空っぽであった。
選んできた教育を恨んだ。
オルタナテイブな教育を後付けで勉強した。
すればするほど、もう遅い、取り戻せるはずがないと途方にくれた。
その時から二年山伏の修行もした。
けれども全てが断片である。
東京を離れ、伊豆に住み、一人で三百坪に近い土地を開墾して、段々畑を作り、山羊や鶏を飼い、絞めていただき、下手くそな家具を作り、薪を割り、カヤックで海に出てと、断片の穴を埋めることに六年の歳月を費やした。
周りではドンドン高尚な作品が巷に溢れ、継ぎはぎに継ぎはぎを重ねた自分に、自分自身が手を焼いた。
もうパッチワークの球形にテントを一旦たたむしか手がないと、その地を求めて二年費やした。
そうして、この限界集落に暮らした。
六千万かけて建てた家は、不動産価格崩壊後で二千万がやっとであった。
一千七百万のローンが残っていたので支払うと、引っ越し代金に、限界集落の廃屋をやっとかえる金額でゼロであった。
けれども僕の思考はゼロではなかった。
当たり前に染み込んだ、余暇の過ごし方、北海道生まれで雪は知っているが、東北の重い雪はしらない。
出掛ける前は車がスムーズに走れた道路が二時間半で雪に覆われ、一車線以下になる道路を山間部に向かい帰宅する。
帰って駐車場前を雪掻きする。一時間かかる。
朝は朝四時に起きて、積雪をよむ。
家の全ての巻きストーブに火をつける。
外の除雪に二時間。
薪格納納屋から、家に二日分相当の薪を運び込む。
教えで出張の時は、駅に着くと車が見えないほどに車が埋もれている。
駅について車を出すまで一時間半。
家に帰ると二時間半かけて屋根の雪降ろし。
春になる。
今年で果樹園をやめる農家さんから、薪用の原木を貰う。
山からも楢や桜が届く、もう冬の薪割りが始まる。
伊豆の頃に割っていた、年間二千五百本は、ここでは二万五千本。
夏には一ヶ月に二回一日がかりの草刈り。
秋にはもう雪がこいなど冬の支度だ。
そうして又来る雪。
一月には晴れ間が多く、少しはほっとする。
其処から五月始めまでは冬である。
勿論四月には雪が溶けるが、山にはまだ入れない。

このサイクルを一周半した頃には、当たり前になっていた。
当然、この家に他人が多数出入りして、又家族が壊れた。
けれども、到底、柔な自分では、一人で、出張しながらこなすことは無理であった。
そうして最近やっとこの地での大変さを逆に愛せるようになってきた。
何が変わったのだろうか。
自然界を相手に生きれる、確信が身体に感覚としてハッキリと感じ取れてしまったのだ。
身体が出来ると確信したときに、自分の中に新たな柱がたち始めた。
其はもうひとつ別の生きるを知った。
そうなると、動物が木が川が語りかける言葉が解り始めた。
やっと地球の一員になり始めた気がした。

パッチワークの継ぎはぎを捨てた自分が正しいとの認識はゼロであった。
それよりも、えもいえぬ安心感があるだけである。
そして其処からやっと「当たり前」を疑う自分がたち始めた。
此処までなんと二十年を必要とした。
その間二つの家族が壊れた。
代償は余りにも大きい。
けれども強引に東京の生活に連れ去られた娘は、此処の生活の隅々を楽しんでいた。
娘はナウシカの世界を絶対に創ってねと、父に懇願していた。
夜中に月と星を見ながら娘と滑ったソリ。
僕は娘との約束を果たすために、きっと一生をこの地で過ごすのであろう。

この地に遊びに来ることを認められて、来たときにはその約束さえ忘れているのかもしれない。
けれども娘のその言葉は、彼女の中の野生の要望であると何故か信じられる。
何故なら、自分の野生の思考がその言葉をキャッチしたことだけは、わかるからである。








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