新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞
昨日は、連休中にたまったお水を、新しいボトリングの工場で、始めてつめて発送しました。
以前のボトリング作業の、三倍速での作業が可能になりました。
なかなか、導線がよい仕上がりです。
このように作業後によい仕上がりだと感じるのは、以前の俄大工東出には、不可能でした。
作った後に、問題点が山積み。
けれども問題点が僅かな仕上がりになって来たことは、作業状態と水の特質が見えていたからでしょう。
此れも自分の中での大きな変化です。
此方に越してきた頃の造作物は、雪への予備がなかったりと、本当に造っては壊しの連続でした。
未熟な僕の人生を、そのまま表しているようでした。
このような俄大工作業にも、ヤット自分にブレがなくなったことが、僅かではありますが、表現されます。
身体表現とは、本当に恥ずかしいものですが、恥ずかしいなりにも表現していかないと、精度があがりません。
このような俄大工作業にチャレンジしたのは、ユングが自らの無意識構造を知るために、増築増築で、とんでもない家を建てるまでの軌跡の本を読んだことがきっかけでした。
それで彼自身が、精神病を克服しました。
この俄なりの、プロにしたらとんでもない大工作業は、あり得ない部品や廃材を利用する等の、アートの宝庫になります。
その作業の仮定で、自分の人生の様々に起きてきた現象が、形を変えて現れてきます。
此れが、習ってしまったら、それに出逢うことはなくなってしまう。
人生は、魂のミッションと出逢って、始めて動くもの。
菅家先生が《美し国の月並み祭》でおしゃられるように、ミッションを知ると、本当に魂が燃え始める。
疲れない、時間があまりにも早く水のように流れ駆け抜ける。
このような作業は、ミッションに気付きそれをこなす自分を鍛えるには、最高のワークです。
ユングのこの家の写真が載っている、河合隼雄大先生のこのご本を紹介します。
ユング心理学入門/河合 隼雄¥1,365Amazon.co.jp
日本のユング、決して真似っこはせず、ユング研究所を卒業の際には、大きなノーを言って、研究所の存続の危機に陥れた偉大な河合センセがユングについて書いた本です。
入門というタイトルとは違い、人として生きて、人と関わり、人として死んでいくまでの姿勢のとり方が書いてある貴重な本です。
私曰く 此れが武術の芸事の姿勢です。
人は、単なる脳内ではない、どこかに、もう一つの故郷を、意識無意識的に形作り、死ぬ時にはそこの準備が出来次第、帰って行くという。
私曰く 意識と無意識に形を創り、それを回廊で繋ぐ。
結局、魂のミッションをこなせたとは、その事であり、意識化の成功の みを指しては、いないのだと感じるのです。
そこは、人だったり、場所だったり、建物だったりそういうものの複合だったり様々である。
ユングが死の直前に見た夢。かって、明恵上人がみた夢のように、置き換えられ、象徴に満ちた、夢。
「彼は「もう一つのボーリンゲン」が光を浴びて輝いているのを見た。そしてある声が、それは完成され、住む準備がなされた事を告げた。そして、遠くの方にクズリ(イタチの一種)の母親が子供に小川に飛び込んで泳ぐことを教えていた。」
ボーリンゲンは、ユングが湖の湖畔に立てた、手作りの家の事。
私曰く この家がそれです。写真をネットで探しましたが見当たりません。
小川・・・これは水であり、無意識の、全てが融合し渦巻いている領域への旅を意味している。
私曰く 此れがやはり僕にとっての伏流水という、
自分の無意識という岩盤の隙間に流れる水の動きです。
クズリの母親は、大いなる母性を表している。
大いなる無意識の海を泳ぐには多少の技術がいるようだ。
ユングが亡くなるまで親しく付き合っていたロレンス・ヴァン・デル・ポストは、ユングが亡くなったその日、船室で半覚醒状態で思いがけないヴィジョンをみた。
突然、マッターホルンのような山の頂に、太陽の光に照らされユングが現われた、彼はちょっとそこに立ち止まり、ヴァン・デル・ポストの方に手を振って、「そのうちにお目にかかりましょう」と言い、山陰に消え去っていったこの幻像見た後に眠りに落ちたヴァン・デル・ポストは翌朝、ボーイの運んできたニュースによってユングの死を知った。
人が死ぬ時や死んだ後より、どう生きていかに対決し、それをどう生かしたか。
《この記事はあるかたの読後の感想を下地に、僕のコメントをいれました。》
どう生きて、如何に対決し、それをどう活かしたか!
対決こそが己の意識化と無意識化の闘いでしょうか。
今あらためて、あるかたの感想文を通して、振り返ってみると、伏流水の活動に自分が何故突き進んで行ったのか、そこでこのような俄大工作業や、恥ずかしい軌跡を何故blogに書き記すのか
表現とは、如何に意識化を生きる自分にたいして、無意識化にある自分が表現するのか。
それに如何に道筋をつけるのか。
そのために如何に無意識化で、他者の無意識化と繋がるのか。
幼稚な例で言うならば、無意識に人前で出てしまった「オナラ」みたいなもの。
此れが個室のトイレで、自分しか聞いていないのなら、あまり無意識とはとらえないものだと思うのです。
しかし、何かの集まりで発表の機会を与えられ、立ち上がった瞬間に、「ブーッ」これこそが社会の層に生きる脳思考が恥ずかしいと思う一方で、腸思考がスッキリと感じているという、日常のハプニングに現れてくる、無意識の表現です。
大体が穴があったら入りたいものが殆どそれ。
だから、フロイトも性癖に何かを見いだそうとした。
此れが渦巻く世界にドヒャット飛び込んで観る。
この無意識界に何層にもなって蠢く、水の動きからミッションを抽出して、意識界に引っ張り出して、形あるものにしていくためには、地底の岩盤で磨かれなくてはならないのでしょう。
それこそが、魂を磨く、唯一の手段だと思うのです。
そして、磨かれるうちに、結果回廊の道が出来ていく。
意識化では、道は生まれない。
しかし技術を磨かないと、いつも危うい二度と戻れない地底への隙間に呑まれてしまう。
此れは、荒海のカヤックで、本当に例えを体感できて、僕の中に蓄積されている感覚です。
その技術が、今後の皇の時代に完全に入るまでの移行期には、なくてはならない重要なスキルのように自分は感じているのです。
たかが意識化三千人対応の、ボトリング基地ですが、そこに自然界とリンクした自分の無意識が創るコラボによって生み出される何かが、確実に表現されているのでは、ないでしょうか。
まだまだ、造った本人にも気づかない何かが。
それは、ボトリングしながら、言霊で一本一本にエネルギーを吹き込む作業中に、特に感じれた感覚でした。
この造作の中に、雪深い地域特有の何かと、あの巨大な五つの岩山の御所山の隙間を流れ、意識化に吹き出て来る、伏流水が持つ何かがしっかりと根底に流れているのではないかと感じた朝でした。
僕はその回廊で、無意識化に唯一通じる言霊で、今日も祈ります。
この伏流水が、零化する、人々の新しい思考にスイッチをいれますようにと。
それをお山は待ってくれていると。
カンナガラ、
タマチ、
ハエマセ。 と!
富士山の沈下は、あまりに気付かない我々への、大きな警告だと感じます。
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