あらえびすブログ

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愛の舞 7 アセンションまで後七日

今年最後の春日部ワークも無事終わりました。
今日は三島明日は名古屋です。
今僕のプロジェクトの更なる壮大な計画と関わることになって、今年もう一度名古屋に行かなくてはなりません。
名古屋では、伊勢神宮でのええじゃないかを多分二年後に仕掛けて行くことでの、お陰まえりでの無血開城が重要なので、名古屋に関わっている意味を凄く感じます。
と同時に三島は、富士山にエネルギーが戻るときにこれ又意味をなしてくるので、この大変革時に、辛うじて残っている定期便ワークは、最近はっきりと意味合いがみえはじめてきました。
水の為に今暮らしている山形、東北もです。

本当に皆様と一緒に、共にこの星をよくする方向に体と思考を通して、レッスンを進めれて来たことは、ありがたいことです。

世の中の大きな国レベルの争い事の問題は、本当に同じレベルの自我の現れとして、大きく我々の日常の人間関係に現れて来ます。

本当に人はそこに一瞬気づくものの、自分に起きる全ての現象に、簡単に敵を想定して、自分のタチイチを確認したがってしまいます。

その時に時間は動き続けていること、決して同じ幅の時間を生きていないこと等を忘れてしまいます。
以前筋肉番付で、プールの上にひいたござを渡る番組に頼まれて、僕が指導する方を出して見事に渡れたのですが、此れも筋肉の使い方ではなく、起きた現象を時間を停めて確認するうちにプールに落ちてしまうのです。
ですから、足を出したら確認する前にもう思考は次を繰り出していなくてはなりませんが、その時についつい不安感から確認する癖がついています。

この事が大きくなって、今の僕らに生き方をチェンジングすることを、大きく邪魔してくるのです。そしてそれでは、世の中に起きている現象を深く遠くから理解して、次元の高い状況に進ませていくことは、果てしなく難しい事になります。

敵を自らの気持ちの中につくるのは、そこに欠落が感じるから。
けれども水で一杯の器。その静けさの泉を下肚に持てたならば、そこに敵を想定して、穴埋めする事は出来なくなるのです。
物欲は、物ですから隙間が出来ます。ですから空間を満たすことは不可能なのです。
水ならば可能です。
愛のエネルギーで満たされているとき、僕らには力がみなぎってきます。
だから愛とはすいようせいのものなのでしょうか。
空気感ではないと感じます。

そして愛というエネルギーが発する前兆が気でしょう。
水が流れてくる気配は、水の里に暮らして、始めて手に入れた素晴らしい感覚です。
空間と時間の奥行きをつくる、愛の気配によってそれを空間、時間と共に拡大して、円環の連鎖の広がりに時間を設定できたときに、僕らは、五次元感覚を手にすることが出来るのです。

戻ってきたアミから

どうしたら愛が来るように出来るのか?
先ず最初に存在していることを信じること(愛は、見ることは出来ない。ただ、感じるだけだから、それを神と呼ぶひともいる)
それが出来たら心の奥底にある住まい、つまりハートに探すことだ。
それは、すでに我々の中にいる。
呼ぶ必要はない。
来てもらうように願うのではなく、ただ自由に出るようにさせてやること。
人にそれを与えてやるようにすることだ。
愛とは求めるものではなく、与えるものだ。
どうやったら手にはいるかって?
愛を与えることによって
愛することによって

もしも豊かな収穫を望む農民が、畑に種も全く蒔かないで水も肥料も与えずに、神に祈ることだけに専念したとする。
いくら祈ったにせよ、これでは何らかの収穫が得られると思う?

愛ゆえに母狼は、自分の子に危害を加えようとするものに対して獰猛になる。
人間も一般的に言って自分達の愛の為には他人に対して残酷なエゴイストになる。
こういった愛が戦争を生み出す。こういう愛が君たちの世界をとても危険な状態にしているんだよ。それは、偽りの愛ではなくて、執着という低い度数の愛なんだ。




愛を広がりのある波動に出来たとき、僕らは五次元の世界を世に生み出すことができるのでしょう。それがフラワーオブライフです。
その時夜の世界は終わり、昼間世界に移行するという、六千年周期もいよいよ来年が皮切りです。
その時代は、皆天職だけで、幸せに暮らしていけます。
今の会社、学校、税金、資産全てが大きく替わります。
変わっていくものに、軽々と身を任せて、ポニョのように波の上を跳ねてわたって行きましょう。