あらえびすブログ

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融ちゃんが身体の内面から掴んだこと  その1

一章 融ちゃんが身体の内面から掴んだこと その 1

ワンコでは当たり前なことなのに、人はきっと進化の過程で失ったのかしらんネエー。
例えばね「花」は、お腹なぜてもらうとき螺旋に其々が回転したエックスの意識を無意識に持っているの。 「もっともっとなぜてよしよしして〜よ!」とね。
けれどもきっと人は、二足歩行になって自然に使えなくなって行ったのだと思うのね。
体がリアルな地面から離れすぎるきっかけを立つことで手にしてしまったのね。
運動的には。 融ちゃんが好きなカヤックの目線こそが我々動物族の目線。
低い所にしか流れていない大事な情報が沢山あるのよ。

そうして社会が大きくなりすぎて纏めやすく 二者択一社会構造に仕立てたことが潜在意識を感じ取れなくなった一番の理由だと「わたくし」は思うのね。

だって感じ取るためには感じることをキャッチするパラボラアンテナが必要でしょう。
あれも沢山受信しやすいようにお皿の形してるじゃなあ〜い。
だから見せかけの外の形の、底に眠る身体の形が大事なのよ。

其のX型(エックス)の意識は右と左の上下が繋がるから、 全体として僅かな情報に繋がろうとしたときに無意識におきる体と脳の繋がりが生み出した形であり再現するための方法なの。
ラスコーの洞窟にはそんな螺旋などの図柄が沢山あるんだってよ。

きっと人間は、感じることよりも先に頭だけで考えることが多くなりすぎたし、なかなかもう機会が少なすぎてそうならないのだと思うの。
だから電車が少し遅れただけでイライラする人多いでしょう。
融ちゃんはそれを、先ずは武術の型や躍りのエクササイズから掴む気っかけを得たのです。

けれどもその微妙な感覚を自ら様々なエクササイズや所作で探究するうちに、昔の職人や自然界を相手に生き抜いてきた人たちは当たり前に使っていたことに気づき始めたようです。

そのきっかけは「昭和30年代の農山村での暮らし」という写真集と言ってましたよ。
その頃の一般人はイチローさんや香川さんなみの身体意識の達人達がゴロゴロいたようですよ。 「花」から見ても腰が入ってやる気に満ちあふれ、肚が決まっているからこそ静かな優しさを蓄えている様を感じるんだもの。
この人となら安心して散歩にいきたいワン!って思っちゃうもの。

所謂工夫しようとしたくなる全体を感じ取る力。
だからこそ予測に反した出来事に瞬時に対処しながらも、何時でも方向性を変えて目標達成に近づこうとする無意識化から現れる力が生まれるのよね。

犬も人間の子供も気が多いでしょう。
その現れで、落ち着きがないのとはちょっと違うわよね。
パラボラアンテナ力で様々をキャッチしてしまうのだもの。
早々じっとしてられないわよね。
だからワンコは子供が大好き。 きっとお互いに宇宙人の放送までキャッチ出来るぐらいのパラボラアンテナね。

その時に起きる内部の体の繋がり方の形が螺旋X型よ。
頭だけで理解しようとしないで肩甲骨から反対の腸骨(仙骨の両サイドにあるやつよ。一般的には仙骨と腸骨で骨盤って言ってるでしょう。)に二本の雑巾思い浮かべてそれを四つの手でギュット絞る感じよ。 難しいだろうけれども四つとも自分の手と思ってね。
四つ足はその意識が当たり前なのよ。

今電車に乗ってこの本読んでいようが直ぐにイメージしてみるのよ!
どこにいようが直ぐにやってみるの!
それが体で学習するってこと! 理屈は後回しで充分だからね。

よくいるでしょう信号変わる間や電車のホームで ゴルフスウイングしてる叔父さん。
けれどもあれは足を固定する動きだから出来るのよね 信号待ちで、電車待ちでサッカーの動きしている人はまずいないでしょう。
四つ足の身体意識を必要とするサッカーがヨーロッパでレベル高いのも凄く深い理由があるのよ。

きっといち早くグローバル資本主義のつけがきた地域だから 洗練された本能が実は大事って気付いたのだと思うのよ「花」は。 又其は別の機会に融ちゃんのレッスンで直接聞いてね。
犬族には説明が出来ないのよ当たり前すぎて。

それを「日本人は体で覚える」とか「体で掴む」とか表現したのよね。
頭だけ先に鍛えあげてきた教育はもうそろそろ終わりにしないと行く末が犬族にとっても心配なのよ。

そして「体で掴む」と足はしっかりと自動的に大地を掴み、手はソフトに握りこぶしをつくるのよね。そして自然に
丹田に力が生まれる。
これが肚が決まる。
けっして理屈じゃないのよ! 自動的に体と繋がっていく脳は頭が良いのだから。
5%位の脳しか使ってないのだから其処を鍛えないとよ。
体で掴んだ事と頭で掴んだ事は、北極と南極位違うことよ。

例えば宮大工さんの様に、 百姓が自然界の歪な木で建築するときのように、 人が今当たり前に使うような左右対称的な脳ではアシンメトリー(左右不均等のことよ)に対処出来ないはずよ。縄文土器はそのような身体意識の高い人達が創っていたからアシンメトリーなの。
だからシンメトリーな土器に移行した弥生の時から社会構造が大きく変わった証拠ね。
現にその頃から生と死を区別してお墓を遠くにしたのよ。
動物って死体発見されないでしょう。無意識に他者に食べ物として体を捧げているの凄いでしょう。

われわれ動物は見えないものを先に聴覚や嗅覚でキャッチするしかないでしょう。
だからこそ普段から感じる力を鍛えてやっと生きていけるの。
アシンメトリーの世界が当たり前。

山だって川だってシンメトリーな景色は、 ある意味気持ち悪いし飽きてくるでしょう。
富士山もシンメトリーなようでアシンメトリー
通は其処を写真で語ろうとするのよね。
やることがにくいよねえー。

シンメトリーな物は自然界に存在してないもの。
其を自分はアートとは呼ばない!って融ちゃんの尊敬する一人、岡本太郎さんは言っているよ。 人間が体を自然に扱って行くためには先ず自然とは「な〜に?」と洞察するところから始めなくちゃね。

自分をシンメトリーに扱っちゃ絶対駄目よ。
そうして深く眠るアシンメトリーな身体を発見しなくちゃね。
良いも悪いもないって言うでしょう。

融ちゃんも 都会のシンメトリーから離れて一番始めは富士山の側に六年いたのね。
最初の頃は大きく間近に毎日見える富士山に驚いていたの。
けれども直ぐに飽きたのね。
そうしてそれから五年後に 始めて彼の内部がアシンメトリーな富士山を発見し始めたのよ。

魂って今、皆簡単に口にするけれども体の奥底を発見しないと先ず無理だって山伏の修行もかじった融ちゃんは気づいたのよね。
本当はその為の瞑想なのにいつの間にか頭での瞑想になってしまっているんじゃないかしらん。 身体ワークが抜け落ちた瞑想ね。
だって自動的に心臓は動いてくれていて、其を運営管理しているのも自分なのよ。

頭では知らない深い自分。
この自分がセルフ(自己)だと思うの。
今は結果、瞑想が迷走に変化してると「花」は思うのよ。

そうして伊豆から次の深い自分と出逢う為の地を求めて、全国を周りやっとたどり着いたのが山形の東根泉郷だったのよ。
そしてね、この泉郷での生活が二年半過ぎて、今やっとアシンメトリーな景色とアシンメトリーな自分が同化し始めたようですよ。
本人がその気でも今まではまだまだアシンメトリーの情報をシンメトリーで同化させようとしていたのよね。
それだけシンメトリーな脳が造り上げる世界に人間族は脅かされているのよね。
だから誤解されても早くに生き方の方向を変えた融ちゃんは、体力も勿論だけれども脳がその変化を受け入れるには時間が必要だって東京離れるときに気付いたからと言っていたのよ。

此れから本当のアートが融ちゃんから生まれる事を「花」は心から応援しているの。
彼はそんなアートでアシ
ンメトリーな社会構造をデザインして実現させて稼動させることを最終目標に掲げているから、そんな社会で飼われる未来の犬族の為にも頑張って貰わなくてならないの。

だから「花」は本気で彼の為に未来の犬族の為に人間や地球全部の為に執筆活動協力を宣言したのです。

物知り「花」からのクイズ その1


問題

其処にいち早く気付いた哲学者は誰ですか? その人の書いた有名な本はな〜に?



ドイツのレビイーストロースの「野生の思考」

だからヨーロッパでは真四角なビルばかりでは人の全体脳が退化することにいち早く気付いて、古い町並みを壊さなくなったのよ。

けれども現代の人間様は、見える物のみで安易なシンメトリーのルールを作って生きているでしょう。
だからなかなかその力を現実化して体感するチャンスがないのだと思うのね。

例えば、もし信号に黄色がなかったら大変でしょう。
生きるって以外に黄色が基本になっていない。
日本人は3.11地震津波原発でもろにその事思い知らされたのよね。
けれどもまだまだシンメトリーな脳でしか、賛成も反対も考える事しか出来ない根本を変えることが一番の近道だって気づいてない方が大半なのよね。

我々犬も人をよくよく感じているからこいつに任せていては危険と肌で感じると、人を無視して自分が先に出て飼い主を引っ張るのよ。
よく街中で見るでしょう。
犬が人をサンポさせているような光景。

そう「肌で感じる」
こんな身体言葉が当たり前にある日本って本当は凄いのにスッカリその力を失ってしまったようね。
だって原発再稼動は可笑しいでしょう。
その最たる物じゃないかって「花」は真剣に感じているの。
ヨーロッパでも次の人類の生き方を模索している国は 原発撤退早かったでしょう。
だって犬だって凄いわよ。

ヨーロッパの飼い犬はホテルのレストランに入っても 人の食べるものは決して欲しがらないのですよ。
偉いでしょう。
我らアラスカンマラミュートも其処がわかっていないと犬ぞり引いて 人の役には立てなかったもの。
だから動物に何かしらの労力や人間よりも優れた感覚器官を自分達の生活に欠かすことが出来ないものと共に育てあってきた地域のネイティブやヨーロッパには 此れから生きてくヒントが満載だと思うの。

ただリニュアルして進めて行くのは、日本なのよね。

この時代、放射能やまだまだ訪れる天変地異や食糧難、社会保障の行き詰まり、グローバル資本主義の限界点から学び創造して進むしかない様々を日本人の創造性によって必ず雛形を創れるって地球は吟えているとおもうのよ。

体だって蝕まれた人が生き続ける意思に動かされて 様々な安心安全な自然の恵みから病気に効くものを偶然のように発見して生還されて行くこと沢山あるでしょう。

けれども自然界には殺傷能力が高い猛毒も当たり前にあるでしょう。
トリカブトとか「花」は植物図鑑見たことないけれども何故か口にしないもの。 自然界にはヤッパリ良いも悪いもないのよね。

ライフワーク古民家工房ホルモン流儀で会員制でやっている代行伏流水汲み上げ宅配業務の腐らないお水がこれ程豊かなのは人を襲うこともある熊さんや猛毒を持つ植物で薬草の乱獲の歯止めになっているからなのよ。

だって江戸の頃にこの山形の伏流水を汲むために全国から人が来て並んでいたって言うのよ。 病気になった将軍さえも自らが汲みに来たらしいワン。

融ちゃんが愛飲しているハーブテイーも そうやって偶然のように発見されたブレンド法よね。 言い換えるならば発見されていなかった体のメカニズムが 何かによって偶然発見される瞬間よね。

自分が自己と対面した時よね。
これを科学って言うでしょう。
今ある現実が沢山の偶然の積み重ねだったって。
だから偶然の積み重ねが必然をつくっているのよ。
だから偶然だ必然だと言い合っても意味がないのよね。

だから自分の体のようで自分ではない自分が山ほど存在しているのよ。
だったら地球だって同じ事。
所詮共同体なんだよ。
知っている自分と知らない自分、そして知らない自然、全部で共存!
虫だって一匹一匹確実に役割があるものね。

自然体って結局知らないことを知らないままに知ることが出来る体の事を言うじゃなーい。 ヤッパリ感じとる体が先なのね。

そして始めて心が動くのよね。
人間族が普段、心と思っているのは心ではないのかも。
だったら自分に間借りしている誰かさんが住みやすい環境に整えてあげることが健康って言うことでしょう。
もしかすると自分の方が間借りしているのかもよ。

ある日散歩の最中に融ちゃんが言っていたの。「だからワーキング犬を飼って見たかった 
んだ花!人と共存することで生きてきた犬種を僕はどうしても飼ってみたかったんだ」って。
犬族は自然体を一番知っている上で一番人に近い位置に神様に配属されているからなのかな
あ~。

話は戻って。
だから内部身体構造を体感するチャンスが少ない人間が其処にヒントを得て、武術や様々な芸事や自然界の恵みを利用する生活の中でどうにか手にして後生に伝えて来たのだと思うの。
型の奥底に眠るのは身体内部の図柄。

それを「発見してえー!」と創られ伝えられて来たのよね。
ロマンチックね。 体と脳が恋に落ちる瞬間よね。
そこは我が国日本は凄い蓄積があるのに残念。

恋と言っても今は様々に多様なstyleだけれども、基本的には男と女が恋におちて違いを認め活かし合うと「愛」が生まれてくると思うのよね。

じゃあ体と脳が恋におちて違いを認め活かし合うと「心」が生まれてくるって思うね「花」ちゃんは。
人間はある意味大変ね。
我々犬族は当たり前に使うもの。

あら嘘ばっかり。
ごめんなさい。

だって犬の訓練学校大流行じゃない。
そもそも人になつく犬族は、 人が退化すると一緒に退化してしまうのよね。

バイ
と言うことは人が変わってくれないと我々犬族も危ういってことかしらん?
何としても人間様に身体で掴める叡知をもう一度手にして頂かなくてはならないわ。
「花」頑張って何としても伝えて行かないとね。

そしてその力は、人間的には芸術的な力のこと。
少ない情報からの創造性の力。
それを何時でも使えるようにエクササイズにして維持管理し、伝承しようとしたのだと思うの。

余りに今、普段の生活でそれを体感することが出来なくなったライフスタイルになってしまったのね。
お金でお金を増やすシステムなんて、その際足るものだと思うのよね。

だから融ちゃんは 体と心を知るボディーマインド工房カンパニーハーツと 其を生活所作で体感するライフワーク工房あらえびすの二本立てでやってるのよ。

ライフワーク古民家工房はいずれワーキングビューホテルとしてイギリスの田舎にあるような外はそのままなのに中はとってもお洒落なプチホテルを目指しているのよ。
お客様はワイン飲みながら七十過ぎても逞しく雪降ろしするお婆ちゃんを見て力を貰いに来るのよ。
露天風呂は地元の方々は無料で、此処に訪れた方と地元の方の会話が弾むうちに垣根が消えていくって融ちゃんは思っているのよ。

あらえびすというのはね幕末の頃最後まで二毛作の西日本だけの考えで 日本をしきっては大変だと戦った狩猟民や百姓達が自分達に命名した名前らしいのです。
漢字では「荒夷」と書くのね。 本当は「荒戎」が始まりよ。
其を融ちゃんは「新夷」と俗語にして、今こそ狩猟民的な脳で新しい経済を学校を社会保障を生み出そうと頑張っているのです。

其をホルモン流儀と読んでるの。
捨てる物、放る物で経済を回そうと言葉を創り出したのです。

話を又人間様の身体に戻すわね。

だから先ずは体にイメージする形の間違いを正すこと。
例えば背筋を正してが 背筋を伸ばしてに変わってしまったからいけないわよね。
そうすると何か頑張ろうとするときにI型を無意識に意識してしまうの。
強引に人に強制させられている意識での頑張りがその時よ。
歯を食い縛ったらもう間違い。
此れこそが間違った言葉の身体への弊害よね。
でも強制させらていないのにこのような自称がんばり屋さんって 巷にはとっても多いのよ。

建築だって筋交い重要でしょう。
そんな風に見えるものから内部を発見して 自分の体に置き換える。
此れが融ちゃんの ワークの受け皿の大きさ。

だから今までシンメトリーに分野が刻まれている場では何ヵ所かでワークがヒットしてきたけれども、アシンメトリーな生きる全般に役立つという受け皿の大きなワークを社会がまだまだどの様に扱えばよいかを把握出来ていないのだと思うのよね。

だけれども、もう少しで其れが必要だと多くの人が気付く時代がすぐそこまで来ていて「花」には感じ取れるのよね。

そして今度は更に大きく彼は捉えて来はじめたから やっと明文化に現実化にも向かえていってるのよね。

けれどもどうしても内部の自分に語らせたいから 「花」に協力を求めたのだと思っているの。

だって内部の自分がまともに語ると宗教チックになって かえって伝わらないものよね。
彼もそれにやっと気づいたのでしょう。

だから凄い宗教家は絶対に自分の文章残してないでしょう。
全部弟子が書いたものよね。

「花」は弟子???



ポイント 1
背筋を正すとは螺旋X型を意識すること。
上も下も外向きに捻るのよ。。
所謂 雑巾絞りX攻撃!
I型だから長続きする力が出ないし 直ぐに諦めてしまうのよ。
肚がたって頭に来ちゃうとき。
心当たりある方は今直ぐに。お電話を
あ!これでは何かの宣伝。
やり直し 心当たりある方は今直ぐに手直しを!
融ちゃんワークを!
あなたのI型を形無しを雑巾絞りX型へ
お申し込みは此方 080−5139−6127
お手紙は此方 999−3722 山形県東根市大字泉郷甲808  

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