あらえびすブログ

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アシンメトリーな脳はそれだけで旅をする運動だ第二章 その4

     アシンメトリーな脳はそれだけで旅をする運動だ 第二章        
           吉本隆明さんが仰有っていた             
            「自分の拳に託せる以上の政治は語らない」                           についての東出融自身の考察エッセイ        
           内田樹さんと高橋源一郎さんの対談本             
            「ドンドン沈む日本ソレデモ愛せますか?」                           を読みながら身体から思うこと!  その4
 
 伏流水の余剰金で創る学校のスタイルはズット探して来ました。
息子がシュタイナーには行っているけれども、素晴らしいけれども僕には身体の何処かがしっくり来ていなかったのです。
其処でこの対談本の最後にこの回答がありました。

和歌山にある、「きのくに子供の村学園」。
調べて見ると、現在東京、湘南、沖縄、西日本に確か四ヶ所ほどありました。
シュタイナー学園と同じく認可を受けています。
でも、その内容はシュタイナーどころではない立ち位置なのです。

学年がない。クラスがない。先生がいない。
だから生徒というたちばもない。
カリキュラムもないのです。
そして一日の半分位は演劇に関係のあることやっていてその合間に僕らがシンメトリーな脳で言う授業があるのです。

「この学校のモデルになった原型の学校がアメリカのマサチューセッツにあり、 この本で紹介されています。
一応先ずは僕から割愛しながら説明します。
その後に文章から引用させていただきます。
此れは更に核心的です。
自分も水の活動が軌道にのったらすぐにでも見学に行こうと決めています。
その学校はサドベリー.バレー.スクールと言います。
四歳から十九歳までの生徒が通っています。
ここも勿論、クラスがない。
学年がない。
いるのは先生じゃなくてスタッフ。
対等の関係でいるからお互い名前で呼びあうのだそうです。
此処では本当に授業もない。
そして何をしているかっっていうと、ずーっと遊んでいる。
教師役の人は一切何にも教えないそうです。
子供たちが自分から教えて言うまで教えない?  
そう!だから、十歳で読み書き出来ない子がいる。
結局、どうなるか。卒業というものはないのだけれども、最終的に全員が読み書きができるようになって、しかも普通の学校より成績がいい。
ではどういう風に勉強するか。
子供が自主的にそろそろ数学を勉強したいのですがと言って、
九歳から十二歳までの子供が何人か集まって、スタッフに頼みに行く。
そしてスタッフと契約を結ぶ。例えば毎週、火曜と木曜の11時から30分ずつ教えるっていうように。
その約束を破ったらもう教えない、って言い渡す。
こう言うやり方で小学校六年分の授業が二十四週間で終わっちゃうそうです。 
今までもトータルで二十四週間以上かかったことが一回もないそうです。
だから十歳で始めても、十歳のうちに六年分が終わる。つまり本来子供が持っている、学びたい能力をのばすと。
だから教師に必要なことは、いかに教えるのを我慢するかということ。教えないから何年もずっと釣りをしている子供もいる。
その子がのちにどうなったかっていうと、コンピューターの専門家になっちゃった。
当人に興味が出るまで何にも教えない。
一日森で遊んでいる子もいる。
で、このがっこうの一番すごいところは他にある。
ここには、意思決定機関というか、一種の会議がある。
校則も経営問題も教師の採用や解雇も、全部其処で決める。
生徒とスタッフ全員の投票で決まるんだ。
週に一回全員が集まって、四歳から十九歳までの生徒とスタッフで。四歳児に一票なんて頭おかしいと言われるよね。
でもこれ、実は民主主義の訓練何です。
創立者の本も読んだことがあるのだけれども一番教育で重要なのはそこだとかんがえている。
マサチューセッツタウンミーティングの本場なんです。
全てを自分達で決める。
自己決定。普通に考えると、子供に投票なんかさせたら、絶対におかしな結果になるでしょう。
ところが実際は、子供には知恵がある。
例えば裁判やるでしょ。
ちっちゃな子が何かを訴えるばあい、字がかけないので上の子が書いてあげる。
其処で話し合う。当然、失敗も付きまとうけれども、最終的に全ての結果責任、その生徒たち自身が負わなきゃいけないので、凄くシビアなシステムなんですね。
教育のシステムがいわゆるフリースクールの延長上にある。
もうひとつは民主主義、学校の中心にあるのが自己決定という考え方。
子供が自ら学びたいと思っている力を見つけて伸ばすことと、その事について自己決定できること、この二点だけだっていうんだ。
其処にはいじめというものが一切ないと書いてある。
クラスがあるからいじめが発生する。
そもそも学年もクラスもないから、いじめが生まれない。
学習障害といじめは発生したことがないって。究極の性善説だって言えばそうだけれども、それだけじゃなくて "人間にはもともと能力が備わってますよ!"と考えている。
だから大変なのは先生で、生徒が何をかんがえて、何を求めて、どうしたいかをずーっと見てなきゃなんないから。
イギリスの有名なサマーヒルスクールという学校とこの学校が世界のフリースクールの二大巨頭といわれている。
凄く反発があったり、眉唾ものと決めつけて嘘だろって見に来て、本当にやっているからビックリして帰るそうです。」

この長い引用文は絶対に割愛したくなかったのです。
シュタイナーに通わせながらも、まだ腑に落ちていなかった僕はこのタイミングでこの学校を知ったことには、見えないけれども凄い力が作用したと思っているのです。
是非ともマサチュウセッツのサドベリーバレー学校を検索してください。
本当に必要な時に出逢えるという力は受け身ではないのです。
そこまで身体性を持って動いてきたときに身体が自ら情報を見つけるのだと思うのです。
其を子供の時から教育として受けていたら、絶対に自分を信じれます。
学校のクラスも、今の会社組織も、国さえも、自分を信じれない人間が集まって集団を形成している構図だと思うのです。
だから身体感覚で放射能は扱えないって、当たり前の答が出てくると思うのです。
自分の身体が感じとる違和感を信じられないから、回りの同行に従ってしまう。
其が定かではないから不安を感じ、自分を殺し、イデオロギッシュな大衆心理に同調する。 第二次世界対戦突入と同じ構図が学校内で起きているのです。
勿論会社でも然りです。
それだものその不安から、いじめや引きこもり様々な問題が噴出するのも当然だと思うのです。

僕はどうにか3.11からのこの一年半でやっと自分を信じれるようになれたからお恥ずかしいのですがやっと解るのですが、信じられないときは全て意思決定を様々に結果委ねていたなと思うのです。
お任せメンタリテイーです。
その時にはそれさえも気づけないものですが。
自分では意思決定してるつもりですが、頭だけの意思決定だからきっといつも何かに怯えて不安で其をバネに生きようとする、イデオロギッシュの塊であったと思うのです。
内田樹さんと高橋源一郎さんがおしゃられるように、親父に反発した僕ら世代が女性性を獲得しておばちゃん的な父親を新たに表現する時代にいよいよ来たのだと思うのです。
此れは、男は擬似的な子宮を努力して確立しなさいと言う事だと思うのです。
子宮のない我々は自分の身体の場を先ず見つけ、零からもしくはマイナスから耕して、其処に自分の種を蒔く行為を何かで体感する以外にないのだと感じているのです。
それこそが芸術活動です。
そして其は都市的な生活形態からヒントを得ることは先ず今では、不可能だと僕は身体の体感から思うのです。
まだ父性を実践した戦争を知っている親父世代は、僅な瞬間に焼け野はらと化した都市を身体感覚としてしっかりと体に刻まれています。
だけれども「戦争を知らない子供たち」を聞いて育った僕らに今度は津波原発が来たのです。 まだ気づかないのかって。  
2012.8.7NHKで放映された原爆黒い雨は、此処まで真実を隠蔽する構造はなんだろうって深く感じました。
原爆後とメルトダウン後何も変わっていない。
僕らが変わっていない。
だから起きてしまう。
事を変えて同じことが。
じゃあ何を変えるかって、ズット人生の中でチャレンジしてきたのですが三十代始めに違和感感じ、やっと違う立ち位置にたどり着くまで、二十年もかかりました。
約七十年かかってその真実が露になり始めた原爆。
今回の原発も同じく七十年費やして、いまの子供たちに憤りを感じさせては申し訳ないと感じるのです。
だから変えるのは生きる方法そのものの変革だと。
そして其はどういうことかと大人が身体で先ず掴まなくてはならないと思います。
そしてそういう教育の「場」子供たちにつくってあげること。
育つまで意味のない間違ったシンメトリーな社会性から隔離する真空地帯をつくってあげること。
子供に小さいときから空気をよませることが教育ではないと思うのです。
宇宙は真空です。
その中にあるエネルギーが生命を生み出すのです。
だから宇宙まで含めた世界と僕らが同じミクロコスモスならば今必要なのは真空地帯のアジールです。
僕は真剣にこの霊的動植物のテレトリー世界が側に横たわっている事で、アジール的な気配が残るこの地に何としてもその真空地帯の教育現場を生み出したいと強く思うのです。

首都圏直下型は三年もしないうちに来ると言われています。
その時暫く住めない首都圏の子供は田舎に疎開するしかない状況に、きっと間もなく追い込まれることでしょう。
だから其までにはこの自分が身体賭けてつくりだせるものは、ほんの細やかなものかも知れませんが、それでも何としても生み出さなくてはいけないのだと、強く身体が求めているのです。 身体が真剣に求めたときに底力があふれでます。
それが起きてから原発のように動くのではなくて、先にその後の教育の在り方を示せるロールモデルを準備しておくこと。
大人が、起きることを予測できているものが準備すること。

其はもう自分のなかでは言葉ではなく、確かな実感です。
だからこそ自分を信じれるようになりました。
この古民家の再生を約三週間でやり遂げた事や、もう一軒ある二十年以上住んでいないごみだらけの古民家を二週間で片付けて、風通しをよくした身体は 其を成し遂げた結果以上に、身体が決めた時間内で結果全てを終わらしたという、身体が決めたことは実現するんだという実感であり自信でした。
この身体という乗り物を信じれる力です。
この世では身体を乗り換えることは出来ないのですから、乗り物をメンテナンスして磨くしかないのだと思うのです。
其は頭でなしえるという意思とは全く違うものでした。
もうそうなるんだって、身体が知っている感覚です。
頭でとらえている限り偶然です。
けれども身体がとらえた瞬間に必然になっているのです。
偶然も必然も同じ土俵の言葉ではないのです。

調度オリンピックをやっていますから引用しやすいのですが、負ける気がしないというその感覚そのものです。
だからこそ身体性を今大人が、真剣に取り戻す必要性を感じています。
身体性があると沈みいこうが日本を愛せます。
この日本で生まれた身体は日本に一番適合する事を誰よりも知っています。
もう日本は駄目だよと海外に行くのも構いませんが、全員行けません。
そして海外にいても身体が帰れば其処に身体が落ち着く「場」という全ての感覚で知る空間を知っているから、まだ安心して他の国に居れるのではないでしょうか。
原発、いじめ、自殺、リストラ、離婚、家庭内離婚etc。
この様々な根本に深く横たわる問題点は、身体を置き去りにしてつくられた生活スタイルの結果なのだと僕は確信しています。
日本人は絶対に身体性を当たり前に持てる民族に必ず帰れます。
きっとこれからの十年沢山の決断を迫られる時が来ます。
この十年、一人一人が身体の自己決定に身を委ね、誰かのせいにせずに細やかでも現実にアシンメトリーな脳の構造で、新しいロールモデルを作っていくならば2030年には全く新しい豊かさを手にした日本が本当の戦後のスタートを切り、アジア共同体を温和から涌き出るリーダーシップで引っ張っていくことになり、それこそが戦争責任を果たしたことになっていくのだと信じて疑いません。
ですから「自分の拳に託せる以外の政治は語らない」この身体性に自身を委ね、そしてそんな小さなものなら不格好だからもうイデオロギッシュで行こうと逃げずに、自分の身体が身体サイズで導き出した政治を、力強くも優しく生活全てで実践し始めたときに「ドンドン沈む日本をソレデモ愛せますか?」この問いに迷うことなく、イエスと答えれる自分と出逢えて行けるのだと思います。
そのイエスと答えれる事を欲する方々との、温かくて楽しくけれども真剣な立ち位置を共有化できるという、贅沢だけれども当たり前な出逢いを今強く必要としております。
身体性のこと、伏流水代行汲み上げ業務のこと、オルタナテイブな学校や養老院のこと、ご興味ある方は是非ともご連絡してください。
真剣にお待ちしております。
今後サドベリーバレー学校東北の立ち上げ準備委員会なるものを発足させます。
未来の子供たちの「場」を創作することにご興味のある方、何かの形で協力をしたい方
ご連絡をお待ちしております。        2012.8.13                   ホルモン流儀  縄文百姓芸術団  あらえびす                                              代表    東出  融 


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