あらえびすブログ

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新しい蝦夷が創る宇宙国建国の舞

これは、八ヶ岳

訪れたお宅の山崎先生もおっしゃられておりましたが、引っ越されお家をお建てになるまでは、湧き水が健在でしたが、家を建てられお住みになられたらその頃には、飲めない湧き水になってしまったようです。

ソニーサントリーも取り戻そうと、必死に植林されていますが、ブナを取り戻す事がすごく重要ですが、試行錯誤で根付く事をしていかないとならないので、まだまだ始まったばかりでしょう。

うちの側のお爺さんも家の側にブナを植林されて、研究中です。

僕には本当にまだまだ愛が足りません。

もっともっと景子と共にいるときの、子供たちといるときの愛を全ての方に向けることが出来ません。

オブラートに包んだ愛よりは未熟でも、サナギの頃の景色と蝶での景色の違いを本気で伝えるしか、ベクトルと中心には、入れないのです。

そこには、なぜ解らないの?

なぜ観えないの?

なぜ観ようとしないの?

という自我を追求し尽くして、到達するしかないのです。

自我を剥離するのではなく、その先にある逆転するその瞬間の中心に留まること。

即ち、《愛》には形が存在していたのです。

十二本のベクトルの中心に六方向から降りて来ている、和多志になり続けたい。

けれども、理解してもらおうと、本気で思うときほど、崩れるのです。

冷静に考えると、一方にのみエネルギーが動くので、敵対が始まる。

けれども、真ん中でいてもただ祈るしかない。

正方形の六方向から掴んだ中心へのエネルギーが、八方向の正三角形から放出する。

これが八識やカタカムナに繋がるのです。

娘の母や景子の御両親に、愛を伝えれるときに、僕はベクトル平衡体が創るトーラスエネルギーを、人の創造力で身に付けることが出来ると言う、蝶に全ての人がなれると言う、装置を発見することが出来るのでしょう。

そしてそれで全員が蝶になれたときには、この装置は、ミッションをおえて、スパイ大作戦のように、自動的に消滅するのでしょう。

その装置そのものに、自分はなってい生きたいです。

沢山の人をいまだ幸せにできない僕が、笑っちゃう話ですが、愛そのものとして生きたいのです。

愛という存在になって常に生きたいのです。

景子が側に要るときにいつもおきる、あの無限のエネルギーの循環を、離れていても出来ることで、そのエネルギーで、サナギを包んで安心して脱皮にイザナイたいのです。

そして、本当にゴーマンな僕は、更に厳しい大雪山の麓で自分を鍛え、愛そのものの存在に仕込んで貰うしかないのだと思うのです。

まだまだ足りないのです。

一見、苦行好きなようですが、そうではなく、更に自然の厳しさが美しいと入力出来る体験で、逆ピラミッド形の装置をお掃除しないとならないのです。

そんな僕に着いてこようとする、景子は奇特な愛の持ち主なようですが、ツインソウルとは同体なので、一度油汚れを落としてしまうと、双子のように同じ感覚を、持っているので一致しているのが強く感じ取れるのです。

さて本日の水事情です。

安曇野では地下水位調査を1986と2007に行い比べたのです。

そうすると明らかに下がり続けていることが解り、その量は一億二千五百万トンになることがわかったのです。

そして利用してる人が其々の立場を越えて、地下水を増やして行こうと言う方向に動かれて、一つになったのです。
これこそがベクトル平衡体の真ん中に行った瞬間なのです。

自然界を相手に行動するときには、自然界のバランスの取り方で生きるを実践しなくてはならないのです。
そしてこのような活動での形態の社会にシフトしていかなくては、ならないのです。

そのために僕は、愛そのものが溢れた存在となって生きて行くことを、更に実践しなくてはならないのだと思うのです。

伏流水のように、とめどもなく溢れる愛を。

ご飯一杯で地下水1500リットルを使うのですがこれは、雪深くないところでは、田んぼがその重要な《溜めて養う為の装置》になっているのです。

これが例えば阿蘇では、一万五千ヘクタールから二十年で、一万ヘクタールに田んぼが減ったのです。

解りやすく言えば、東京デズニイーランドとデズニーシーを合わせた五十倍の貯水地が消失したのです。

これは、安曇野も同じですし、僕の住む東根の町中も同じで、田んぼが畑に、宅地になって地下水が減ったのです。

安曇野の地下水は殆どが田んぼの水が地下に浸透してたまったものです。

汲み上げすぎもありますが、インプットがなくなったことがこのような結果を招くのです。

安曇野も田んぼが二十年の間に5300ヘクタールから2700ヘクタールに減少しました。

これが更にTPPで加速するのです。

グローバル資本主義に命の源の食べ物飲み水をのせることは、様々な天変地異に繋がるのです。

だから、国民が、米を自給して、例えば米や水をあえて市場から消し去り、自分の分は自分で確保するシステムに変えたのなら、日本の地下水は復活するのです。
そしてブナをジックリ取り戻していけば、命の根元、フルボ君は甦るのです。
ここに行き着きたいから、お水を売らないシステムにしたのです。
そして次は米も売らないシステムです。

サポーター会員が小さなグループに別れて、その地で交代交代訪れて、自分の家族の食べる米は自分達で作り、持ち帰ること、これで結果、水を貯水していることになるのです。
これを何としても特区で実現したいのです。

ということは、会員様に送っている伏流水からの贈り物に、いちねんかんの米がつくシステムになるのです。

1969年に317万ヘクタールの田んぼが存在したので、634億トンの地下水があったのです。それが2011年には157万ヘクタールに減少。
失われた地下水は320億トン、
一リットル100円に概算したとして、3200兆円の資産が消えたのです。

僕らの国の昔の景観は、僕のいる部落《東根泉郷》を訪れて頂ければ解りますが、空気に保湿感がいっぱいの事が風景をキラキラにしてくれるのです。
きっと人もです。ラフカデイオハーンが見て感動した日本人は、保湿されキラキラにしていたのです。これこそが、禊だったのです。

話は戻すと、これで充分赤字国債を返せるのです。
これは、夢ではなく、実現可能です。

世界中がノーマネー社会に移行するのは、この出だしの大事な五年にかかっています。
それがうまくいけば、千年後にはノーマネー地球が実現します。

だからこそ移行期に実践する様々が、方向を決めます。

特区で先ずは、部落民のそしてそこにサポーターとして参加している人の、赤字国債負担分を返してしまうモデルを創るのです。
そうしたら、必ず、全国に広がり、世界がまだまだ経済が動いている間に、お水で借金を返済してしまうのです。必ず可能です。




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