あらえびすブログ

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新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞

昨日は、ホームセンターでナットとネジを二本買いました。

キアスム構造を体が感じとるために。

昨日書いた内容をもっと見える形で感じとるために。

しかしこれは、薪割り機を修理している瞬間に思い付きました。


大きい方が無意識の意識自然界。

これが僕でツナグ。

細い方のネジがあなた。
広葉樹にしたら、太陽神。

僕は自然界とあなたを繋ぐねじれ構造のナットで繋ぐ《穴》。

僕には、このナットを肚につくらなくてはならない。

この捻れ交差の《クム》こそが僕でなくてはならないのでしょう。

結果として、広葉樹の形態が現れるのです。





そして、実は寝室の天井に貼りたいと一月前寝付けなくてベッドの中で検索して見つけたオランダ製の、四メートル×三メートルの薔薇の絵画壁紙。

これがスロベニアの鍾乳洞の中にあったのです。

百メートルも高さのある洞窟の天井に鍾乳石が美しい薔薇の文様を、天井にイッパイイッパイに描かれていたのです。

最近良く聞く、キリストの姿が石に現れたとかと、にているけれども、遥かに違うモノです。

僕は始め天井に曼荼羅を仕上げに書きたかった。

ロータスの花と曼荼羅を。

けれども自分では、今のところ時間がないので、貼れるロータスを探した。

それに曼荼羅の仏像や大好きなガネーシア等を切り取り、コラージュしていこうと。

そして見つけた、薔薇の絵画壁紙でした。

部屋中の壁や天井が赤のグラデーションなので、エロスの部屋になっていき、その結果の薔薇の絵画でした。

そしてこの薔薇の鍾乳洞の天井が、ダンテの神曲の天国偏のモデルになっていたのです。

僕はどうしても、動物や自然界と人間の関係の方に思考が行くので、石にキリストが現れるよりも、そこに引かれてしまうのです。

ですから、円盤型の雲よりは、龍神雲に引かれます。

対象性思考で生きたいと、非対称性の世界でもがいてきての、ある意味最後のベース作りが伏流水によるキアスムビジネスの始まりでもあるので、対象性思考が目指してきた、《人間の動物化、動物の人間化》に興味が絞られるのです。

動物の人間化は、デイズニーのなが〜いブームで僕らの世界にアニメ等で存在していますが、人間の動物化は、大好きなアニメ《狼子供雨と雪》や宮崎駿さんのアニメに代表されるものの、あまりに量が違う。

比喩こそが対象性思考の重要なポイントですが、動物の人間化の勢力が強すぎて、バランスを失っていると感じます。

田舎の野生の動物がすむ世界で自分を動物化させる時間を何処かに持っているように育った子供が、デイズニーランドの世界に触れたときに、それを自分の中でどのように捻れ交差の一致点を見いだすのか、僕にはとても興味が湧くのです。

僕が都市と田舎を月に四回行き来しているときにも、この傾向は現れるのです。

都市に行くと、自分の動物が目立たないように、ある意味リニア思考の社会性に怖れながら人間化して生きている。

この限界集落に戻ると、自分の人間が目だたないように、これもある意味自然界に怖れながら生きている。

この二つを繋げるナットが、寝室俄大工内装工の作業に現れていたのです。

これが後付けで、曼荼羅が出来た過程かと、物凄く納得に至ったのです。

ユングが継ぎ接ぎに、古い家を改造して作り上げたときに、神経系の病気の意味合いが理解できた過程も、今では良く納得出来るのです。

僕にとっての瞑想や祈りそしてヨーガは、山と水と空気と対話することです。

ピラミッドは、僕とっては地底にあるエネルギーの形です。

それがそのまま意識の空間に現れたのが山だと、感じているのです。

しかし広葉樹はシュタイナーがいうように、この逆であり、人間は木の逆さの様相です。

ですから、シュタイナーは、木の根が人の思考だと言っています。

人の思考は、木の根です。

真っ直ぐに垂直にのびるベクトルのある一点と、同じく平面で四方に伸びるベクトルの一点が出逢う場を繋いでいくと、螺旋が生まれます。

竜巻も見えているのは螺旋ですが、それを作っているのが一本の垂直と四本の四方のベクトルによる出逢う点であることがわかってきます。

キアスムビジネスは、螺旋からしか生まれません。

ならば、その螺旋は、ピラミッドが創っていることになるのですから、それを知ることこそが、ピラミッドパワーと呼んでいるモノなのかも知れません。

キアスムビジネスの形態は、地下のピラミッドパワーが創る広葉樹であり、それが《生命の木》だったと言うことになるのでしょうか。

そこでの捻れ交差ナットが、タンデンなのでしょうか。

もっともっと自分を見つめて、自分のなかにあるピラミッドが、自分の中にある無を有にする事が可能な零化変換器のナットと繋がって、意識の見える世界に広葉樹の葉を繁らせ、花を咲かせたいと、僕の深い部分が求めているのです。

ヤンファーブルのこの作品は、見るものが見られている、花を見ていたら実は花にも見られていたという包み込む関係による《ワン》を論理化すると現れるキアスム構造を平面の世界で表現して、視覚的ハイブリッドである顔に一角を持つ一角獣男が出現したという、アート中のアートです。

僕がナットを持てたときに、仮面の下にある、こんな本当の顔の出現を、密かに期待しているのです。






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