新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る お山繁盛コーポレーション
昨日は久しぶりの、へんな暑さ満杯の東京に行って、半日帰りで朝帰ってきました。
東京の風景、人が発するエネルギーは、確実に停滞してきていると、感じれました。
皆生きる希望、魂が喜んで生き生きとしていない。
出口が見えないそんなものがどかっと背中にのっていて、原発を作り出してしまった我々の脳が、原発というものだけではなく、様々な場所に現れて来ていると感じました。
石炭石油と核とでは、何が根本違うのか。
それはまだまだ、石油石油は太陽の贈与を持ってしての、頂き物でした。
けれども核は、地球上に太陽を作った。
太陽さえも支配下に入れたいと言う、弥生鉄の文化の行き着いた先。
知り得ない力を持つ太陽が有ること、それに畏れを感じる人間の脳が、太陽さえ知り尽くしたいとの現れ。
けれども知り得る筈がない。
結果、廃棄物の循環までは、用意もせずに(用意など出来ない)原爆を作り、水爆を作り、原発を作った。
核の平和利用など詭弁でしかなかった。
狼を殆ど殺したのと同じ。
この先どんな技術が出ても、それは贈与理論がない。
だから、ポスト核になる。
芸術、宗教、科学、経済全てが、一個の得意分野ツールで全ての世界観を説明しようと、躍起になってきた。
スピリチュアルも、結果ポスト新興宗教になる。
だから、核を手元に起きたい支配したい人間の脳と、精神世界を知り尽くしたいという人間の脳は、同じ所から始まっている。
だから、哲学は自然を取り戻し、芸術も自然を取り戻し、宗教も自然を取り戻し、経済も自然を取り戻していかないと、見えてこないと思うのです。
長いたびになりますが、今後も人類が生存したいのなら、その一歩は今踏み出さないとならない。
さて、僕のワークを母娘で伊豆の頃から、受けていただいていた、Uさんが癌になったのは僕が伊豆を離れる頃でした。
最近の再発は、筋肉を萎縮させきているようで、起き上がることもままならず、検査の入院がきっかけで、僕のなかに、これは真剣に腹を据えて向き合わないとならない事であるとの想いから、ここでの静養を提案しました。
常磁性のお山の麓で、その山が創り出す電位が高い伏流水を、ドンドン体内に取り込んで、毎日
伏流水のお風呂に入って、竹野筒に炭粉を入れて、ベクトル平衡体の中に介護ベッドを設置して、綺麗な自然の景色、綺麗な自然の音を、臭いを、味を、肌あいを思いっきり感じて貰えれば、きっと何かしかの変化が現れるのではないだろうかとの、決断でした。
もしもここに来られて悪化して、回りに責められたとしても、それも覚悟で娘さんにも提案しました。
娘さんも、ある程度そうしていきたいとの中で、僕が提案したことが良かったのか、余計なお節介なのか、自分も核同様に、自分が知り得てきた知識を証明して支配したいのか、様々な自分への?が出て来るなか、最後に人知を越えた自然の力に委ねてみるの事が、一番なのではないだろうかとの、《緑の思考》への委託と、それに必要な様々な労苦は進んで受け入れてみたいとの、腹だけは決まりました。
頭はスッカラカンです。
だけれども、これがひとつのきっかけで、自然は全てのバランスをもう一度整えてくれる事が示せるのなら、これに関わる全ての人にとって、そしてUさん自身にとっても、大きな生きる力になっていくのではないかとの想いが、時間と共に強くなってきています。
ここでUさんが、好転したら、周りの人間関係も全てが生き変わるように感じるのです。
出来れば、そのような様々なヒーラーのボランテイアのお力も借りれる、仕組みを早々に作り上げておきたかった。
それが昨日のblogの内容のコミューンにも、含まれています。
シュタイナー医療的な方向や、シュタイナー銀行的な方向も、自然に発生してくるとは思っていたのですが、枠を作ってからの発進は、キアスムには許されないので、ヤッパリ先に事象があっての自然発生的な枠が結果創られて行くのですね。
これは、まだまだなれていないから、結構きついのですが。
それこそが、縄文以前の先に進む為の、新しい思考方法なのでしょう。
それは、景子との愛でヤット男女の愛を知ったからでもあります。
僕らの愛の形に二人で行き着けた、始めての異性です。
昨日の新聞に、日本ではじめて、同姓結婚式を式場であげた、レズビアンのカップルが二人でウエデイングドレスを着て、満面な笑顔で記事になっていました。
少数民族の価値観を、一方的に取り払い、地球上を一つの常識で支配しようとした、心の現れがグローバルマーケット主義をここまで発展させ、様々なものが歪になって来はじめています。
結果、動物植物もフリーマーケットであったイチバ感覚から、グローバルマーケット主義を押し付けられ、天敵がいなくなり、バランスを崩している。
食い物が限定されてきている。
其々が食うことで、一ヶ所の増殖を押さえてきたバランスが、崩れている。
其を写し出す心も然り。
家庭でも、夫婦間でも、恋人や友人の間でも、グローバルマーケット主義が入り込んでいる。
ドンドン殺伐としてくる。
医療も経済も宗教も全部が、自分らしく生きてこそ、これが自分にとってのルールだと見つけれるのだと、感じています。
きっと個の復権からしか、縄文の先へ、ベクトルを変換できないのでしょう。
そして、その一つの現れが、Uさんのご病気を通しておき始めた、何かなのでしょう。
先ずは、僕に差し出せるものは、全てを差し出してみようと、思っているのです。
価値の違いも、ゴールの違いもあるなかで、結果と言う枠があっての、行動ではなく困っている人がいるから、一応助けになってあげられる環境だけは持っているから、差し出してみるそれだけです。
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