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あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞

キアスムビジネス思考を鍛えものにする為に

今日から三日、東京です。

徐々にではありますが、一角獣の顔を持つ自分で、都市でも田舎でも生きれる融合体に、なりつつあります。

昨日は玄米ユニット能楽堂コンサートで、配って頂ける伏流水からの活動チラシを、オケイチャンの依頼で創ることを授かりました。

その前に、関係している方に、お手紙を出したり、メールで文章を送ったりしていることが、僕のなかでリニア世界でも文法的に通用する、ループな思考によって生まれでたプランをねじ曲げ交差で、ヤット示せたなと感じれる文章に仕上がりました。

始め創った内容は、キアスム構造による捻れ交差方法がわからなかったので、昔からそうですがこの三次元の平面土俵に抽出してみると、とても理解されない文章でした。

それは、ワークも縄文百姓芸術団の活動チラシも同じでした。

というか捻れ交差構造が、ハッキリと頭に浮かばなかったから、ループ思考をリニア思考に変換できなかったのです。

リニアをループで表現する、前衛現代芸術はまさにそれです。

けれども下手くそでもやっているうちに、真っ直ぐの針金を綺麗な螺旋形態にすることは、其ほど困難ではなかった。

しかしこれでは、あくまでもイデオロギー

それに苦しんで、岡本太郎画伯で言えば、太陽の塔の《肚の野生顔》《背中がわ腰のシャーマンの顔》《合金の左右均等の偽物の登頂の顔》ですが、偉大な岡本太郎画伯のこの作品を提示した、グローバル資本主義まっしぐらの大阪万博開催の時代は、肚とシャーマンを自分の中で融合するほど、リニアの世界での顔と異質になっていく矛盾が抽出された時代だからこその作品でしょう。

しかし太陽の塔という名前に、何処か太陽暦に変わる時代を感じ、矛盾したことを隠す優等生の顔は、数々のリニア発展を競い逢うパビリオンを見て、肚は民族多様性を表現するステージを見て、その更にアラヤシキの深い腰では、太陽を感じている。

今、まだ生きておられたら、きっとループをリニアにもう一度置き換えて、ループあってのリニアを表現なさったと感じています。

岡本太郎画伯の絵が受け入れられずらいのは、岡本太郎画伯の才能やタッチの問題ではなく、彼があまりにも素直にその時代のカオスとカオスの自分を持つのにそれをひた隠し、表面ではにこやかに能天気に振る舞う、今に繋がる現代社会への、問題を彼自身が孤立しながらも生き抜いた軌跡であると感じるのです。

これは、今遅れて、僕らにも多く現れて来ています。

自閉症(アスペルガーなど)、ネガテイブ、自殺、無関心、無気力、知らない振り、投げやり等々。

けれどもある意味全員が、同じループの自分をリニアの土俵で、どのように表現して良いか迷っているだけだと思うのです。

だから、精神的疾患、このシッカンというリニアだから言えてしまう、名付けが怖いと思います。

岡本太郎画伯からみたら、僕などまだまだ孤立していませんが、団体の中にいるほどに孤独を感じました。

けれども、人は人と繋がってでしか生きれないもの。

けれども繋がる媒体が全て良い意味での優柔不断なリニアではなかったり、暴走族の時代やヒッピーの時代や学生運動に代表されるようにリニアの世界にループをそのまま表現して、蛇行する
形式では実現しなかったのです。

不思議です。

暴走族も学生運動も蛇行します。

直線に動くことへの抵抗。

ヒッピーは、ループしているようで、グルグル回っているだけでした。

上昇も下降もしない平面での、ループしたつもりの形式です。

だから僕にとって、その様々がつくりだす文化の形状はとても魅力的なのです。

自分のここまでの軌跡で、如何に蛇行したり、グルグルと堂々巡りをしてきたか。

自分では、堂々巡りしている気は一切ないのです。

一生懸命螺旋で動いているつもりでしたから。




曲がった癖を持つ固い針金を真っ直ぐにすることは、困難です。

子供を真っ直ぐに矯正するは、この行為でしょう。

何れ蛇行してのイデオロギー反発か、堂々巡りで閉じ籠るかに終止していきます。



ループを平面のリニアの世界に抽出するには、真っ直ぐに12時の太陽の方向に向かって上昇するベクトルと、四方に伸びるベクトルの五点を作り出す、計三本のベクトルが生まれでる必要があり、それがピラミッドをつくりだすのです。

ループ思考をリニア思考の三次元に抽出するには、キアスム構造で変換させピラミッドの形状に移行するしかなかったのです。

お山は、それを知っていて、ピラミッド形状に成長して行くのでしょうか。

お山は、間違いなく生きていて、僕らを知覚しています。

僕は自分が体で掴んだ幾何学を持って、社会の新たな仕組みを抽出しようとしています。

これは、中沢新一さんをはじめ、様々な知の分野でこの知的な冒険が始まっています。

その途中には、祖の時代の縄文や現代アート等をレビーストロースのような哲学、先住民の神話、祭り、建築物等を一色単に混ぜ合わせたカオスから、もう一度全く違う三本のベクトルを抽出しなくてはなりません。


例えば、玄米ユニットさんのフサエさんの、個人レッスンで思考のキアスム構造が働いていないから、声に限界があったことがわかってきたのです。

個人レッスンは、ピンポンですからお互いの相乗効果で、気付きの連鎖が凄い早さでおきて、一回目もそうでしたが、思考が疲れたという感覚になります。

考えられないというリニア思考の限界とは大違いなのです。

ウサギおいし、かの山♪

これをまずは歌っていただいた。

しかしこれでは、歌詞が肚とつながらないのです。

作詞者以外は無理でしょう。

しかしこの歌詞を捻る比喩に置き換えて、肚の言葉に変えて、それを肚では出来れば縦書きのカタカナでスラスラと読みながら、肺では四方に広がる歌詞の情景を浮かべ、頭では、文法的にも意味をなす歌詞をそのまま浮かべるときに、声の出方、響きは全く違ってくるのです。

これをビジネスでなし得れたときに、大変なマジックが生まれるでしょう。

これこそが魔術でした。

魔=ループ多次元をリニア平面に生み出す術(スベ)こそが魔術なのだと感じます。


法とは、保持するものを差します。

魔法は、ループ多次元の自然の成り立ちの形状が生み出す術(魔術)、それを保持するものを扱うということでしょうか。
 
武道と武術、医学と医術の関係ににています。

しかし芸の道と芸術はにていますが、芸能になると何かが違ってきます。

民間芸能。

この能は能楽堂の能でしょうか。

能とは、物真似や滑稽劇ではない見世物。

例えば芸能人と言うけれども、今の芸能人でこの物真似や滑稽劇ではない、芸能者がどれ程いらっしゃるのかという疑問符が生まれます。

この物真似とは、芸能人の物真似という安易なものではなくて、ループ多次元から自らが思考を捻らせ交差で抽出したものかどうかだと、僕には感じられます。

所謂《one》です。

民間という庶民の生活の中に転がっていて、よーく見ていないと見失うようなものから、それを捻らせ交差させて、リニア思考の土俵で見せれるものに磨きあげる事なのだと思うのです。

けれども、中途半端な田舎ほど、都市よりもこの感覚が気迫になり、都市が更なる都市を見て、窮地にたたされております。

僕が十年暮らした札幌も、今日新幹線に乗った仙台も同じです。

限界集落から生み出されたどろどろのループカオスが、如何に野生の姿を残し主張しながら、リニア平面思考に現れるようにするのか、これが今から未来に繋ぐアートの背負わされた責任だと、犇犇と感じています。

僕には今、伏流水事業によって生み出される福祉事業により《伏祉事業》という総合化されたミッションに出逢い手にした垂直ベクトルと、地中にあるループ構造の根はお山に限界集落に暮らしてお山から教えてもらい、持つことが出来ました。

そして一本の平面での二点による水平ベクトルも、皆様のお陰で持つことが出来ました。

これは、《I社》であり、《美し国&ピュアライフ》です。

ここがどのような関係で今後、ネットワーク事業同士として間接的に関わりを生み出すことになるのかは、ループカオスしかまだ知るとよしもありません。

そして後二個の点が作られるもう一本のベクトルに行き着けた時に、このキアスム構造によるビジネスがこのリニア平面に産み出されていくことには間違いないでしょう。

その時に、ピラミッドが作り出す螺旋が、この平面思考の市場にも息を吹き替えし始めます。

きっと竜巻は人工的な端山構造の住宅を創ることで、解決できると思っています。

そこには、はじめて僕らが経験する、《人間界と自然界の絆》を生み出すことができ、この絆によって、はじめて生み出せる人間界同士の絆なのだと僕には感じるのです。

明日は、新しく作成した短いA4一枚の活動チラシを載せたいと思います。









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