あらえびすブログ

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舞 20 生涯一度の本気の舞2

昨日は、身体性が前提の中での農業を通して、如何にマクド型からマクロ型に変貌を遂げるかの考察の、序章を書いてきました。
更に掘り下げながら、マクロ型の【舞】や【祭】、【ワーク】を記していきたいと思います。

日本はユーラシア大陸の東側のモンスーン地帯に位置する、多雨と山がちな地形が特徴です。
ヨーロッパの農業国フランスでは、降雨量が日本の半分以下です。一方、国土の平地は、日本の倍以上の割合で存在しています。
ヨーロッパでは、休耕させたり農薬を投入することで、連作障害を押さえることがポイントですが、水田という特殊な装置を持つ日本では、上流部から養分を運び老廃物を洗い流す事で、連作障害を起こさないシステムを確立してきました。
この水を利用することで、集落にはルールが必要になります。
よって水は集落の共有財産であり、水の利用について個人主義はおきようがなかったのです。
この強固な連帯性のなかに【祭】は存在していました。
地域に残る【舞】も、普段のこの連帯性のもとがベースで、伝承されて来たと感じます。
堆肥作りの技術の裏付けにも、農業でありながら、近くの山を利用していたので、広葉樹の促成を把握出来ていたのです。
家畜の糞の利用にしても、どのような時にどのような有効な糞を出すのか知らなければならないし、水に関しては、国土が小さく、上流部での異変を即座に見抜く地形も効をそうしています。
即ち、全体に精通して、日常から動植物に触れて、土や山や水の気配を体得する必要性があったのです。

だからこそ、天災などの緊急時に対しての備えとして、何処に家を建て、どのような配置で家の回りをデザインし、どのような意味合いの【舞】を設定するかまで、トータルな中での一部分として【祭】は重要な役割を担っていたのです。
今の【祭】が、肝心な自然界とともに生きるという事で得てきた、自然に対するカンが抜け落ちている事に気付くことでしょう。

此れは、学校教育にも単に買い物にも余暇にも現れている、絶対的な僕らの欠落です。
そして身近に迫る、首都圏直下型と東南海地震は、まさに我々に急速なこの欠落の再取得を突きつけているのです。
しかし昨日も書きましたが、マクド型システムにドップリ浸かっている、今の我々の生活は、この再取得は至難の技です。
しかし僕は、カッコつけて言うわけではありませんが、たかをくくっているよりは、ノアの方舟を作る方を選んでしまいました。
本当に大変です。今のグローバル経済が今だ続くなかから、「一抜けた!」のですから。
こんなに「動かないものか!」が実感です。
それと同時に、失うものは全てなくしたのですから、何か清々しさも同時に感じています。

今のblogの下地に使わせて頂いてる新書「日本の農業の正しい絶望法」と同じく、「日本の現民の正しい絶望法」を本気で感じてこその、今の伏流水の活動です。
首都圏直下型や東海地震発生時には、その時この伏流水をどう配るか?
その為には、早くミドリムシで走る車が出てほしいと真剣に思っています。
そして、全国に欲張って、一万人、最低でも五千人の伏流水会員が成り立っていたら、其処をベース基地に、腐らない薬水を届けれると思っています。
都会では炊き出しする薪も新建材で建てられた倒壊した家から供給するのは無理に近い、ましてや東北という開発が見捨てられた地域だから、自衛隊のスムーズな配備が進んだことを考えるならば、瓦礫で遮断された東京では、流通が停まれば、生き地獄を味わう可能性が余りにも大きいと思うのです。
その時にも、代々日本で薬水としても活用された伏流水は、怪我から発展する病気の進行を抑制出来ると感じています。
其処で、日本が自分達の国に此だけ豊な伏流水を実感して、日本の未来の経済の重要な一点を担うものに育って行くきっかけを作れたならば、僕のお役目は、終わりです。

その後の人生があるのならば、北の国からの遺言のように、自然界の仕組みの中で、人間の本来の位置で自然界に対して謙虚に生きたいと思っています。
この自然界に生かされているという、一番の幸福をもう手放して、人間社会のみに通用する生き方を、生きると思えない自分がもう確固として存在しているからです。
この自分にもう嘘はつけません。

3.11の時も準備していたのに、準備が整う前に起きてしまった。
今度はどうしても追い越されたくない!この気持ちだけがエネルギーです。
この時始めて、「生涯一度の本気の舞」を舞えると確信しています。
今まで散々、のぼせ上がって生きてきた我々が、大きな圧倒的な力にひれ伏した時に生まれでる【舞】と、僕は出逢うことが出来たのなら、それを毎年大切に躍り続けて行きたいのです。
イヌイットのおばあさんが、天からの贈り物として、クジラ漁が成功したときに泣きながら舞うように。

ただバレエを教え、経済的に成功するコンテンポラリーバレエ団を創ろうと躍起になって生きていた、のぼせ上がった自分が限界に立ち、山伏の修行時に本当の【舞】を散々突きつけらた、唯一の回答がそこに存在していると信じているのです。
イヌイットのクジラ漁は、偶然にも流氷の裂け目に入り込んだクジラしか、たかだかカヤックでは、捕ることは出来ないのです。
きっと日本のマタギもその頃豊な森に存在しながらも、里に下りてくる熊を贈り物として捉えていたのでしょう。
アイヌの熊送りも、霊魂が小熊のころよくしてもらった里を懐かしんで、自分の肉を届け物として帰ってくることを願う儀式です。未来の部族に食糧が途切れないことを願う【祭】です。
そこまでマクロ型で精通してこそ、技能の【舞】が生まれでると思うのです。
そこまでマクロ型で精通してこそ、技能の農作物を食卓に運べるのと同じように。

更に「日本の農業への正しい絶望法」を下地に、自己解剖を進めて行きたいと思います。





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