あらえびすブログ

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舞 28 広くから、絞れる目線を得るために更に俯瞰したいと。

何が正しくて、何が間違いか!この思考の罠は、立ちいちでどうしても変わってしまう。
そしてその思考に縛られていると、きっとマクド型経済を生み出し使用している僕らの頭からは、脱し得れないと感じるのです。
今の短期型収益優先のマクド型経済のグローバルの意味合いと、マクロ型グローバルの意味合いは、全く違う視点なのだと感じます。

画家のフェアメールは、画面に三個の視点を表現出来た人です。
この目線が欲しいのです。
例えば、確かに24時間のコンビニエンスや、マクドナルドは便利です。
可笑しさも見えます。
世界中で何時でもマクドナルドの同じ味が食べれる。
想像がつくから、期待もしてないけれども、まあまあ裏切られもしない。
ファミレスも同じですね。だから24時間営業できる。
コンビニエンスとかなら、遠くの中東からワザワザ、現地の人は殆ど食べたこともない絹さやを、お弁当の彩りだけで空輸する。
この当たり前で世界中を網羅しようとすると、半端ではない、化石燃料を使う。
化学や化石などの【化】が凄く問題だと思うのです。
化けてしまう怖さ。【化食物】と捉えると、怖さが感じるのです。
日本の水道は、【化水】、売られている天然水も生ではないから【変化天然水】です。
僕らが自分の体感で判断出来ないように慣らされて、安全な化学的薬品を使用して、腐敗をコントロールして、安全なお弁当を供給しているという【化データ】に騙されます。

例えば灯油やガソリン、直接動物を燃やして走らせていると感じましょう。
空輸も、たかだか二個ほどの彩りを五百円のお弁当に飾るために、労働力の安い中東から何匹の動物を燃やしながら運ばれてくる。
便利とは見える世界で、裏ではとてつもない無駄な乱獲あってのことです。
馬鹿な国の裸の王さまが今日の料理は彩りが悪い。だからどっかから絹さやを持ってこい。けれども自分は乗馬が大好きだから、国の動物は燃やすな。だから飛行機の燃料は、アラスカのカリブー(鹿の一種で何百万頭で移動します)を燃やして持ってこいと言っている可笑しさです。
たかだか、五百円のたいした集中もしないで、惰性で腹を充たす、記憶にも残らない【化食】の為にです。そして親父ギャグになりますが、この【化食物】は、中毒性が潜むから【過食】するのです。
この前訪れてくれた、伏流水のサポーターで名古屋のワークにも参加しているT.Mさんは、ここの生活には、他方向に満足を求めないで済む本当の満たされ感が一杯で、この気持ちのマッタリ感は凄いといっていただきました。
彼は伏流水を化粧水のように保湿の為にスプレーで、顔面にシュシュしているそうですが、伏流水のお風呂には、息苦しさが零だと驚いていました。
化粧も何かに新しい違う【ケ】を見つけたいです。

このように、便利という視点、あれどこかへんだという視点、そしてもうひとつは、適度に利用しながらも、地球の王道をいくぞと言う、自分の立ちいちのバランスの視点。
これで三つですが僕は、ここまでとりつかれたように、生きてきてしまいましたから、ある意味常識のない馬鹿者です。
この馬鹿者はあるときからズーット、この良いともいえないな、悪いとも言えないなとの視点から毎日をどうにか積み重ねて来ました。
その時に当然孤立化していきます。
此処でも【化】が登場しますが、「孤立」ではなく孤立したような錯覚が「孤立化」ですら、バランスの【支点】を【視点】が見ているだけだと気付いたのです。
立ちいちの自分なりのバランスの【支点】から見るのは八方全部を含む前です。
玉乗りしならば転げ落ちないかと、何時も【支点】を【視点】が見定めようとしている。
それでは絶対に前に三つの視点を作れないはずです。
そこから実は出て、どのように立ちいちの【支点】が違うものと道を繋ぐか、それこそが今僕が獲得したい【視点】なのです。

立体思考への入り口をやっと手にし始めた気がします。
この視点は山の稜線を見ることで、産声を上げました。
きっとそこを野性動物は移動して、生き抜く。
今この【山の稜線思考】が、僕の次へ入れるかの瀬戸際での重要なアイテムになりますが、いよいよ此処ではまともに吹き抜ける風をどのように捉えれるかが重要なポイントです。
【水】、【風】、この関係性は、きっと儒教に色濃く反映されていると思います。
だから風水などをうみだしたのでしょう。
それを多分日常の生活の空間に配置して、導線を身体に刻んだんだと思うのです。
きっと風水は素晴らしい、身体ワークなのだと思い始めています。

ということは、良い悪いから導きだした自分の立ちいちの支点という三つ視点と、立ちいちの違う所にも存在している八方向での三つの視点を、其々繋いでいくようにできている、自然界の山の稜線を繋ぐような新たな思考を求め始めたのです。





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