あらえびすブログ

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舞 41 一年間を二十日で食べるいい男

今日の里山の朝焼けです。

一年間を二十日で食べるいい男!
この言葉は、昔のお相撲さんに言った言葉です。
言い方変えれば、二十日の本番以外、一年かけて体を心整えて準備して、この一年間一回の場所に賭ける生き方ですね。
今は場所も増え、地方巡業も忙しく、【素】からドンドン遠ざかっているのが現状かしらん。
僕らも皆、自分の【素】を見失っている。
自然界は刻々と【素】のみを更新していく。
僕らは、【素】からドンドン遠ざかって忙しく変化して、自分がどう生きるかを見失って進んで、結果恐竜よりも短い間の生存動物に慣れ果てて行こうとしている。
自分も含めて、情けないよなあー!
子供の頃、地球さんから印籠突きつけられた恐竜を、バカだなあと思っていたけれども、そんな僕らの方がズットバカだったという事に帰着しそうな事が沢山現れてきだした。

いよいよマヤ暦が今日で終わる。
地震が起きるとかそんな断片的なことだけじゃなくて、もっともっと本質の生きるを考えろって、突きつけられて来るのかなって思います。
当たり前に繰り返すが、きっと今日で終わるのかな。
現実的には、一応、玄米三俵、ガソリン携行カンに五つ、薪は二年分確保してあるけれどもね。
本当に3.11直後の東北は大変だったから。
あれあれ大変なことになっていくなあー!、東海沖地震危ないって、其なのに生きる当たり前の備えが無さすぎだよなあー。
そして意を決して、伊豆の自然界の傷では、大変だろうなって、山形に来て、此処がそのスタートになるとは思っていなかった。
けれどもこのお山が山ほどある、里山は揺れなかった。
ヤッパリ漬け物石の威力はすごいなって、偉大なお山を尊敬した。
採石している山を見るとわかるけれども、土壌は僕らの皮膚ほどしかなくて、本当に巨大な石のかたまりがお山さん。
デーンと構えてくれている。
その中にあれだけ柔らかい伏流水を蓄えて。
そんな自分になりたいのですよ。
お山さんのように。
だから五十三年+アルファーを、此れからの過去を越えれる未来の為に生きる、いい男を目指したいなあーって。

この時期に、雷神が咲いて、NHKの取材が昨日あって、愉快な仲間たちと出逢えて、十一月十一日に向けての地球さんありがとうのイベントに向けて振り付けを依頼されて、一番の入り口にあたると、前々から予感していた来月にいったい何がお来はじめるのかしらん。
昨日のNHKの取材の若人も、素晴らしく真っ直ぐな青年でした。
勿論、上手く取り上げて欲しいけれども、僕の真意を理解してくれて、取り上げたばっかりに、この活動を頓挫させたくないって。
だから慎重にこの活動のマイナスにならないように、色々付箋をはってと、理解してくれました。【素】の人間同士で、二時間語り合えました。
僕としては今、吉田松陰のように死ぬわけにはいかない。
ある意味、日本の現在の法改正にまで及ぶ活動だから、誤解されると逮捕もあり得るわけで。
だから本当に、一人一人の【素】と出逢って、伏流水サポーターを獲得するしかないって、当たり前に思っているから、取り上げられるられない等は、流れでしかないから、マスメデイアにもおんぶにダッコしたくないのです。
けれども此れから起きることは、全て僕らを鍛えてくれる、大事な一大イベントであることだけは確かです。そして越えていくのは、一人一人の創意工夫と、地球さんありきの本物の絆。
その意味では、NHKの看板とは別に、たまたまその仕事を情熱を持っていらっしゃる、青年と絆を結べたと感じる、幸せな一日でした。

こんなときに、サルトルのこの言葉が気になりました。
【他者から見られることは、物に変化してしまうことだ】
物にならないためには、投企として、その眼差しを向け返すことだと述べているのです。
そのNHKの青年とは、眼差しを向け返し逢えた。
今の瞬間、同じ所を見ていることだけは、充分確信出来た。
それだけで幸せです。
そして投企とは、【自己の存在の可能性を未来に向かって投げ、企てること】、所謂【挑戦】だ。

僕らは、未来に向かって自己を投げているのか?
其処に停滞するように投げだすのとは、わけが違う。
解らない、分からない、判らないままに、未来の可能性の土俵に如何に自分を【素】で投げ入れ、だからこそ見えてくる企てを掴むのか。
そのように自分は解釈をします。
目標は日々揺らいでいる。
それは自分の目標ではなく、ターゲットのこと。
ターゲットは、何時も揺らいでいて当たり前なもの。
生きているからこそ、揺らぐ。
だから、絶対を求めるのはやめること。
即ち生きてはいないものを追いかけることに繋がる、自らの弱い思考が顔を出し始めるから。
【場】を見据えつつも、思考で其処に、追い込む、導くなんて汚いことは、一切しない、勇気かな。身体を知って極めていき、壁にぶち当たり、それでも進むうちに身に付く、【気骨】を持つ、骨のある男になっていきたい。
こんな、ハゲでも其処には近づける。
この【気骨】にしか、なし得ることが出来ない事をしているんだから。
だから、なし得れなかったら、其処までの【気骨】しか、今は持っていないって言うこと。
そして又磨くしかない。
だからこそ、絶対を絶対と見ない絶対な視線力を持ち続ける事は、重要であると感じるのです。
それが背骨に背中に見えてしまうものだから。
それはどんなに小さな疑問も、しっかり疑問と捉えて、解決する姿勢ではないだろうか。
今の世界から急速にグローバル資本主義が衰退していくことはない。
だから敵は、僕にとってはグローバル資本主義ではない。
そのグローバル資本主義の土俵でありながらも、全く違う戦法で、結果勝利に導き、「アッパレ」とグローバル資本主義者にも、違う方法を提示する事が、気持ちよいと感じれる自分いるからに、他ならない。
桜井章一さんが仰るように、【信じるなんて言葉は使いたくない】なって。

二の足を踏むのは不安が一番の理由だけれども不安には、実体がないのだから、実態のないものに囚われている。
だから不安なだけで、実体を見続ける目を獲得したときには、不安は不安ではなくなる。
見えているから。此のときに【気骨】が育つ。
修羅場を潜り抜けてきた僕の明治生まれの祖母の立派な【気骨】を、何故か今思い出した。
本当に気丈な人であった。彼女の一生は、どんなドラマよりもドラマチックに、【気丈な素】を生きてこられた、スゴイ人であった。
だから、人が運がついてきた。
彼女は果敢に、壁を越えて必死に生きているうちに【気骨】が、有無も言わせない迫力を身に付けていかれただけ。それに結果色んなモノが着いていった。
そして、生き方、志が気骨を作る。

僕らは、自分達の手で、過去に負けない未来を作り出さなくてはならないと、本気で思っています。この生き方が日本人に【気骨】を取り戻す事に繋がる。
近い過去にも遠い過去にも負けない未来を。僕は弱小でも弱小なりに、過去に負けない未を、愛する人と一緒に作って行きたいと思います。
大きな物語はいりません。一見僕のプランは大きく勘違いされます。
見据えているだけです。到達は、僕の【気骨】次第。
振り替えったら、なし得ていたが、本当で、目標が前にあるうちは、まだまだだって、掴んだのです。それがパイオニア、開拓者。前にあるのは、永遠に続く壁ノミ。
だから見据えている【場】さえも越えたときには、次の壁が前に立ちはだかる。
此れはきっと、徐々に【場】を譲っていくという、自分の存在という壁を越えることに繋がると感じるのです。引退への道です。それが僕にとっては、伏流水汲み上げ活動から、雇用を作ることなのです。

そして小さな物語の中に、其々が過去に負けない未来を作り出せたなら、それは、自と大きな物語を生んでいくことに繋がって行くことでしょう。



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