あらえびすブログ

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舞 32 ファブリツイオ.グラッセッリさんのメッセージ

今日から一週間東京、埼玉、三島、名古屋、山梨、東京と動きます。
山の中から毎月こうやって都会に来る、そのような生活は、8年にもなります。
はじめの頃は、イデオロギイー的な脳で散々比べて生きていました。
今は、お陰さまで、どちらでも感じるものを、自分の中で調和出来て、バランスがとれています。此れも本当に様々な体験を、良いも悪いも与えてくれる人生に対して、「お陰さま」の気持ちでいっぱいです。

さて、今日はグラッセッリさんの新書のエピローグを、ご紹介させて頂きます。
そこ短くする為に加筆しました。

今のこの国の非常事態は、「金銭による癒着」と「現状維持志向」そして社会の様々な事柄に関する「悲観主義」です。
私は二〇年ほど前まで多くの事が語られてきた、日本とイタリアの戦後の復興は、決して奇跡ではなかったと思っています。
なぜならこの二つの国は、何千万人という人々が、しっかりとしたモラルを生活の基礎に置いて、本当に真面目に一生懸命働いて来たからです。
今はその効力も薄れてきましたが。
私にはこの両国が、一見したところ違ったものに見えますが、実は非常に似ています。
先ずどちらの国もある種の「政治的な不調」の時代に入っているように見えるのです。
どちらの国も政治家、政党、官僚に悲劇的なモラルの低下が見られます。
そして古い政党が倒され、改革派が現れてはおりますが、実際どちらの国も以前使ったスーローガンやマニフェストを形を変えて「リサイクル」しながら、見かけだけは頼もしい「改革の為のプログラム」を作り上げて、「権力の為の権力」を手中に収め保持しようと企んでいるのです。
そしてそれは旧来よりも更に危険な悪しきポピュリスト=大衆扇動家の言葉を耳障りの良いレトリックで仕立て直したものに他ならないのです。
そうしているうちに、この二つの国の経済システムはドンドン劣化し、経済、社会(自然をも含むと僕東出融は、捉えたいです。)がついに停止に寸前に追い込まれているのです。
それは顕著に教育の機能不全に現れています。
我々は、未来の世代に本当の意味での明るい明日を、見せてあげることが出来ずにいます。
なぜなら、彼らは自国の閉鎖的な教育システムに押し込められていて、世界の新興国の同世代の人々と、文化的、技術的、知的な側面で、競いあう機会を与えられていないからです。
私たちは、自由と、十分な情報を得ることが保障されている世界に住んでいると、思っています。
しかし実際は、巨大な網に捕らえられた魚の群れのようなものです。
そして捕らえている漁師が、我々の運命を決定するものが、いったい誰なのかは、知らされていないのです。
私のこのパソコンも、人間の権利がほとんど与えられていない、新興国での労働で組み立てれたものです。
そしてこの現実の前に如何に自分が無力か、と感じているのです。
その顔の見えない漁師は、たった一通のメールや電話で何千万という人の運命を左右することが出来る巨大な力を持った人物たちです。
彼らは大衆を騙して、「正義の戦争」をすることを、協力することを押し付けてきます。
ある時は、マスメデイアを通して、ソーシャルネットワークを通じて、私たちが「正しい生活」
をするように誘導してきます。
食べるものについても、話のする内容についても、何れで笑うのかさえ。見えない方法で。
我々は、彼らの利潤を生み出す道具になるように、知らず知らずのうちに、コントロールされているのではないでしょうか。
しかしこの問題を過去の思想、ファシズムナショナリズム共産主義といったイデオロギーに回帰することは、何の解決にもなりません。
かといって、マスメデイアを通して偽善者の顔で報じられるたてまえでは、独裁者や悪の政権から、一国の国民を解放するという、名目で実際には力の持った一部の人々が、エネルギー資源の利権をコントロールするために行う戦争に、結果的に私たち自身が加担させられてしまっているような状況に、黙って甘んじるわけにはいきません。
結局、私たちが歩むべき唯一の道は、この広い世界を真っ直ぐに見ようと努めることをやめないということ。
そして便利なこの何気無い当たり前に化け始めている豊かさが、世界中の何千万人、何億人という数の人が受けている搾取と貧困と空腹と絶え間ない紛争という、とてつもない代償と引き換えになって得られているものだと忘れないことではないでしょうか。

(僕がblogで書いてきた、コンビニエンス弁当の彩りの中東の絹さや利用、自動販売機の海外の天然水をなぜワザワザ化石燃料を使って届くのか?そしてなぜここまで価格破壊を起こせるのかという思考を続けてほしいのです。安ければそれで良い。そのつけはきっと思いもよらない形でやって来ます。僕らの子供と同じ位の子達が無償で働かせて成り立つ安さという罠です。)

一つの国の、歴史、文化、尊厳に誠実に向き合うということを、自分の都合でつけたり消したり出来るテレビのようなものと考えてはいけません。この事を考え続ける、痛みを感じ続ける其が「本当の力」になり、そこから何かが生まれてくると思うのです。
今、日本もイタリアも亡国の危機です。
そしてその前でイタリア人は「空回り型のおバカさん」、日本人は「思考停止型のおバカさん」だと言えます。その為に必要なのが【小さな革命】からだと。


早くグラッセッリさんにお会いしたいです。
昨日遂にお電話頂けた、S.Sさんにも。
そして伏流水の素晴らしさを理解され、一生懸命広げ始めてくれた、素直な名古屋のT.Mさんも本当に有り難う。君が来てから、そして家の周りの改築も全て終わってから、いよいよ第二章が幕を開けたようです。

いつか新しい日本人が溢れたの見て、その時に其々の立場でやれることでやって来た結果が結ばれた景色を見ながら、皆でいっぱい飲みたいです。

僕はグラッセッリさんがおっしゃる広く見る世界に、是非とも当たり前に動植物も含めて頂きたいのです。
彼らは、なぜ人間の都合で、自分達の生命保持のフルボ酸鉄を今、失い枯れなくてはいけないのか。そしてそれはジワジワと人間に帰ってくるのですから、僕らの代弁者でもあります。
枯れる身で身を削って警告を発してくれています。
だから本当に広く広く世界を見て、行くべきだと思うのです。
同じ時期に買った「修羅場」の新書をお書きになられた、S.Sさんからも昨日お電話いただけました。今回出来ればお会いしてご協力の依頼をお伝えしたいと思っております。
無力なりに僕がやっている伏流水は、僕とは違って、本物です。
だから僕は、この伏流水の活動に関しては、どうにか愚かな動物脳が不思議に押さえられてしまいます。
だからこそ本物だなって思うのです。
僕はこのお山伏流水共同組合に五十代で再就職してしまいました。
自分を越えた「本物」をお伝えする事で結果道が閉ざされたとしても、この【公】の仕事を持たせて頂けたことだけで、それでドンドン自分が穏やかな気持ちになっていく不思議さに満足しています。
だからこそ、最後の最後まで諦めずに、少しでも前に進んで行こうと思っています。
自分のバランスを整えながら!
此処まで僕はどちらかというと空回り型おバカさんでした。
しかし古民家の改築で、この活動のお陰で、バランスをいつも失わない自分に育ち始めまた。
所謂生活がエクササイズだ!にやっと僕自身がたどり着けたのでしょうか。
感謝です。


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