新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞
昨日の美し国の長谷川お仏壇会長のお話は、内容と言うよりも71歳とは思えないエネルギー、そして生き方にパワーを頂きました。
怖がるな勇気をもて、魂がピカピカになるように、命をかけてるか?
このためだったら、死ねる覚悟で生きているかの叱咤激励、そして頭の低さ、全ての人に拓かれた魂を拝見して、此方も迷うことなく、お手紙をお渡し出来ました。
夫婦で感動と、この魂のミッションにかけてよかった事を、再確認出来ました。
昨日頂いた資料から、長谷川会長が高校の頃の年末に書いた、日記をご披露したいと思います。
昭和33年の大晦日に書かれた物です。
十二月三十一日 曇時々雨
昭和三十三年度、1958年も二度と来ることがない。
明日からは、昭和三十四年、1959年新しい年が始まる。
顧みると、僕にとって変化の多い年だった。
生徒会長を務めたことは、私にとって、非常なプラスとなった。
精神的にも、行動的にも落ち着いてきて、軽率な態度を慎むようになった。
しかしまだ、思想の統一は出来ていない。
己を忘れやすい。
よく考えられた結果ではないが、人生をこうみている。
人生は、永遠から見れば、ほんの一秒にも満たない。
そして永遠という暗黒の世界に、永遠に連なる魂が、僅か一秒の花を咲かす。
それは天の神から授けられた、最大の、無上の恵みであり、情けである。
美しい花を咲かすか、蕾で朽ちてしまうか、毒を持った花を咲かすか、咲くことを知らないでいるか、それは努力次第である。
天という神は、美しい花を咲かすことを期待しているであろう。
永遠の魂の価値は、この僅か一秒の問いに決されるのである。
私はこの一秒を、美しく生きねばならない。
美しい優れた人生を送りたい。
私にとって、善き年だった。
悔いはない。
昭和三十三年よ サラバ。
僕は五十四歳五月の月末に、遅ればせながら長谷川会長の高校生の頃と、同じ事を思いながら、長谷川会長にお手紙を書いておりました。
僕の生まれるその三日前に、このような素晴らしい先人が、このような生き方を試み、魂を生きられていた事に感謝です。
会長は九州で高校生、僕は北海道で母のお腹の中から出る直前、この日本に魂で生きると決めて生きるを綴りながら、今五十四歳で出逢えたことは、一つの奇跡でもあると感じました。
小さな出来事は、必ず大きな出来事と連なっている。
これは、端山信仰が色濃く残る山形の里山に暮らして、体から知ったことです。
それが解ってから、僕はひたすら、お山の連なりのように美しく生きたいと、お山の連なりのように強く生きたいと、お山の連なりのように諦めず事を三次元に抽出していくと決めて、魂を生き始めていると、自らが実感しているこの頃です。
僕は、必ず一輪の花を咲かせると、この宇宙に告げてお約束をしています。
会長は懇親会で、「この体が日本だ!」と、魂からのお言葉を発せられておりました。
その言葉は、僕の魂に更に火をつけてくれました。
本当にもう遠回りが出来ない。
魂の花を咲かすこと以外に、時間を割くことは許されていない。
よそ見をしたら、蕾で朽ちてしまう。
会長は、後二年後の日本に、憂いを感じられておりました。
中国がアメリカを軍事的に抜くのは、後二年。
その時にどのようにアジアが変わり、一気に更なる軍備優先拝金優先の世界になっていくか。
それを阻止できるのは、日本以外ないのだと。
僕らに染み付いた生き方以外、世界が愛一杯で包まれて、愛の大気で包まれた地球には出来ない。
だからこそ命をかけて惜しくない。
僕らが世界を牛耳ようとしなくても、国は生きれるを見せなくてはいけません。
今の経済は搾取です。
大きなメーカーのお水は、海外の自然を搾取しています。
もう日本で一番買われているお水は、ベトナムの農業を破壊し始めています。
我々の無関心が、海外の食糧生産までも、犯しているのです。
中国が軍備世界一になったとき、アジアの小国は、食糧も飲み水も中国主導のもとで、よくわからないものを輸入し続けるしかない。
これは、日本の商品流通が一番荷担して早めているという、自分の体さえも食べていく、癌と同じ事を自らの生きるための環境だけではなく、他の国の自活して生きれる道さえも、遮断し始めているのです。
もうスピリチュアルゴッコをしている暇は、本当にないのです。
水源地を、買われる心配や対策も必要ですが、それが日本発の日本やアジア小他国の環境破壊では、もっとたちの悪い無関心が作り出した、山岳崩壊です。
水源地の本当の生の状況が、問いかけてこないペットボトルでの水の購入は、何れ日本が世界によい意味で孤立して、自給圏の中で、慎ましく愛に満ちて生きる為の大きな一つの資産を、自らの無関心がつくりだすことに繋がります。
どうか、共に蘇りトラスト事業に参加してください。
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