あらえびすブログ

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舞 17 失った二十年とは

グローバル化が破綻した上に、世界共通の新しいルールをつくるパワーも今はない。
ですから自分の国の経済や社会は自国で守らざるをえないようになると感じます。
けれども僕らの日常は、グローバル化という蟻地獄に足をとられています。
もう何気に今の仕事から、消費行動、家庭まで全てが、グローバル化の大海の嵐の上でどうにか浮遊しているだけでも精一杯な状況に突入しています。
どうにかこうにか、ここから出ても夏目漱石さんのような苦しみを体感せざるをえない。
ここの大海から国が出ていくことが急務なのですが、その為に必要な今までと全く違う全体性の物語をつくるには、銀行はエキサイティングな投資銀行の世界から、退屈な商業銀行の世界に戻るしかないのかもしれない、其は僕らの日常の何気ない生活しかりもです。

最近の日本映画は、見た後に重く、生きるって、幸せってなんだろうと考えざるをえない作品がが多くなってきました。
此れはグローバル化が蝕む家族という〔最小単位の社会〕での明日へ個人の指針を取り戻す姿に共通項がありました。
例えば阿部サダヲの「夢見る二人」、西田敏行の「星降る犬」などは、その時に来る負を逆に拠り所に変化させていく作品です。
一方で、笑い飛ばすことで、陽気に〔ええじゃないか的〕に其処を打破しようとしている作品も多いです。
又「三丁目のオールウェイズ」や田舎暮らしという人が生きていく原点を今一度体感して、見えない座敷わらしを共に感じることで家族の中に、永遠の物語が配置され、新しい絆で結ばれグローバル化の中でも生き続いていける家庭を取り戻す、水谷豊の「ホーム 愛しの座敷わし」などの映画も多くなって来ています。

此れは、全てグローバル化の二十年で失った、【生き続ける核】を追い求める其々の小さいけれども大きな物語です。
あるものは、高度成長での溶接業で、体が病気にみまわれ、家族をも失い、残された犬との強固な絆で、自分の死を受け入れれる幸せを手にする物語。
又あるものは牢獄に入れたことで、大好きな料理にだけ真摯に向き合える時間を取り戻す自己回帰であったり、其を支え続けることに、相変わらず自分の生きる場を全うする、松たか子の生き方であったり。
成長が此れからという時代に戻って、そのなかで日本人が貧しくてもまだあった絆を、見つめなそうとする作品であったり。
家族の共通の絆を見えない存在に託す作品であったりと千差万別な様相です。
グローバル化で失った二十年への其々の決着の付け方がテーマになっていると感じます。

その意味でも、小津安二郎や寅さんなどを、今もう一度観ることで向かう指針が整理されると思います。
この時期に「東京家族」のリバイバル上映は、小津安二郎さんが作られた頃の原点を観たで、新作の方を観ると何か少しでも方向性が自分に示せるのではと期待しています。
其々が、失った二十年で生まれた其々の負を先ずは背負って、其処からどちらに向かうかなのだと思います。
よく読む新書も、其々の現れかたの違う負にどのように向かい合い、其処からどのように【二度生まれ】を生きるのかを、マクロ的に様々な人の意見を観たいからです。

国際経済は間違いなく、各国の其々違う制度に此れからなっていくことでしょう。
それによって摩擦抵抗がおきて、グローバルな金融の流れは速度を落とす方向に向かうことでしょう。其は摩擦抵抗というプロローグも含めた、ゆっくりした流れの本編も同時に個人に突きつけられて来ると言うことでしょう。

世界はグローバル化しすぎたことで、摩擦をなくし世界中に金融が駆け回って大混乱の時代を作ったのです。其は摩擦をなくしたスレ違いの家族を作り出し、家族ごっこを演じながらもドンドン根底は離れていく、今の人間関係に顕著に出ている現象です。

七十年代、八十年代の日本は間接金融で安定していました。家族にも職場にも安定と連帯が存在していた。しかしアメリカは短期の金融市場を発展させ、一部のお金持ちが増え、製造業が衰退したのです。この失敗で方向転換出来なかった九十年代は、WTO設立から一気に摩擦を減らしてフラット化し始めました。
身体の使い方と環境を考えている僕が、バリアフリーの怖さを感じ、レッスンでも日常でも如何に起伏が大事かとワークで盛んに言うようになった時期です。
荒川修作先生の脳が進化して、二百歳まで生きれる身体の可能性を育む建築に興味が移り、平面道路の都市を離れるきっかけになった時期と同じです。
そしてその頃から更に人、物、金の流れを加速化した方が良いと言われ始めたのです。

大衆人と非大衆人のテストを作られた藤井さんは、だからこそ経済は、失った二十年を作った九十年代以降のグローバル化から七十年代の国際化程度に戻すべきだと言われいるのです。
要するにリーマンショックアジア通貨危機、EUのクライシスが起きない世界に戻そうと提唱されているのです。
体の使い方や躍りに興味があってワークを受けられていても、実は世界の同行に僕らの身体は大きく影響を受けていることを先ずは一致させないと、ワークの向かう先が意味のないものになっていくと感じてしまい、今の自分がここで生きています。
僕の専門性を追究したことで見えてきたのが、【身体の進化方向への環境には、定義が存在る】という結論です。
平面化を生活からなくすときに、ぼくは、「天風地の舞」という縄を五人でもって、法則性で動くエクササイズを作りました。
其処で気付いたのが凹凸を抜けきれる「水の動き」でした。
水の動きは凹凸を平面にして、格差に丁度よい凹凸を作ります。
此れは台風後の山道から学んだことです。
その為に完全水の伏流水を飲み、その水のお風呂に入ることで触れ、そして地下水の流れを観て、何時も水の流れる音を聴く生活を、先ずは手に入れることが急務でした。
僕のグローバル化からのリターンは、水を知らずしてあり得ないのです。

大きな国での関係では、実は冷戦構造がグローバル化によい意味の摩擦を生み出して、国産国消を可能にしていたのです。
ですから間違った解釈で、アースデイに取り組んだり、イデオロギー世界市民と訴えることも、とっても違うグローバル化を進展させるのです。
国の違い、地方の違い、個の違いを認める態度の強化です。
一つの地方の祭りに心を奪われるのは、自らの地域性に根差した文化を、その人から知らず知らずのうちに剥ぎ取ってしまう怖さです。
近くの山での木で家を建てるが一番なように、人間もそこの自然界が育てた文化を守りなら、新たな方向に発展させるべきです。

僕が今年九月に予定してた「祭」は、都市に来る打撃的な震災前に、避難地区の一つとしての地盤の強い山間部の認識と確認でした。
しかし、其処に今のグローバル化した「祭」をそのまま導入したなら、何か大きな違いが今後生み出されるとの危惧から先送りしました。
僕の未熟さも重なって関わっているかたに、「祭」開催の核の一致が完成していなかったからです。
【舞】も【祭】もグローバル化から勇気をもって、手を引くときが来ていると思います。
マクロ学としての【舞】や【祭】を先ずは【観る】ことから、本当に舞うことが好きなら始めていただきたいと切に希望します。
東北の祭は、躍りが人が主役ではいけないと思うんです。



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