あらえびすブログ

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新しい蝦夷が創る宇宙国建国までの舞

今日は、お山に水を汲みにいく日です。

今は宇宙国建国の為に飛び回っていますが、一番の天職は自然の中に溶け込むようにして、お山の神様と対話しながらお水を汲ませて頂き、その生き方から体に降りてきた仕組みを人に伝えていくことです。

降りてくるのは五次元、七次元、十三次元、二十五次元ですがそのままでは、到底この世界に表現することが出来ません。

其処で僕にとって体は、其を説明するために誰もが持っている重要なアイテムなのです。

この意識で掴んだ高次元感覚を上手く表現出来ないのが、アスペルガーだと感じます。

言い方を変えるならば、アートは、アスペルガーやら様々な脳の疾患と呼ばれているような、実は誰もが持っている高次元意識を表現出来るようにする重要なアイテムで、いよいよ其処の領域に今後突入すると感じています。

ヨーロッパでのコンテンポラリーのレベルは、その一歩手前に起きた芸術療法が生み出すムーブメントを、主体と客体の上での舞台芸術の上に引っ張り出すものに変化し、其を娯楽としても見せれるレベルに育って来ました。

そしてその為には、《和の舞》では余りに欠落しているのです。

勿論、直線に進みながら、主体と客体のなかで踊る《ヨサコイ祭りの躍り》も欠落しているのです。

僕は此を批判しているのではなく、皆輪になって仲良くしましょうでは、ニビルのような動きによってすぐに崩れてしまうと言う観点からです。

勿論デモの行進のようなヨサコイも、衝突が起きる構造ベースの動きです。

という事は、身体操作もベクトル平衡体での位置を把握して、その上でメビウスの輪の舞に仕上げなくては、余りに《わの舞》では、過去としての太古の舞になってしまい、ヨサコイ祭りではベクトルが一つのグローバル資本主義の向かう方向での動きに終始してしまいます。

何気ない形に、恐ろしいほどの無意識での洗脳があります。

動きはとても怖いものです。

遠足なら、作られた登山道を直線にのぼり、キャンプファイアでは、円になれば済むでしょうが、登山道のない山で単純な直線では、落石をまともに喰らいます。

メビウスの輪の連続、そして臨機応変な歪みを取り込みながら進む、変形のDNAでの動きになっていかなくてはなりません。

そして円の形状で踊っているときに、これは平面形状でも直線形状でも同じですが、それ以外の方向には気が動いていません。

所謂、普段が直線で仕事してアフターで円になって飲み会やら家族団らんをしている生活形状で染み着いた物は、身体に全く違う複雑な拮抗で成り立つ、完全バランスを思い出させるように、していく事をベースにしない限り、簡単に《わの舞》も残念ながらブームで終わるでしょう。

僕は望みます。

バレエもコンテンポラリーも祭りもわの舞も一回捨てて、先ずは体の可能性を開きましょう。

誰かの一つの振り付けは、もう必要ありません。

一つの振り付けがあるかぎり、その動きという規則に充分に操作されていきます。

そしてそれが集団での集合意識でトランスしてしまうと、もう宗教です。

此れから宗教さえもなくなるときに、踊る宗教を創ってどうするのと又々最近の《わの舞》ブームには疑問符を持ちます。

太古には超未来の縄文以前があり、それは淡路島の岩上神社にあるように印が残っているのです。

アセンションするときに、横並びで円になって手を繋ぎ踊れば、見せるような俗な動きから脱却できるは、余りにもナンセンス。

それなら、まだどうせ見せるのだからと最大限客体を意識して、型を見せるヨサコイの方がましです。

武術も何故型があるか、型が通用しない実践で型を捨てれるためにです。

僕らの生活で言えば、グローバル資本主義イデオロギーで捉え、一気に自給生活に入るようなものです。

全ての分野に言えます。

宗教でもスピリチュアルでも舞でも。

もう型を提示する物に寄っ掛かるのはやめて、もっともっと当たり前に宇宙にある本当の型を、体におろしてみることをしませんか?

振り付けは、宇宙の形にもう示されています。

ベクトル平衡体を更に発展させて其をあえて平面に戻した構造の、《フラワーオブライフ》を踊れたときに本物の《わの舞》になります。

その為には安易に平面の輪を意識しては、宇宙は平面になってしまいます。

よく太陽系での図柄で、縦の奥行きを感じない安易な絵を思い出してください。

今僕らの太陽系接近してきている、多くの楕円型で沢山の太陽系を出入りしている惑星は、縦からも斜めからも来るのです。

此れは僕らが二十四個の点の中心をも含めた二十五個の点を体に空間に設置できて、其処を竜のごとく自由自在に動き回る。

これこそが宇宙です。

イチロウはあれだけの年数を費やして、二十五個のヒッテイングポイントを制覇しようとしています。

もう今後プロもアマもないじだいに入ります。

そろそろ躍りが本気で好きなら、分野を全て一度宇宙に自然界に大政奉還して、宇宙の型を空間と体双方に見つけて、誰もが即興で《メビウスの輪の舞》を踊り出せるものに仕上げなくてはならないと僕は感じ、何としても世界に先駆けてやる宇宙国夏至祭りには、《メビウスの輪 天風地の舞》を世界に発信させます。

此れは是非とも織田さんのご理解を経て、本物のスピリチュアルナチュラルアートサイエンスの舞として、出来ればアネモネの社長さんにもご理解を経て、世に出さなくてはならない時期に来たのだと思います。

何度も繰り返しますが、現行のわの舞が可笑しいのではなく、群がる躍り手が可笑しいのです。
ヨサコイも同じです。バレエも同じです。


武道もそうやって何度も形式の違いから、流派を分けて分けて来ました。

もう一度全体に纏める為には、縄文以前に踏み込まなくてはならいでしょう。

縄文は超スピリチュアルナチュラルアートサイエンスの残党でしかなかったという、未開に其々の分野が道を切り開く、勇気がとても重要だと感じています。





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