あらえびすブログ

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新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞

アネモネの西さんと、恵比寿の革新的な歯医者さんで無刀派の達人小川先生が、無事お帰りになられました。

此方は、ヤット普段の伏流水汲み上げに戻ります。

僕とお山との密月に戻ります。

八日は菅家先生の会社にお招き頂き、僕にとっての、この自分の魂の生きるにとっての、何かが又動くのでしょう。

魂で生きると、本当に様々にブレがなく、本来生まれ持った自分と共に生きるという、生命の樹がうごめき始めます。

不動明王とは、まさにそこから始まるのでしょう。

色々な方々と、出逢わせて頂くほどに、自分のミッションに確信が生まれてきます。

自分の魂が燃える事が何なのか、更に明白になって、純度があがって行きます。

純度が上がると、精度が更にあがって行くようです。




僕は、ただのコミュニテイーを創ることには、興味がわかなく、やはり皇の時代に移行できる、何とも比べない腸思考から生まれる創造性を鍛える、イニシエーションとしての教育機関としての、アニミズムランドの構築です。

魂の学校です。

では、魂は、どうやって動いているのでしょう。

動きのないものに、存在を見いだすことは出来ません。

けれどもそれは、動きという三次元以前の心の動きを、見いだせなくては、ならないのでしょう。

三次元での心は、比べるという二者択一思考が殆どを占めます。

ですから、その思考とは、全く別次元での、腸思考です。



伏流水を汲み上げる為に一週間でも良いから、その視点から山を通して自分を腸思考で見つめる事。

廃材を前に、それを活かすことで、材と自分が一体となって活かされていくその腸体験。

此れは、人間よりの命題からは、生まれないのだと、自分の中に確信があります。



どんなシュチュエーションで、音楽を聞いて、お酒を頂きたいか、それをとりあえず、素人で良いから、具現化してみる。

ここでの生活の様々は、僕とって最高の腸創造力の源泉です。

その中でも僕の場合、《火と水》が生み出す音と動きは、なくてはならないアイテムです。

魂を、水で禊祓い、火で着火するから。

いつも聞いて、触れて、観る所からしか生まれ育たないと自分が感じる、不動の感覚があるのです。

それが、あるものは時間をかけて、あるものは瞬時に、違う時間軸の中で芽吹く。

此れもここの長い、冬の終わりから春の始まりという《間》が、自分の何かにスイッチをいれます。



同じ山の地中にいながらも、何かの関係性の中で違う時間軸を通って、ある瞬間芽吹き出す事象に、そのベクトルの中心点という得体の知れない一点の交差を、どうにか見いだしたいと魂が自分に求める、観察が《同じ道を決して通らないけれども、中心点でだけは全ての生命が、通過する場》此れが中心であり、地球の魂なのだと見極め始めているのです。

この中心点が背骨の数と繋がる腸思考の無限さには、オソロシイほどの道が存在している。

何かをなし得ることはとても大切ですが、それには多くに道を知っていなくては、対応できない。

慣れ親しんだ道で、事が動かないときに、複数の通り道からそのときの最高の今だけに通用する道を見いだせるかこそが、一番知りたい感覚です。

それこそが潜在能力だと感じます。



そのようになると、他者の存在に引っ張られることは、皆無にドンドン近くなっていく。

そのたびに、魂が禊ぎ祓われて、魂自体がトーラスとなっていくのではないかと、感じ始めているのです。

トーラスエネルギーで動き続ける地球と共に動く心体を手に入れるためには、魂そのものの特質を、知らなくてはならないと感じています。

その特質とは、魂こそがトーラスエネルギーという動きを創れる、ベクトル平衡体の根源ではないのかと。

その魂だからこそ、十二本のベクトルが創り出す、二十四点と中心の一点を自由に動いていける関係性で心身を操れるのではないか。

ならば、次の命題は、魂こその動きかたを知ることなのではないのだろうかと。

そのように魂が動いたときにこそ、魂を生きているんだという、時間が体を包み、心が震えるのはないだろうか。

それを感動というのなら、魂が動いてこその感動でなくてはならないはず。

それが霊を揺さぶることであり、それこそがベクトル平衡体の中心点としての、我々の丹田を鍛えることなのではないか。

ベクトル平衡体の中心点にこそ、トーラスエネルギーを生む小宇宙が、先に存在しているのではないだろうか。


だからこそ、そのもう一つ大きなベクトル平衡体構造の僕ら身体の末端にある二十四個の末端意識に、中心点にある魂のみが繋がる事が出来るのではないだろうか。

そしてここにしか、全ての中心をなすことが出来ないのではないだろうか?

そして更に大きな他者との社会にあるべき、ベクトル平衡体と摩擦なく関わり、動いて生きていくためには、この魂の動きこそを身に付けなくなくてはならないと。

それが禊祓い清め、それで燃やす。

魂が燃え尽きる生き方を、毎日しているのか問い続ける。



更に、僕は自然界の奥に眠る、魂の動きに耳をすませて、生きていきたい。

何よりも、地球の中心にある、魂の動きを感じとりたい。













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