あらえびすブログ

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舞 18 マクド型舞学からマクロ型舞学へ移行するために

マクド型は即ち金太郎飴です。
色々な切り口に対しても、同じ処方箋とメニューを出すのです。
此だけ多様化してきている中で、本当に求めてることに対処する能力を持っていません。
しかし、薄っぺらな、グローバルには、一番向いていたのです。
マクド経済は、2008のリーマンショックで、ダメになったのに、もう僕らはその形態があたかも進歩したように感じてしまっている怖さがあります。
マクド型経済とは、マクドナルド的経済につけられた言葉です。
全てのファミレス、ガソリンスタンド、ATM、クレジットカード、デイズニーランド、ツーリスト業務、果ては大学にまで広がってしまいました。
詳しくはネットで、ホンマノオトから、マクドナルド型経済を検索してみてください。
簡単に言えば、思考力をお客からも従業員からも剥ぎ取ることで、経済の効率をあげる方法ととらえています。
所謂、脱人間化です。セルフサービスは、その現れになります。

此だけはびこって、生活の根底に根付いてしまった装置を、はずしてこそ、本当はマクドからマクロへ変革出来るのですが、倒す壁は本当に高いと感じます。
【祭】や【舞】が好きならば、本質に近付いていってほしい。
舞や祭の様々な歴史を真摯に紐解いて貰いたいのです。
人間観や自然観から生まれた舞や祭が、実は脱人間化に向かっているのです。
大学でさえそうですから、祭などは簡単にその渦にのまれます。
だって家族でさえ、脱人間化に向かっているのです。
即ち脳の学習能力の怖さです。

僕の身体ワークも伏流水インフラの運動もしかり、何時もこの壁との闘いです。
僕にはこの壁を何としても徐々にでも削って、崩壊させたいのです。
その為には【マクロ人体学】として反旗を掲げ、細やかでも活動をしていくなかで、同じ違和感を持たれる方々と出逢う以外に方法はないのです。
壁を崩壊させるといっても、まるで二十年スプーンで掘って掘って崩すような「ショウシャンクの空の下」の登場人物のやり方以外方法がないのが、今の現状です。
脱地域化されるものに、今の祭は向かっていると危惧しています。

その意味でも真剣に、自分の興味の対称をツールに、このマクド的な脱人間化に向かうものにどれ程侵されているかを、思考しなくてはいけないと、僕は思うのです。
此が全ての今浮き彫りの問題を作る、ウイルスになっていると感じます。

解りやすく理解するためにも、マクド型経済で考えてみましょう。
経済においてこのマクド型を打破することは、並大抵なことではないのです。
例えば「ええじゃないか」を配置しましょうと言っても、今のマクド型から生まれた祭への思考を捨てないと其処には行けないのですから。
そして現在の祭好きほど、マクド型祭の真っ只中で、疑問思考を停止させて、参加しているのですから。しかし祭というツールを使うのなら、この方々を動かす以外ないのです。
此れは、休日にヨーカドーや、イオンの最上階で、何の疑問も持たずに、戯れている家族の休日にも色濃く現れています。
情報が錯綜して、本心から欲しくもない一方通行のメニューから、selfで食べ物、玩具を選ばされるのですが、その方々が疑問を感じて、此が欲しているものではないとならなければ、これ又マクド型家族の休日から脱却出来ないのです。
そして世の中の風潮は早く処方箋を求める。
其はファーストフードにはかなわない。
けれども早い処方箋では、本質の原因に出逢う前に、症状が緩和されてしまう。
薬も今同じですよね。
今治れば、人は直ぐにさっきまでの違和感の根本治癒を先送りして、ファースト人生に戻ってしまう。全てが先送り。
この先送りの様々な現象のつけが、震災、TPP、水資源搾取目的の他国による水面下での山の買い漁り、鬱病、失業、増税、橋下さんの登場、里へのあまりに多い野性動物の登場として、噴出してきたのです。

僕は、藤井さんのお言葉をかりるなら、勝てればそれに越したことはないけれども、勝つために戦っているのではなく、此れは戦うべき相手として戦っているのです。
対称には今では人はいません。
あくまでも、マクド型経済でつくってしまった壁と戦っているのです。
ゴッホも生きている間に売れた絵は一枚のみ。
その壁と無縁であった、アートが文化がもうのまれ始めている。
無縁仏としてのアジールさえも、マクド型経済によってのまれている。
マクド型経済と無縁な動植物でさえも、のまれかけている。
映画アバターではありませんが、僕にはマクド型思考にはまってしまった民は、エイリアンにしか映らないのです。
二極化とは、まさにマクド型人間とマクロ的人間であり、時が経過しても先住民と同じく、マクロ型人間はいつも少数派なのです。
マクド型人間が多勢に無勢故に、はじめから負けが確定しているのではと感じることが、とても多いのです。
今こそ岡本太郎の一つ一つの言葉が見に染みてきます。
そして僕は、死を覚悟でこの戦いの道を突き進みます。
そうこの壁を打破することしか、生きている実感が持てないからです。
その生きるから滲み出る【生涯一度の本気の舞】と出逢うためにです。



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