新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る お山繁盛コーポレーション
今日は声楽家の個人レッスンで、日帰りで埼玉に行きます。
農林水産庁からも、面談の期日が指定され、未来のお山とお水、景観、生き物全てを、未来の子供達に残していくために、これもどうにか、越えていかなければならないでしょう。
今の僕らの特に都市部での日常を振り替えると、あまりにも殺伐としていて、例えば心の底から「美味しいね」と絶対なる信頼の感覚で、同意して一致することが、あまりにも希薄な毎日であります。
ここの生活では、毎日が自然界への旅でもあります。
何気に外に出て、ブランコに揺られながらコーヒーを飲む。
野性動物の鳴き声と気配が充満している。
きっと同じ水を飲んでいるのだと、フッと想像するだけで、えもいえね絆をお山に感じてしまいます。
日々のなかに、今日も空気が美味しいね、雨音が落ち着くね、今日のお山の緑は何て綺麗なの、お山にかかった霧が綺麗だねと、誰もが同意できる一致が殆どない希薄な生活が多く、そのなかで一生懸命形式だけの《絆》を無理につくろうとしていると、感じます。
八年ぶりに三回目の視聴を全巻した《グレートジャーニー》。
このお山でのキアスム事業を、僅かでも動かしはじめて観る今と、このままの生活では我々の日常から様々が消えていきそうだけれども、どのようにその一歩を踏み出して良いかわからずにいた、伊豆の頃の視聴とは、何処か全く違う視聴感でした。
もう縄文側の生活に足を踏み込んでいるんだなという、実感のもとで、共鳴する深さが変わったようです。
穀物が半年分しかないチベットの家族が、今年も又不足分の穀物を得るために、塩のないエベレストの先に、家族がひとつになってヤクに塩をのせて、半年の旅に出る。
ドイツ系アメリカ人の四人家族が、罠猟をしながら、二〇〇キロ四方誰もいないところで、自然界の恵みを調達して、生きている。
ふざけてニューヨークに帰りたいと、笑いながら話す。
それがいかにそこでの生活に満足しているかが、ジワジワと伝わってくる。
子供も皆それぞれに、生き生きしている。
塩をヤクで運ぶ親の仕事を手伝いながら、ヒマラヤを越えていく七歳と三歳の男の子も、父の仕掛けた罠に捕まった食の糧を同行する娘二人も、皆シンプルな生きるを、全身で生きている。
これが生きるだよなって、昔よりも今の体感と合わさって、ウワーと感じる。
伏流水のお風呂に入るとき、その至福感は、半端ではない。
まして、共にお風呂入る人が、せめて二十リットルでも良いから共に汲んでくる。
その景色、音がお風呂で甦る。
彼処から、ケイトラで共に汲んで来ただけで、全く違う。
これを贅沢だと、感じれたとき、都市部の贅沢と何かの根底が全く違う。
こんな事を体感できる、保養所を多くの人に提供したい。
別な方向の山にあがれば、見事に自然を利用した、養殖場や棚田、山菜松茸養殖場が連なり、自分でもとって、フロ上がりに自分達でつくった炭で焼いて食べる。
ましてや、来るたびに、都市部では出来ない建築の楽しさも満喫する。
一本でも六メートルの栗材を一メートル半の穴を掘って建ててみるだけで、その家への愛着は全く違う。
栗材とも、得難い絆を感じる。
こんな贅沢を、企業の戦士に体感して貰いたい。
何かが変わるから。
有るもので無から有を創り出せる自信が湧く。
そして、躓いたときに、ここに来たら発想転換が出来る場が、あるのとないのとでは、心の余裕が全く違う。
又、頑張って見ようと、帰れる。
そして、自分が一寸躓いても、零に戻して、プラスへの転換を図れる場があるとの、安心感がどれ程の支えになるか。
僕は、ここでそんな人生のガイドをしたい。
あえて行う身体ワークのような、理屈は全く要らない。
目的があった上での、体の使い方を、ベクトル平衡体での身体意識と十二感覚を、鍛えてお持ち帰り出来る。
体使って、子供にかえって、様々な材(木であり、魚であり、水であり)と格闘してみれば、素に出逢える。
自分を肯定出来る。
人と比べなくなる。
主張が要らなくなる。
自分で斧で木を倒して、橇を下手なりに作ってみれば、犬に引かせたくなる。
うまく滑らなくたって、良い。
滑っているときに、自分で一本の木を倒した、感覚が甦る。
そしたら、皆でゲルを手作りすれば良い。
今度は二泊で、犬ぞりでゲルでの贅沢を味わいに、いけば良い。
手作りのスモークを持って。
羊の胃袋にワインを入れて。
そんな場を僕は、提供したい。
そのうち自然に養老院も学校もコミューンも出来てくる。
だから、今日も人に水を届ける。
山に向かう。
きっといつか、企業の経営者もそのような場を持たないと、人が育たないことが解る時代が来ると信じている。
社員教育の前に、自然界の中で生きれるってナーニがあれば、随分と教育も楽になる。
そんな事を、僕のツールの様々なアーテイストや職人と共に、提供したい。
伊豆での食糧殆どなしで、枯れた水源地から水を見つけてから始めた、サバイバル三泊六十人のワークや、この地で重機体験でキャンプ場を拓こうワークを、積み重ねてきたのも、そこへの目標があったから。
その場を、創る事が、キアスム事業の内容です。
その場が水や加工品で収益が上がっている場に出来るから、訪れる人は、遊びながら仕事して貰い、村を創る遊びに殆ど、無料で没頭して貰えれる。
お土産も無償で手渡せる。
新しい《結》を実践出来る。
来るたびに、少年心が目覚め、全く新しい友人や家族が出来る。
そして、訪れるたびに、様々な方の手に託しながら、村が出来ていく。
今の刹那的な生活は、必ず解消され、人が生き生きと輝き始める。
会社にもメリハリ感覚が、生まれる。
下の土地で、学生や一般人のワークで、保養所を創りたい。
保養所オーナーを、企業経営者に是非ともなって頂きたい。
損は絶対にさせない。
社員にも家族にも未来にも、素晴らしい投資になるはずだ。
業者に頼む、施設では、愛着がわかない。
補修も自分達で出来る。
それが楽しみにもなる。
宿泊施設楝と、薪で沸かす伏流水風呂楝(地元部落民はただで、様々な情報交換が生まれる、例えばうちの余ってる土地や農地有効に使ってけろと)、食堂楝が、廃材とワークで二千万もあば、充分出来る。
全部が縦穴式とストローベイルでお洒落な建物に仕上がる。
全館ロケットストーブで、床暖。
小水力発電で、完全エネルギー自給。
トイレは、スウエーデンの自動堆肥装置。
井戸もあるから、全館エネルギーは、自給。
これを皆で創っていけば、勉強になる。
震災時には、様々な生活のサバイバルが身に付く。
親は子供にも親と違う側面を見せれる。
親の背中で教育が出来る時を持てる。
そして、自分達の避難所にも、子供たちの夏休み冬休みの自然学校にもなる。
そして、子供時代は、こんな場所で暮らさせたいと希望する家族が出始める。
そしたら、寮を創り、いよいよマサチュウセッツのオルタナテイブナ学校を創れる。
一緒に来れる母親には、お山繁盛コーポレーションの仕事を差し出す。
父親は単身で赴任して、週末に遊びに来れば良い。
そして、子供にも習って、建築や農林から科学を学べば良い。
発電などは、又違う科学を学べる。
七月末にスタート出きれば、大学生の夏休みに重ねて、八月から十月でワーク参加者を、公募しやすい。
そうやって、参加者からどんな老後を過ごしたいかと、セッションしながら、老後も食える、時代にマッチしたビジネスを皆で創っていけば良い。
新しいアパレルだって起こせる。
企業は、年金という、負担を無くせる。
そんなことを、何としても実現したい、お山繁盛コーポレーションのクラブハウス楝である。
ヨーロッパの市民農園の、クラブハウスはカッコいい。
市民農園でありながら、全国への宅配にも成功して、自給率を高めた。
これからは、アマチュアの時代だ。
アマチュアだから出来る、面白さがある。
芸術から生活の中にあるアートとしての芸能に移行するときだ。
これは、何れ観光のスポットにもなる。
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