あらえびすブログ

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大衆演劇への旅から紐解く湧き出るに心を引き付けられた自分

大衆演劇への旅」鵜飼正樹さん著

僕のワークは、絶対を指し示すことが如何に困難であり、其を遂行しようとするほどに一番重要なものが抜け落ちていくことに気づくたびに、其を気付いた自分の変容を通してしか成り立たないと言う道を経て、進化してきた。
だから人生での失敗から、どの身体で痛みを感じ、その気付きの過程で軸を発見し、その以前とは違う自分が又軸を失い、そして新たな軸を身に付けて、どうにか生きている。
しかし、よくみると確実に軸は磨かれているのである。
こうしていつのまにか身体が出発点であった自分は、身体が何と関わり、此処に存在することになったのかが重要になっていった。
多分、今考えると、星野道夫さんが描く世界に、倉本聰さんの北の国が描く世界に、強く引き付けられる自分が、伏流水という大いなる恩恵に此処まで引き付けられるのは、当然の事であると感じる。

さて何故今、鵜飼氏の「大衆演劇への旅」なのかと言いますと、此れは社会学における、フイールド調査をしている事と、此れだけ多様化した世界をいきることには、凄い共通点があると、感じたからであるのです。

この著書に対して、社会学好井裕明さんが仰るように、人々の暮らしや日常と社会が、どのように繋がることが出来るのかということへ、たどり着く為の葛藤と心の叫び、そしてお互いがどのように決定的に異質であるのかをめぐる苦悩、あきらめに似た叫びが、自分の言葉で語られているからであるからです。

今の好井氏の言われていることは、分野の違い、性別の違い、暮らした立ち位置の違い、其が夫婦間に、政治家と有権者に、マスコミと我々の間に、学校と生徒の間に、生徒と親の間に、田舎と都会の間に、自然界と都市化した人間の間に漫然と立ちはだかる、大きく暗い解離の川だからなのです。
此れは僕の生業でもある、心と体の解離も此処を通過していかなくては、何分腑に落としていけないからなのです。
ですから、他者の登場よりも未熟な自分の人生をあからさまにして、其処から自分が洞察していくき気付けた事を発信していくしかない事が、僕の身体ワークの進め方でもあるのです。

その過程で四十年かかり腑に落ちた、植芝盛平合気道開祖の一霊四魂三元八力であるとか、伏流水を取り込むことで、此処まで滑らかに動きが変わる自分であったりと言う到着点でありながら、起点である今の自分にとっては、掴みたくてしかたのない物だからなのです。

写真家であるよりも、自然をも含む社会学として写真を撮り続けてきた星野道夫さんと同様に、鵜飼さんは、好井氏が言われるように、「他の文化や暮らしを調べようとするとき、当たり前に自分が生きてきた価値や規範等が、一つ一つ点検され、その意味が今一度考え直されていく。つまり、調べる者自体も、確実に変化していく、こうした変化の有り様は、当の人間がその後にどのように生きていくのかにも、大きな影響を与えることになる。」本来知るとは、知った段階で、発信者が立ち位置の変更を余儀なくされることに、繋がらないわけにはいかない行為であると、僕はつくづく思うんです。
ですからまだまだ未熟な故に、このようにblogで配信していると、自然と共に生きなさいと聞こえてしまいがちですが、書いたときにはもうすでに書く以前の立ち位置は、自分から剥奪されているのです。
そのたびに、苦悩が襲います。
自分の思考と配信する事が、どのように上手く書いても、抜け落ちるのです。
それでも配信しなければ、自分の錆を落とせないのです。

此れは身体の使い方、自然に対する考え方と行動のお越し方、その為にしてきた、様々な勉強でも言えるのですが、鵜飼さんは、大学で社会学の抗議を受けながらどこかが違うという違和感があったというのです。「其は、社会学の講義をいくら熱心に聞いても、其処には社会の現場が見えてこない、自分が見えてこない、そのもどかしさ。私が知りたかったのは、シャープな切れ味に目を見張るような講義を研究をなさる先生ご自身はどうなのですかということだった。そう言う風に切る先生ご自身は安全地帯にいるのですか、それとも先生自身をもシャープに切って切って切りまくっているのですか。どちらにしても先生ご自身は、とても辛く苦しいのではないですか。其処をいったいどのように、折り合いをつけているのですかそう言うことこそが知りたい学問です。」

此れがヨーロッパに教えに行って僕が突きつけられてしまったことでした。
まさか、生きる生業をプロの躍り手として成り立っている方々から、自分の職業の立ち位置さえも危うくなる質問が帰って来ようとは、思ってもいませんでした。
其が解るのならば、俺達は平気で踊ることから身を引ける覚悟があると、突きつけられるような厳しさでした。
彼らはダンサーの前に、自然をも含めた社会を生きようとする人間でした。
其処に大きな挫折と感動を得ました。
そうして、柱のないテントをたたみ、踊るという、動くという、せめて千年は持つ柱を探して、此処までたどり着きました。
柱は間違いなく見つけ、穴を掘って、水平をとって設置が出来ました。
その時に四隅の柱が四魂であると知りました。
四本の柱の中心は、宇宙観、自然観の中心でもある一霊だとも、やっとわかりました。
それでしか、中心が取れないからです。
そして今は自然界の中に三元を見つけ、自分の内部にある三元と、腑に落ちるまで検証を重ねることです。
其処が腑に落ちて、八力がバランスする重力の位置が明白になったときに、自分は、ヨーロッパで韓国でこんな未熟な僕のワークを絶賛して、受けてくれたプロの素晴らしいテクニックをお持ちのダンサーに、やっと答えることが出来るのです。
其は自分の未熟さで、途中でお伺いできなくなってしまった、無料レッスンを提供して、若いダンサーを育てるお手伝いをと思いやらせて頂いていた、スガジャズダンススタジオ新潟のレッスン生の方々にも、やっとお答えすることができるのでしょう。
聞いて頂く機会が有ろうが、無かろうが、僕は躍りと、教えと、自然界の結合点を何が起きようが不動の物にしない限りは、もう一歩も進めなくなっていました。
この場を借りて、お詫びさせてください。
シンチャン、そして新潟の素晴らしい生徒さん、尻切れトンボになったこと、お許しくださいませ。

鵜飼さんいわく、「無数の無名人々とか、喜びとか、悲しみとか、そんな綺麗な言葉を、全て頭のなかでしか考えていなかった事が、このときハッキリとわかったのです。」
好井さんいわく「鵜飼さんは民衆、大衆、色々な言葉を使えそうだが、名もなき人々が生きている現実、彼らの思いや感情が沸騰する場所に自らを置き、彼らの現実を調べたいと思った。其も他者の生きている現実を覚めた目で傍観するのではなく、その場の一員として、其処に生きている人々と思いや感情を少しでも分かち、其処から学問を試みたいと..」

もう自分は自然界の大いなる仕組み、そのものが意識しなくても、沸々と湧き出ている、伏流水のような動きにしか、自分が動けなくなったのです。
其処でもう一度、踊るときや振り付けるとき、ダンサーに教えることが来るのかさえも意識からはずしたときに(もう殆ど意識にないのです)ツマリ、躍りを意識から外れたときに、本当に湧き出る躍りとも認識できない動きと、自分が未知との遭遇を果たすのかも知れません。

鵜飼さんのお言葉素晴らしいので、自分を題材にしながら後二日に渡って、書いていきたいと思います。




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