あらえびすブログ

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舞 51 アマテラスさん、イクゼヨ おらは!地球の大事な大事なお水は、まかせといてや!

十一月に入って、本当に蝋燭の灯が、オリンピックの聖火のように燃えているのを、自分の体の中に感じます。
それも、針葉樹がボウボウと燃えるのだけれども、直ぐに燃え尽くすのとは全く違う、芯の芯に大きく強い確かな火種を感じるのです。

昨日のblogで、若年の頃の蓄積が消えて、ある長い一時期振り付けがつくれなくなった事を記しました。
それを取り戻そうとモガクほどに、風によって消えそうになる、創造という蝋燭の火。
此れが生きるエロスの力であったとは、思いもよらなかった。

例えば女性の体から発散されるエロスのエナジーに、男性は自分の生命力を感じます。
しかし、此れがそもそも、公人としての仕事という立場から燃えなくてはならない火と、同じ源からはしっているべきなんだと感じるのです。
ピカソはモノを創造する生命力と女性の体からあふれでる生命力に、同じ目線で観ることが出来ていたのだと、思うのです。
大好きな岡本太郎さんもしかりです。
そのような核の火になる、男女の関係がzero化してしまっていると感じます。
どちらかを補足するような二ヶ所に仕訳した火を僕はもう必要としていないのです。

その火は、風がふくほどに、酸素を取り入れて、燃え盛る。
そんな自分を感じたとき、復活ではなく、生まれ変わりとしか言い様のないものだったのです。
そしてそれがメラメラと燃えるエロスのエナジーとなって、今日は毛穴全部から放出しているのがわかるのです。
此れが光になるということなんだと、感じれている。
光になりましょうとか、光の存在何ですと言われても、無理だった理由が、ハッキリとわかるのです。
外の意識で、聖火を核に燃やすことは出来ない。
聖火に火がメラメラともえ、風がふいて消えると思いきや、さらに酸素を取り入れてメラメラと燃えたときに、偶々毛穴から出ているのがわかるだけだから。

だから復興では、全く違うのだと。
日本は生まれ変わるしかない。
そのためには、今を一度死ぬしかない。
けれどもそこで、死んだからこそ見えてる微かな光。
それこそが人魂なのであろう。
この人魂によって、生まれ変わった時に、恐ろしいほどの生命力で満たされている自分を感じるのですよ。

此れが福島で、起きなくては意味がない。
元々大蔵省の造幣局が出来て、今の福島の駅に中心がおかれたけれども、どうみても郡山の方が中心である。
福島も静岡もきっと、ある意味、無意識に東京一極集中の波に吸い込まれて、東京に便利な地方の【どこでもドア】にされてしまったのだと感じるのです。
だから偶然といえば偶然ですが、原発メルトダウンは青森でもよかった筈です。
それが、首都圏に電力を供給している福島で起きたことや、同じく首都圏に早く多くの電力を供給したく、手抜き工事で急いで作りすぎた浜岡原発のずさんさは、我々のずさんさです。
ヨーロッパで、渋谷のように寝ない都市は、ないのです。

もう東京で眠らない街を必要としないという、首都圏が生まれ変わった時に、福島は、はじめて復活するのではないでしょうか。

それをこなせるのは、水の動きのみです。
ですから僕は、やりますよ。
アマテラスさんとのお約束を貫通します。
そしてそのメラメラと燃える火は、いつも、愛する人からいただいている火種が変化して大きくなったもの。
ここになら、霊界の力も、自然界の力もいれて更に大きな聖火にしていくことが出来る。
僕は日々この聖火のエナジーを巨大なものにしていくような、確かな予感に、今満たされている。

そのような時期に、御越しいただいた、アマテラスの使者真理子さん、次郎さん、泉さん本当に有難うございます。何時でもきてください。
ククさんでも、私の身体ワークというツールで、舞ワークというツールで、伏流水から自然界と自然体を繋げる人を育てる為なら、僕は、どのようにも動きまわる準備が整っています。
どうぞご遠慮なさらずに、自由に私をお使いください。
大丈夫。僕は枯れません。
何時も愛する景子と愛する子供たちから沢山のエナジーを貰っていますから。





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