新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る お山繁盛コーポレーション
山形の梅雨は、朝夕の寒さと日中の暑さの連続のなかで、ヒグラシが鳴く。
梅雨なのに、何処かに秋の気配が感じる。
常磁性の八個の山に囲まれ、更なる常磁性の強い山が四つ中央にある。
真ん中の山は、僕の感覚では回りの山と磁力方向が逆に出来ているなと感じる。
江戸の頃、病気の将軍は皆、この山形の伏流水を求めて、入山した。
そして、昭和天皇も、病気の時に御所山の山に来た。
それは、知っていたのかいないのかは別として、常磁性の岩山、十二個が作り出す32面体のエネルギーを、何処かで捉えていたのかも知れない。
常磁性の山には、必ず埋蔵されている金がある。
そして水晶が岩盤になっている。
クラスターが小さい雪国ゆえの、神の施しであると感じる。
凡人である民が、世を拓く時が今月から始まったように感じる。
単純に言うなら、科学技術よりも生活の知恵科学。
扱っている人が、科学とは思っていない。
理由は後付け。
自然の恵みで、ただ継承され磨いてきただけと、素っ気ないほどに自然体。
そこが何ともあっさりしていて、身軽だ。
科学技術はカリスマに仕上げてしまう。
カリスマ信奉は、もう要らない時代に入った。
だから今、多くの凡人に、宇宙から直感がおりだしていると思う。
凡人が、捉える生活の知恵には、すでに神も宇宙も存在している。
そして、何よりも、畏敬と畏怖が感じる、科学の実践でもある。
其を伝えれる、先人が、後十年もしたら、この地球から旅立つ。
新しい世界を拓くのに重要な鍵となる、生活の知恵の伝導者達が消えていく。
インドネシアの船大工は、隙間から海水が入らないように、珊瑚を薪で燃やし粉化して、油とコットンで練り混ぜて、船に塗る。
インドネシアでも、殆どこの知恵を知っている、船大工は限りなく零に近い。
あまりにもかっこいい。
零から有るもので創り出す。
神の仕事だ。
自然界という神は、僕らが生きていく上で必要なものは、全て与えてくれている。
僕も凡人のなかの凡人を生きたいと、一つづつ仮面を剥いできた。
そして、お山から、伏流水を生で届ける事が、言い渡されたように感じて今を生きている。
世の中が逆で作られている中で、自然界の声に従うことほど、大きな壁はない。
それほどに、自然界の声を押さえ込むことで、人類が発展しようとしたからである。
その時中心は、人間になり、その中央にピラミッドをイメージして、TOPダウン構造を作り出す。
自分を中心において、物事に接しているとき、人は無意識に仮面をつけるしかない。
この事実を知ったときは、何故これほどまでに、仮面を持っているのかと、驚いた。
自分の仮面がなくなるほど、自然界が中心であるとの、確信を持ち始めた。
それは、頭で知る感覚とは、全く違う事でひれ伏すように、体で知ることである。
自然界の意思に任せてしまう。
素晴らしい仲間が、昨日のblogは、読み手にとっては、ふらついている僕を感じるから、弱気なように感じる事は、書かない方が良いよと、教えてくれた。(解釈外れたらゴメンなさい)
先ずは有り難う。
ただね、自然界の意思に任せてしまっている、弱い凡人だから見える、自然界の力への期待感でもあるのです。(きっとそれもわかってくれている)
自然界にひれ伏して、歩く道は、例え失敗しようがそれは、続くもののデータになる。
僕のこの伏流水の活動が、子供たちが待つ駅まで到達出来なかったとしても、怯まずとにかく見えない先に一歩でも行くのなら、道は結果出来上がる。
その時、そこから又先に歩くものは出る。
継承される。
けれども無敵のアメリカンヒーローでは、道にならない。
もっと文章が上手ければ良いのですが、キアスム事業を生み出す航海日誌なので、昨日ぐらいは勘弁してください。
僕は本当に、弱い人間です。
この活動が進むたびに、実感する。
人間は、強くなって、奢ってはいけないって。
だからこそ、自然界の力を信じれる。
自然界に任せられる。
きっと《自分力への絶望》そこが、スタートだって言う事だけは、確信出来るのです。
だから、自然界全体という拘り以外は、人間サイドの拘りを一回捨てて、自然界のように、オールOKから始めてみる。
無駄な生き物はいないように。
常識とは、自然界の意識だと思うのです。
人が作り上げた常識が常識なら、原発は作れても作らないはず。
例えばインドネシアでの、森林崩壊は、都市部の高い志のナチュラリストに受ける、天然のヤシの石鹸。
化学工業石鹸を拒否しながら、実はインドネシアの自然を壊している。
オーガニックて、何か?
オーガニックをグローバルに仕上げたときに、更なる環境破壊が生まれる。
インドネシアに、広大なヤシの畑が広がったときに、虫も鳥も全体性を失う。
よって害虫やら、害鳥が作り出される。
電位の高い水を機械で汲み上げた時に、電位が奪われ、殺菌が必要になる。
そして、水は安全性のみが重視され、自然が作る天然の薬でもあり、栄養分を体の隅々に運ぶ触媒でもある、森のオッパイであることも、除去される。
赤ちゃんに何故、お母さんの天然オッパイが必要か。
それは、免疫を作り出す。
伏流水も同じです。
だから、不思議に、野性動物には放射能の影響が、報告されていない。
体に入ってもデトックスされてしまうのでしょう。
自然を壊さずに、頂けるレベルに納める。
そうすれば、永遠に創り出してくれる。
後は、人の都合での山の植生を変えてあげるだけ。
けれども個人で山を持っているかたは、お金がなくて使わない針葉樹を切ることも出来ない。
ほったらかすと、土砂崩れを待つだけ。
土砂崩れの後に、掃除することも、お金がなくて出来ない。
するとお山は公に没収される。
公では、コンクリートで固める。
更に広葉樹に、フルボ酸鉄が行き渡らない。
よって虫食いが始まる。
何れ水は枯れる。
人間も動植物も電位の高い、フルボ酸鉄入りの水を飲まなくては、生命維持が難しくなる。
だから、都市部も田舎も一体になってお山を回復させて、それが生み出す、本物のミネラルウオーターを飲んで、お山が豊かなら、心の病気も体の病気も少なくなった、サプリメントに頼らなくなったと、実感しながら自然界の一員に、もう一度戻らなくては、子供達に本物の水さえも手渡せない。
そこに又、化学医療がお金を牛耳る絶好の機会と待ち受ける。
極端な事を言えば、神田川の水を飲んでも、病気で死なないワクチン等も、結果出てくるでしょう。
もう東北端山の針葉樹は、切り出す時期を有に越えている。
いつ崩れてもおかしくない。
後五年は持たないでしょう
取り合えず、余計なこと一切しないでも、安全で美味しく健康に良い水は、お山が創ってくれているのですよ。
きっと健康ももれなくついてくる。。
自然界全体の生命維持装置からかけ離れた、自分の興味の対象は、一回手放そうよと言う事だけ。
自分は、そうやって、躍りから一抜けた。
だって僕と言う媒体が自然界のエネルギーで、動いてはいなかったから。
それよりも自由に猿のように、山を登り下る。
お水を汲む。
こちらの方がダンスに見えてきちゃったのだから、仕方がない。
野性動物が駆け回る姿に、バックグラウンドミュージックは要らない。
ギャラリーも要らない。
Android携帯からの投稿