あらえびすブログ

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新しい蝦夷が創る宇宙国建国の天風地流龍水の舞

遂に犬ぞり制作者が見つかりました。

もう日本ではここだけ。

ここで他頭ようと、一頭二頭用を購入して、いよいよ地元のおじいちゃん方と制作してみます。


これで日本中から、和多志の分身としての志を見つけるゲームレース参加が、今生の目的を解り、世に羽ばたいて活躍していかれたら、素晴らしい世界になることでしょう。
開催までには、コミュニテイーのクラブハウスも伏流水のサポーターも目標達成しなくてはならなく山だらけですが、ワクワクしているのは、確かです。

又そのときにこのような、伏流水サポーター様からお年賀頂くと励みになりました。ありがとうございます。


昨日のお山の神様の新年隣組の集まりは、納屋の改築お披露目にもなりました。


昨日のblogにご紹介した、播磨屋の社長さんの会社のホームページ上での、あの開かれた自由な和多志のメッセージ。素晴らしいです。
仕方がないけれども、本音と建前使い分けるのを、自らやめないとならないと感じます。
勿論其をしたとたん、本音と建前を使い分けして関係を造ってきた全てを、一回失うけれども。

それだけ、自分に嘘を吐いてきたのだから仕方がないです。

蝶になるための脱皮の時期。
オタマジャクシから蛙になるための通過点。

それがアセンション

僕らオタマジャクシで、就職したり、結婚したりしてしまった。
家まで建ててしまった。
此で安泰と思いきや、実はオタマジャクシの時期は、僅かなんですよと宣告される。

けれども蛙になると、その泉に池に限定した田んぼに居座ることは無理になる。
そこでオタマジャクシに戻って(和多志の志をあえて閉じて)、蛙の行動範囲だけは池に持ち帰り、成長しようとする。
此れが自我でのグローバル資本主義

その結果、田んぼの大きさにオタマジャクシがなってしまった。
そして動けない、動かないと御託を並べる。
自分も本当にそうでした。けれども気づけない。
実は、オタマジャクシで人生ゲームしていた。
上がりとは、蛙になってもっと壮大なゲームに向かうこと。
そうなるとオタマジャクシ人生ゲームの主催者は、ゲーム参加者がいなくなるので困る。
だから実は上がりのないゲームに作られている。
結果、いつまでも収入に脅かされ、年取るとはこうだから、そこでは一番お金がかかるから、しっかりためてと上がりのないゲームには、文句さえも言わずに参加し続ける。

払われない年金でも、犯罪者側に行きたくないから払う。
ゲーム主催者の思うつぼ。
此れが自我社会の今の姿。
本当はもっともっと活発に、Facebookやblogを通して意見を延べ、其が自分の会社への違和感であろうが、恋人への違和感であろうが其を非難したされたといううちは、まだまだ自我から脱していない《私》の道具になってしまう。
そうなると、Facebookやblogにしても現行のマスメデイアと何ら変わらないと思うのです。
攻撃対象限定では、イデオロギーから脱していない我己だから此れも×です。

その様々に我己で対向したのが学生運動
今よりは皆本気でした。
けれども変わらなかった。
そして、閉ざした。
sサナギの中で良しとした。
もうオタマジャクシで良いやと。
けれども地球や宇宙が其を拒み始めた。

面白いですね。

今、海や河やお山やお花や木や動物たちが地球や宇宙がマネーの大政奉還を人間に求め始めた。

よく考えてみれば簡単。

地球上にないものを商品には、変革出来ない。
けれども其は人知を越えて、相当の意味合いを持って存在していた。
例えばウランは、石油は、石炭は、地下にあることで重要な意味合いを持っていた。
僕らの知識が追い付いていない。

例えば自転しているんは、磁力による、フリーエネルギー。
けれどもそれには、動物の死骸で作られる石油が地下にあることで重要な意味合いを持っていたら、ウランが地下に埋蔵されているから、実は勝手に地球が回ってくれていたら。
知らないのは僕らだけ。
まるで、広葉樹がないと、生命維持に必要なフルボ酸をつくれないという、地球のフリーエネルギーの仕組みを知らないで、針葉樹に変えてしまう。
使いやすい真っ直ぐの木と成長年数が短い事での安易な人類側の理由で。
そして広葉樹を炭に薪に利用していた頃は、年老いた枝や、幹が伐られて新芽を伸ばし病気にならない若い枝を伸ばさせていた。
だから木の病気がなかった。
木との関係でさえそうなら、化石燃料にも意味があるはず必ず。

それがもしも不安定な自転を生み出すとしたら?

僕らの体でも安易な切除は、同じことに感じる。
無駄な臓器はないはず。
次は心臓に移転しそうだから、心臓切除しましょう。
こんな茶番を僕らはやっているのだと、和多志は感じる。
その為には《私》というオタマジャクシとの決別を先ず自らが意思決定する以外に、入り口はない。そして早く蛙が参加できるゲームという、新しい社会形態を創らなくてはならない。
芸術に愁いを感じて、失ったものに感動して涙している暇はない。
神はいるけれども、和多志という意識だけ。
だから神の子供として、肉体を持たせて、この地上に僕らを送った。
僕らは、その時和多志から一部としての役割を、同意して契約して。

和多志は知っているはず。
今、何処に向かえば、神の意志が成立するかを。
今誰に逢えば、神の意志が成立するかを。
だから一分でも一秒でも、気を抜いて《私》に戻ることは、もう僕にはできなくなっているのです。


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