あらえびすブログ

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舞 45 ホタテのお刺身を食べて思ったこと 振り付けって?

僕の、伏流水組み上げで日本をどうにかしたいって言う活動の、現地での一番の理解者である、林業&魚屋さんのKYさんは、あるときは食べ物、あるときは古い廃材等、本当によくしていただいております。何時もこの方からは、愛とは何かを言葉を交えないで、教えて貰っております。なんか凄く良い振り付けを踊ったときのように。
この方からいただいた、松茸入りの日本酒と、ホタテのお刺身を食べながら、フッとあることを思ったのでした。
このホタテさんは、、僕に食べられなかったら、いったいどんな一生を過ごすのかなって。
頂くことは、ホタテさんの、貝生(人生と想像して)を貰ってしまった。
此れは頂く命を知りたく、飼っていたヤギを頂いた時から、ズット僕のなかでは続いているのですが、今回は少し違う身体の位置で感じ取っていたのですよ。
きっと四十回、地球にいいこいいこ体操の振り付けを、殆んどノンストップで踊る作業に入ったからなのでしょうか。
それならば、とっても良い兆候です。

此処で、ホタテさんとの間に生まれた、会話をとらえてた抱くために、振り付け作業をご説明しますね。
振り付けは、先ず、動きのみで体に任せて、食材を見つけます。
この時点では楽曲のAにあわせて出てきた食材が、もしかしたらBの箇所で使う可能性があるので、ただテーブルに食材を並べて、さて何を作ろうかと、考えているときです。
はじめから、カルボナーラ作ると言うのが、結果最悪な作品になるのです。

食材が集まったとき、振り付けは、だいたい七割が完成しています。
しかし、意図がないので、今回のような、わかりやすく、想いが強いものほど、テーブルに並べた食材の段階で、どうしても先に意味付けをしたがる脳が、振り付けを自然なものにしていかず、説明する動きになってしまうので、冷凍食品を食べているような味気ないものに結果なってしまうのです。
此れでは、地球さんに「ありがとう」を伝える事にはならないわけよ。
此処が具体性の強い、それも想いを託しやすい言葉の歌に振り付けを施す時の難しさでもあります。自分の虚がばれてしまう。子供は、見抜きます。
ましてや、大人さえも【素】に帰れる振り付けを見いだしたいのですから。
何回か見るとある程度は、誰でも踊れる。
けれども何回も踊って見たいって、思えるものかを自分に判断していくうちに、振り付けた箇所に、突然意味が後付けされます。人生そっくり。
例えば、今回の「♪イイコイイコ♪」のテレコの部分、自分の手の下に、山に川に海に雲にイイコイイコしているなって、風景が見えはじめるのです。
此処で自分がやっと、何の料理に向かっているかが見えて来ます。
だから抽象画のように、大人向けの芸術に逃げた方がズット楽チンなのです。
奇抜な動き、テクニックは、意図的から生まれるから。


振り付けが七割完成すると、歌が、掛け声が自然に身に付くまで、約三時間から四時間、殆んどノンストップで、踊るという、作業に移ります。
この段階では、まだうっすらとしか見えない、料理のために、とりあえず、湯を沸かしたり、先に始めてしまう作業です。
そこで自然に繋がるように、無意識から体が、繋がりの丁度良い【間】やおかず、声を発掘するのに付き合うのです。だから回数が必要なのです。
料理で言えば食材に、あえて使わないものや、同じ食材を三通りに分けて使おうかと、見え始めてくるに繋げるためです。

彼女とデートして、本当に自分らしい服を見つけるために、デパートを行ったり来たり戻ったりを繰り返すうちに決まっていくのに、お付き合いする感覚に似ています。
撮影クルーが、東京からいらっしゃるまでの一週間の、重要な作業です。
今度は服が決まった、けれども、靴がスカーフが帽子が此れからって言う時期です。
昨日決めていた帽子が、今日は違和感を持つ。
その時に潔く、この帽子は諦める。
いよいよ帽子もスカーフも靴も決まった、後はバック。
完成に近づく程に、可能性が狭まる。
しかしこの作業は、歌の歌詞そのものに体が同調して、何時でも自然に今生み出さた【生】に躍りも含めた作品全体を生き物にするためです。
しかし、生物として踊れるようになるほどに、筋肉痛が凄い。
それもインナーマッスルのみが。
策略的に振り付けを頭で作って、頭で構成を作ったものは、何故か外の筋肉に疲れがでてしまうのです。そして必ず怪我に繋がる。

この事が昔わかりはじめたとき、僕はそうさせる脳に主体を移しました。
一見、躍りで怪我したことと、自分の思考パターンは別だと思われているけれども、そこには実は、今の【己】を見事に裸にして暴露してしまうという、芸事や武という極めていくものに潜む、本当の怖さを知った時でもありました。
わかればわかるほどに、普段の思考パターンと同じ脳で、動いているのです。
ということは、不快な痛みや怪我、そして身近な風邪も含めて、自分でもなかなか知れない全体を扱える【素】の自分と今の思考パターンへのズレがそうさせると言うことなのです。
そのズレを知らせてくれるのが、身体に現れる症状です。

昨日はラストで持っていくバックまで決まった。
料理で言えば、お皿も、出す順番も決まった。
此処で今日又、ぶっ壊すのです。
もっと良いツアーを組むために。
又、食材並べからのスタートに戻るのです。
この時に昨日の自分は、いてはならないのです。
何時も動いている波に乗っているのですから、昨日の自分と比べない事が必須です。
そんな風に言い聞かせて、振り付けが完成していくのです。
手渡すまで後四日、僕は、壊し続けて、壊さなくてよくなるまで、吟味する作業に入りました。
此れは水を汲み上げに行くときに感動する、僕そのものに、振り付けそのものががなとうとしているという感じです。この時が手渡すときです。

さてやっとホタテさんの出番です。
僕らは、自分を人に食べて貰うってなかなか体感できない。
ホタテさんは、食べられて、確率の低さで残ったものが命をつなぐとしたら、僕は、ソロソロ食べられる生き方に入ろうとしているのかなって。
真意は、謎だけれども、大好きな星野道夫さんは、熊に襲われたのではなく、ヤッパリ、自然に食べてもらいたかったのかもしれないと。
クマさんの領域で、余りに人間社会的な自由を振る舞う、ロシアの撮影クルーの態度が、自分が生み出してしまったと言う、自然界への自責の想いで、捧げたのかなって。
ホタテさんのように食べて貰って、次の地球さんの肥やしになって、自分を捧げてしまうように今回の躍りを、踊っていきたいなって。
ホタテさんは、縁があって、此処に来てしまった。
そして、僕に身を捧げた。
今回の振り付けは、僕が観て捉え、残していきたい地球さんが教えてくれた【愛】です。
僕は、もっともっと、貝殻のみに向かって、貝柱を貝紐を捧げたいって。
まるでドナーのように、細やかでも、僕が観ている地球さんの【生の風景】を僕の目から相手の目に移植させて見たいって。
この振り付けを通して、踊っている僕が見えている地球さんの風景を、共に躍りながら、その人のたち位置から見える場所に、お運びさせて貰う、バスガイドに徹して行きたいって。
それが一つの小さな想いで、それがなし得れたときに、本物の絆が生まれるのかなって。





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