あらえびすブログ

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舞 44 待っててね!チンタオ少林寺の龍亀さ〜ん絶対に迎えに行くよ。今年、年少タケノコ組!の僕が

三回程今後の現状にと、下見で訪れた上海。
本当にお水が流れが腐敗していて、ここも日本が片付いたら、綺麗にして、本当の東洋の都にしたいなって思ったのです。
ゴミも皆ポイ捨てで、敵もさるものながらここの変革着手までは、生きてにゃならねーべさ、って思った場所です。
その時に縁あって龍神の木がある、チンタオ少林寺系列のお寺に連れていって貰ったのです。
この時にマンホールの蓋ほどの龍亀さんの木彫りの置物。
目があってお互いに一目惚れ。日本なら何百万単位。
売り物でもなんでもないのに、売ってくれると聞いたら、いいよと。
お値段はと聞くと、30万。
中国ではふっかけるから、きっと10万が妥当。
けれども縁起物で、お互い目があってしまったのだから、今度来るときは、30万持って引き取りに来るよと誓った僕にとってはいわくもの。

地球さんいいこいいこ体操の振り付けを依頼される前々日、突然思い出した、龍亀さんとのお約束。
【この少林寺の湧水が綺麗だったから出来たのがチンタオビール。】
さすが漢民族とは違うのが、少林寺

龍亀さんの声が突然降ってきた。
「君の山形の伏流水は、いずれ此処でも要るんだ。」
「だからおらもいかにゃならねえーって、一緒に山形の里山でチンタオビールのむべーと。」

そして仕事の下見で、地球さんいいこいいこ体操の振り付けを依頼される前日、河口湖へ。
サルジオ学園のシスターが管理されている大きな山荘。
途中よった身延山日蓮宗の本山。
聞いてはいたけれども、此処には龍の天井画があるのです。
けれども原始宗教敵な山伏から入った僕の宗教観では、まずいかない。
例え龍の天井画があるって知っていても。
そしたら同行した、今回の主人がコースに入れられていた。
きたぞきたぞと思った。
本堂に入って、お経を唱えて、龍を観たら、「龍亀さん待っているぞ」と。

それから亀が場であることを昔知ることになった、亀甲万(キッコウマン醤油)の由来の秘密を思い出しはじめた。
八識の六個が甲羅で示され、だからキッコウーマンの先代はそのように命名したって話。
そしてアラヤシキの二個が龍の首と頭で示されているって言うのは、この龍亀さんと中国で出会ってから知った。
だから龍亀さんは八識を立体的に示されている。
六個は紛れもなく、バザール。今生の場ですねえー。そこを見事に繋ぐのが尻尾とアラヤシキの変幻自在の軸、即ち龍。
植芝盛平合気道開祖の剣の奉納の御神事この白黒の映像の動きは、まさに龍が亀の甲羅という万年の地球の大地を貫くように、宇宙と我々の己を繋ぎ生きるをを示されていると、ボンヤリとしかなかったこの開祖の御神事と龍亀さんの真髄が、身延山で僕の気骨を貫いたのです。

そして龍亀さん来年迎えに行こうと決めた。そして御伺いした日に、家では雷神の花が咲いている。
僕がよく下に着ているのは、mont-bellのカヤックテイーシャツ風神がカヤックで荒海を渡る柄物。
これも今回山形に東京暑いから下着がわりテイーシャツ要らないと、置いて行った。

そして振り付け依頼当日が来た。
お会いする前から、ピッと来るもの感じて、到着。
真理子さんもスタッフもピッと感じた通り。
事務所も全てが。
そしたら水に関心をお持ちだった。
同じ方向向いていた。
この時に実は整っていた。
今生の場は亀の甲羅。
宇宙と魂と地球さんという生きる現世の場を繋ぐのが龍神、水の動き。
テイーシャツの荒海は、水の動きを表現。即ち龍神。それを操る風神!
そして雷神の花が咲いた。一生に一回しか咲かない花が。
それを観たものは三回こすって願い事したら叶うという曰く付き。
そうかと帰ってからわかった。
この依頼を承った振り付けこそが花となるんだと。
これが今回のサインの全貌でした。

まだパズルが合わさっただけだから、これからが始まりでしょう。
それは間違いなく、十一月十一日十一時十一分!
此れは、blogにも書いてあるように、去年から出ていたサイン。
僕は去年の同じ日から一年間かけて、本当に今年のこの日の為に殆んど捨て去った。
本気で捨てたから二度生まれを体感した。
そうなるといよいよ第一章が始まる。
去年の同時刻から今年の十一月十一日十一時十一分までは、この日に立てるための僕なりのクレンジングのプロローグでしかなかった。
きっと自分に本気で正直に生きてこなかったから、一年間もかかって取らなくてはならない垢がこびりついていたのでしょう。
本当にこのクレンジングにお付き合い下さった全ての体験、関わった場所、ひと、空間、そんな設定を大きな気持ちで用意してくれていた地球さんに本当にありがとうと、伝えたい。
そうやって出来た振り付けです。
僕も二度生まれをした年少で踊ります。
それは三才に戻ること。
実はズット前から、三歳からの生き直しを夢見ていました。
それも今度は自分の足でしっかりと自分がピュアに信じるものにただ素直に自分以外変だよと言われてもそれが自分の本心ならそれを生きようって。結果は結果それは丸ごと受け入れるだけ。
そして僕は今五十三歳。何故か五十三歳から五十歳引くと三歳の年少さんです。
ということは五十歳で実は一度死んでいたのです。
生きながらも死んでいた。昔の出家。
震災の前に死んでいた。
伊豆の家を手放したときに死んでいた。
けれども何故か、お寺にも入らないで、違う東出融を生きていた。
そして気付いたら、地球さん保育園年少タケノコ組に入っていたのです。






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