新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 宇宙国建国までの舞
昨日は、無事保江先生の柔術の会に参加できました。
堀越さん、飯田さん、二郎さん有り難うございます。
ただ伺って、保江先生のお人柄に触れれば充分でしたが、膝を痛められた保江先生はいらっしゃらなかったのですが、アフターでの飲み会に夫婦で参加させて貰えて、まさかその場でアラエビスの活動をお喋りする時間を頂けるとは思ってもいませんでした。
いらっしゃった皆さん、本当に感謝です。
お一人の女性には真剣に、僕が道をはみ出してしまったときのご注意を、頂きました。
此れも本当に感謝です。
僕もまだまだ自我が強いですから、ついつい熱くなってしまい、相手の方にも力みを抽出させてしまい、ドンドン加熱へ向かってしまいました。
良い時間でした。
本当に、伏流水を雛形として起動にのせるまでも、地道な大変さがあります。
それを初対面の方におわかり頂きたいも、ヤッパリ自我です。
何時も何時も反省の連続です。
そして、起動にのった以降に、如何に山が代わり、そのクラインの壺での捻れが結果新しいコミューンに繋がって行くか、此れを実践してお見せするしかヤッパリないのです。
ですから、昨日は素晴らしい批判をあえてしていただいた、秋田の鳥海山出身の女性にここで有り難うを言いたいと、思っております。
その場で敵を味方に出来てしまうカタラクシーは、僕にもまだまだ人間関係で瞬時に使えません。
自然界とは、共に敵を味方にしながら生き始めれて来ていますが、対人に対しては、本当に愚か者、未熟者です。
今月の第四のお稽古のアフターで、お話をする機会を頂けました。
此のときに如何に、愛一杯で、保江先生のように、地下水のようにフワッと人の流動的な心に入れるという、入り身を実践出来るか一つの僕にとっての重要な成長の為の試練です。
その試練を、見事に昨日練習させれいました。
自分を正当化するという自我で、お山とのお約束を台無しにすることは、絶対に許されません。
魂のミッションは進むほどに、更に愛が試されるようです。
技の修得と同じで、一つの大きなレベルという《層》に行くほどに、愛と言うエネルギーに全ての経験値を捨てて、任せて見ることが重要です。
それを身に付けることで、何としても、山岳崩壊が出来るだけ小さく終わるように僕は僕を捨て去るように更に生き始めなくてはならなくなって来たようです。
昨日のうちに仙台経由で山形でしたが、酔っぱらっていることと、自己反省をしたく田町に一泊しました。
此れから、高速バスで戻ります。
明日はいよいよ重要な会社の取締役三名が来られます。
その前に、毒だしが出来たことは、本当に感謝です。
さてトーラスエネルギーからクラインの壺を通る、新しい経済という思考に移ります。
この中沢新一さんの一説。
有限なモノで出来た世界では、ある一つのものをより多く手に入れることは、他のものをより少ない量しか入手出来ないように出来ていますので、物質的な富の世界は、希少性に規定されていて、いかなる時もトレードオフに直面せざるを得ません。
しかしクラインの壺のカタラクシーBでは、これが通用しないのです。
体では《肺》を有する肋骨がトーラスです。
そして《肚》という腸を有する骨盤がクラインの壺です。
我々が此れを繋げた経済モデルを世に出せたときに、軸が乱れない体感をやっと日常に持つことが可能になるのでしょう。
そして、動きだけで捉えていた世界での、何処かまだまだ抽象的な何かが、ハッキリとしてくるのでしょう。
それが保江先生のワークでも仰られた《愛》であることに、疑う余地はありません。
けれども、その所作が本当に愛だったのかは、武術ではすぐに結果に出る。
言葉と体が本当に結ばれたとき、此が愛が発する所かと気付き、如何にその愛を分断して使っていたか、思い知らされます。
ですからトーラスのみの今の市場では、GDPが上がっても一つも僕らの生活は豊かになったように感じれないのです。
そこには気前の良い、予測不可能な贈与が含まれていないからです。
さてそれではどのように、このクラインの壺が具体的に含まれた経済学を構築するのでしょうか?
農業はそれに一番近い形態でしたが、今の機械化農業は相当かけ離れたものになってしまいましたから、雛形が農業にも存在していません。
そしてその経済学を提唱した知の巨匠も二名ほどいたのですが、残念ながらそんな今の時代には原人の経済など通用するはずもないと、片隅に追いやられてしまったのです。
けれども、今回の僕のプランにNOを突きつけられた方をこそ、納得させれたときにこそ僕のプランは、個が総動員された新しい全体としての、出入り自由な組合的なコミューンとしての《場》を世に産み出したことになるのだと、確信しているのです。
この続きは、又東京に来る金曜日辺りから、繋いでみます。
それほどに明日からの三日間は、何かの始まりを感じる重要なサポーター市場と新たな水源地にUターンし、そこからチャレンジしようとする僕と同じ供給がわの立場にあられる、両面のご訪問が続くからです。
この動きの中から贈与をどれ程僕が見いだせるのか、愛のキャパが鍛えられると共に、だからこそ道が創られる重要な三日間になります。
夕方帰りついたら、自分もみんなの家もボトリング工場もより、清め祓いたいと感じているのです。
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