あらえびすブログ

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舞 59 消費という手段の先に見える首都圏の姿

今回も約1週間の東京、山梨、東京滞在を終えて今朝、お山に帰りつきました。

三日後又々首都圏巡りが始まります。

雪囲い準備に三日間、帰るようなものです。

しかしいつも、特に伏流水の活動をライフワークの中心に建ててから、自分の中で様々な不思議な気持ちが、同時に存在しています。

これは、首都圏と地方の過疎というあまりに違う世界の両極端に自分が存在していることで味わえる貴重な体験です。
地球さん側か人間側かという間をいったり来たりしているわけです。

その自然あっての私という脳と人間界の都合だけの私という脳を、伏流水で繋ぎ其々が保管しあい、お互いが全く違う価値を持ちながらも、前提は地球さんから頂いているという、畏敬の念と畏怖の念で繋ぐことを目指すものの、その難しさを感じるレベルが、日々大きくなっていくのを感じます。

僕自身が、まだまだその両極端な世界を自分の中で繋げ消化できていないからです。
もう僕は地球さんと同化しないことには、地球さんを、そこに暮らす全ての生き物を、よい方向に導けないと感じ、本当に沢山の価値観を捨てさせられました。
僕の痛みは、そのまま地球さんの痛みになり始めています。

華美と寂から、自分なりの侘びを見つけ出していく作業、それこそが実はこの変革の時期を越える時の重要な規範になるであろうことは、充分に予測されています。

けれどもそれは至難の技です。進化です。
自分の二種を対立させずに融合させる、本気のアート作業です。
間違えば精神錯乱を起こしかねない。
きっと皆さん考えないように、感じさせないようにやり過ごしているだけなんだと思います。

けれども真剣に向き合うと、これこそが一番重要な人類の通過地点であるのかもしれないと、感じ始めています。

伏流水が、スイッチのはいっていないDNAに目覚めを起こさせ始めているのは、自分の気持ちの大きな変化で、自分の中ではドンドン大きな変化をうみはじめています。

ですから、それが切れてくる出張時は、本当に僕も体が重くなって行きます。
だからこそ、更に届けなくては、広めてもらわなくてはと感じるのです。
このお山では、癒しは要らないのに、首都圏では、自然が与えてくれる癒しが余りにもないので、何処かでその埋め合わせをするしかなくなります。
それが、又経済を動かしてもいるのですが、小さなホッとから大きなホッとまで全てが、消費構造というプランターの土壌にしか存在できないような、お花にどうしても似ていて、もっと雄大な癒しは、いつもちっぽけな我々を脅かす雄大な畏れと共に存在しているという事実を、覆い被せて見えなくしているような気がします。

これは、一方的な自然回帰では、意味をなしません。
マヤ暦が終わると言うことは、冥王星の先にある星が、三周目に突入するという違いです。
これは、数値的にも科学的にも様々な宗教で残されたサインも拡げて見たときに、全てを言い当てています。
オカルト的な事ではなく、間違いなく太陽系が一つの大きな転換期にいよいよ入るという事です。その時に先ず価値観の変革をスムーズに行っていく、それが植芝盛平先生の仰る【禊】になっていくのです。価値観のクリーニングには、フルボ酸鉄満載の湧き水以外にあり得ません。

此れからプランターでの経済は、収縮せざるおえないと思います。
けれどもそこへ移行するためには、僕らの意識変革が重要です。
五次元の眼差しからの四次元経済を生み出せるかにかかっているのです。
難しくありません。
今僕らは三次元意識で二次元経済を扱っています。
それに、実は【気】が大きく影響している事即ち霊界も含めた次元と、宇宙も含めた大きな自然が大きく関わっているアニミズム次元、この二つの次元を普段から、三次元の日常生活に自然に感じるように仕向けていく工夫さえ持っていれば、自ずと拓かれていきます。
此れが一番の伏流水の魅力です。

自然界が宇宙や気と同調して創るモノを取り入れて、二次元、三次元感覚で取り入れたものを洗い流さなくてはならないからです。
そしてその我々が、いよいよ五次元の眼差しで四次元社会を生み出す時が来たのです。




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