新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る お山繁盛コーポレーション
さて今日は、アートテンの方とお逢いするために、高畠に行きます。
アートテンは、キアスムの思考で、農法を立ち上げたモノです。
東京の講演会でビビット直感がはたらきました。
そしたら山形でお逢いできることに繋がりました。
フリーエネルギーも、キアスムで考えていきられている方が生み出しているかどうか、そこが僕なりの判断です。
先に思考ありの調和からの行動でなく、先にキアスムで、直感で事を動かしていられるかが、ポイントです。
この二年で、移行期の準備が現実にどこまで、進んでいるかだと感じます。
きっとエネルギー事、環境の事、食の事、経済破綻の事、全てが同時に来ます。
其々に与えられている、使命があるので、完全に全てを用意出来なくても、そこに気をとられずに、自分の使命に邁進していくなら、そこには不完全なモノを扱うがゆえの、問題点が出てきますが自分の使命の動きをとめずに、見えない未来を進むと鍛えれるのがキアスム思考です。
キアスム思考は、先に光が見えて進むものでは、身に付きません。
だから鼻、口、皮膚、耳の順番で最後にやっと目に見えるモノ。
その見えない目標点を《ウ》で着目しつつ、《ア》で捉える円形の大きな可能性の中にある四つの点を、鼻、口、皮膚、耳の順番でとらえながら繋いでいくと、結果螺旋になります。
《ウ》だけでは、居着いてしまう。
捕らわれてしまう。
だから心では、《ア》の状態にいながら、《ウ》で目標設定をしていく。
目標設定は、人でも技術でもない。
全ての人が、生き物が、結果共存しながら成り立つ、点です。
《ウ》に出逢うと、肚の底が反応して、これだと捉えます。
このときに《ウ》が着目している、目標物の遥かしたから《オ》が立ち上がる予感が生まれます。
まるで、ザトウクジラが海の底から海面にJUMPするような予感を、カヤックの上で捉えたように。
これで天からの円形が肚という、無意識から、三次元に立ち上がって来ます。
これを心で《オ》に《イ》で繋げながら、《エ》で分けると言葉は、《エイ》と掛け声が現れて、無意識から生まれた卵を割り分けます。
《イ》が天から地上に降りて《ウ》を割ると、地底から《オ》が天に向かって御柱を建てます。
これが薪割りでは、見事に身に付く練習になるのですが、薪をどれ程割るかの前に、動きと螺旋思考と母音が動きを起こしているかを、意識して、身に付くまで繰り返す。
結果は後からついてきて、形を作り出した時には過去に、その記念碑としての結果が立っている。
先に形を見据えて、物事を成し遂げる策を練って、目標に近づいていく思考こそを勇気を持って捨て去る事が、キアスム思考実践への一歩です。
練るのを頭でやるから悩む。
だから肚で練る。
だからこそ、体感しない情報はあえていれない。
人のパターンを自分に当てはめない。
不安であっても、体感はワンネスだから己の体感に向かうしかない。
体感したから次への螺旋が生まれる。
その時、次の《ウ》は、そこに現れる。
そしたらウアー、エイ、オーで次の卵を自ら産み出し割る。
割れるまで。
これをどうしても割るなどと、思考をとどめない。
動かないモノに、僕らは思考を使いすぎて来ました。
その為に、変化することをおそれ、旧態依然の思考に鎮座します。
ここでこそ、狩猟採取の頃の思考を、体に呼び戻さなくてはなりません。
結果が出るまで。
そしてその時、瞬間の目標を深追いしない。
しばらく《ア》の全体思考に置いとけば良い。
そうすると、違うものが動きやすくなり、気づくと先程の《う》が違う母音の役割を果たしながら、螺旋状に向きを変えながら動いている。
そうすると、それが《ウ》の位置に来たときに、不思議と割ることが出来たりする。
割る前に、《オ》の囁きが何故か感じれるようになる。
これは、習うことは出来ない。
場数を踏むのみ。
だからこそ、停まって思考している暇も、自分の殻に閉じ籠っている暇もない。
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