あらえびすブログ

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新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞

先ずはセルピュアの試飲一週間での、身体の変化からご報告します。

俄大工で両方の親指を何度も誤って金槌で潰した爪が、とっても綺麗になり始めました。

飲む前が此れ。

そして今日の朝です。

わかりづらいのですが、手触りも、透明度もたった一週間で大きく変化しました。

そして筋肉痛が殆どおきなくなりました。

ミトコンドリアが如何に酸素不足であったかが、ハッキリ証明されました。



そして、この東根でもNON 硫黄で噴き出した温泉水と同じもので、セルピュアを入れたお水とソックリの福島の温泉水。

此れが天然の仕組みが作り出す、シリカ入りのセルピュア水であることは、間違いないでしょう。

共にお山繁盛を最終目標にして、それを通して人々の思考が皇の時代の縄文に入れるように、ストーリーを大事に仕組んでのLLPが、全国一つのブランドから出発出来ると言うスタートに、供給側のタッグも山形の一つの里《泉郷》と福島の一つの里が一つ大きく大きな人同士の信頼の元に進んだ事は確かです。

太陽フレアーの活発な動きも大きく出始めたこの三日、此れからの気象変動に大きく影響をするのは確かでしょう。

この日に泉郷では、僅かですがヒョウが降りました。

太陽フレアーが起きてから一週間、もしも平野部ヒョウがふったら、農業は大きな痛手を受けます。

しかし此れは農業の後継者がいないこと、更に気象変動等で食糧が世界的に減るという、大きな入り口がいよいよ始まったのかも知れません。

以前も書いたように、化学肥料の減量も二年後から三年後に枯渇します。

フルボ酸鉄が含まれたお山のお水でしか、農作物が育たなくなって来はじめるスタートは、すぐそこです。

そしてハッキリと食糧の不足が世界的に現れるのは、遅くて五年後。

其までに雛形で《お山繁盛》の仕組みを完成しなくては、手遅れになります。

ですから僕にとっても、一日一日が、地球や宇宙の変化の時期における時間軸の変化との、競争になりだして来はじめました。

もうよそ見をしている暇は、本当になくなって来ました。


その為にはトーラス構造のみの経済にドップリ使って来た脳を、クラインの壺をも含めた脳が生み出す思考にビックチェンジしなくてはなりません。

きっと新石器の、ホモサピエンスからホモサピエンスサピエンスに変化したとき以上の変化を人類は体験することになるのかも知れません。

ですから、セルピュアや酸っぱい温泉飲料水が、脳にどのような影響を及ぼすのか、此れも重要な進化アイテムです。

そのためには、一度完全伏流水クリスタルウオーターで零化して、その上で取り込む事で、より早い進化を則せると感じています。

家畜よりは野生の肉も同じこと。

家畜は、トーラス構造のみの市場経済から生まれた肉が殆どです。

家畜でもそうならないためには、お水飼料すべてを同じ人が管理して、大事に大事に愛情を持って育て、その方が家畜の心に痛手を負わせないように瞬時に命を頂いてこそのお肉でない限り、クラインの壺から僕らの細胞には働きかけてこないモノになってしまうと感じているのです。

大好きな《ひつじや》という、山形のジンギスカン屋さんには、それがしっかりと現れています。

肉だけの美味しさのみでのお客には、何処か冷たいというしっかりとした、軸がご主人の態度に現れています。

平日のお昼でも予約のみも、その現れです。



さて今日も二日ぶりに、野生の経済について記してみたいと思います。

先ずは、中沢新一さんのこの言葉から始めます。

今日の世界が苦痛の呻き声をあげているのは、産みの苦しみを開始したためである。
深刻な危険が迫るなかで、我々は生活に影響を及ぼすものの総合体と人間との間に、新たな関係を創りださなければならない。
此れは個人の普遍性を再び創り出すこと、個人の移住環境を再編成すること、そして新たな人間関係を組み立てることである。

今回のI社の取締役のご訪問、福島の水源地のご訪問は、まさに共に本気の魂で新たな移住環境を再編成することを目的に集まった、新たな人間関係の再構築であったと感じています。

自然界側からの供給側が無意識の意識で繋がり、サポーター側とお互いが交差した両手で手を取り合い、ねじれ構造を創るクラインの壺が含まれたトーラス市場を生み出す、この関係に僕はこだっわって来たのです。

それには作為のない幼子のような心からしか産み出されないのだと、中沢新一さんは深沢七郎さんや、柳宗悦さんの言葉や表現を借りて言うのです。

所謂《モノをつくらない芸術》行為に繋がるのです。

モノをつくったのは貴族です。

俄大工作業に惚れるのも、違うもので間に合わせてしまう芸術行為が存在するからです。

それこそが、柳宗悦さんがひかれる、民芸なのです。

民芸が産み出される《場》は、お互いの《観る》によって生まれ、そこでしか無心や無分別知は、生まれないと僕も思うのです。

昔の商人は、物事を計算ずくで取り計らうと、長い目でみると損をすると、まだまだ無分別知が働いていました。

ですから水を商品にしないのも、飲むことで蘇るのは、心の無分別知の景色こそを市場という土俵にのせたいからです。

用を助ける意味にこそ美が生まれ増します。

伏流水を飲むことを用を足すにすると、トイレにいくという用を足すと入り口も出口も一緒であるという、クラインの壺が見えてきます。

深沢七郎さんが屁の話を多用する背景には、見事に此れが生きています。

民具は道具として、現実の世界に用をなす、それゆえに鑑賞されるだけの美術よりも高い価値を持つ。この柳の考えは、マルクス考えとよくにているのだと、中沢新一さんは、おっしゃるのです。

僕が鑑賞目的の、躍りから1抜けたしたのも、全く同じ理由からです。

自然の側に暮らして鍛えさせて貰っているのも、主客が統一をもたらしたいからです。

客体である、未加工の自然に働きかける実践により、人間は自分の設計や計画にしたがってついつい自然を加工しようとしますが、自然には自然の理がありますから、人間は柔軟に変更したり、実験を積み重ね、有効な妥協点をみつけます。

まさにここで限りなく造作しては、壊れ壊され徐々に冬の雪を踏まえた、夏の解放の場をみんなの家に生み出そうとしてきた俄大工はまさにそれでした。

そして雪を認めさせ、愛したときに伏流水事業が自然に、動き出したのです。

経済世界に今、無分別知を生み出すという事にチャレンジしているのです。

それのみが贈与を生み出すからです。

その贈与は、無分別知と一体の贈与でしか生み出されないのです。

此れはここまで資金的に支えてくれた、Yさんには本当に頭の下がる思いです。

何故なら、僕は無分別知で、今回の活動全てをこなす必要があるからなのです。

勘がものを言う世界は大量生産ファクトリーには、生まれません。

あらかじめ設計された製造ラインに従って設計通りの製品が生産道具によってつくられます。

此れは工場だけでなく、躍りから、学校から、介護施設、コンビニETC全てがそれで動いています。

土方の舞踏はまさに、農民が農民であるまま、稲になったり狸になったりと無限に増殖する様を躍りととらえ直した、先駆者です。

僕は衣装が揃うだけでもう、今は気持ちが良くないのです。

ましてや、同じ振り付けで息があっているとかは勿論、違う振り付けがあってしまうことをこそ息が合うと捉えるべきとなってからは、躍りの世界にさえも蔓延るトーラスのみの市場に、もう、げんなりしてしまったのです。

そして生まれでたのが《天風地の舞》でした。

まだまだ育てなくてはなりませんが、無分別知での唯一の道具になりました。

無分別的な身体の運動によって作動する、勘を鍛える舞なのです。

ですから無分別知にピッタリなのが、組合です。

それがLLPで伏流水と、日本中の汲み出し側と、飲んで応援するサポーターで組合を創りたい唯一の理由です。

中沢新一さんの言葉を借りるなら《民芸の初期化》なのです。



深沢七郎さんは、運動は何がお好きですかの質問に、ギターと答える方です。

野球は道具を多用しすぎるので上品すぎてキライ。

レスリングは直接過ぎて乱暴でキライ。

ピアノも上品すぎてキライ。
何故なら最初から調律されているでしょう。

バイオリンは、擦る運動は、ピアノよりはエロチックであるけれども、ギターのように弾く事で、粒子性があることが一番しっくり来ると。

此れは無分別的な知からしか生まれない、凄い回答です。

明日は東京の丸の内ホテルで朝食を頂きながら、この深沢七郎さんを通して、中沢新一さんがとらえ、それを自分の土俵にどういかして、この無分別での原人思考を現実化するかと言う問いを、書くことで己と対話していきたいと思います。

結局トーラスの上半身と、クラインの壺の下半身が一体となるために、僕はblogを通して、日記を書き続けているのでしょう。

本当の無分別知を手に出来た時、このblogも終わりを迎えることでしょう。できるのでしょう。






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