あらえびすブログ

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舞 14 見えない資本を見る目を養う

新しい全体から成り立っていく事が可能な、未来の共同体にたどり着くための、重要な脳の訓練として、自分の持っている幾ばくかの資産や全ての人が持っている時間という資本を、賃金労働に使うのではなく、共同体の為に使って、何かしかの長期なリターンを得ることが、投資だと捉える為のベースが重要だと感じています。

当然昔の田舎には、ありました。
今も多少はありますが、長期に渡り共通の利益になるものが、生活の多様化で田舎にも、いよいよなくなってきました。
勿論、ボランテイアでは、共同体内部の統一性がない現代では、投資だと捉えることがないのではないでしょうか?
田舎にもない、勿論都市的な生活にもない、共同体への投資としての「ナニガシ」かを存在させれると、脳が学習できる場をつくれるわけです。

例えばよさこい祭りの企業チームは、共同体であり、参加することが投資だと捉えることが可能な時代の在り方から生まれたものでしょう。
戦後のグローバル資本主義へ向かう方向への発展途上から出てきた、当時における新たな共同体への投資の現れです。
しかしグローバル資本主義が限界に行き着き、日本は何かの形で「一度破滅」に向かと感じている自分にとっては、その新たな次の成立条件を考えないことには、例えばよさこい祭りに出ることの意味さえも、腑に落ちなくなるのです。
その意味では、そこから【舞】や【祭】を無形の投資と捉えることで、どうにか設定可能に落とし込みたいのです。
ですから海外にとって魅力の伏流水を、会員制で飲みながら、其が長期な投資だと思えるものに育てていきたいのです。
古来からの身体言葉の理解の奥行を知り、其がアカデミックな芸術、学問から受ける恩恵として育ち、都会にいながらも、僕らの体や脳を育てる基本になるフルボ酸鉄を取り入れることで恩恵を頂き、其が重要な地球上にある資源として日本で育てていくための投資として、成り立つシステムをベースに【舞】や【祭】が存在するものになっていくのならば、其が未来に通用する共同体になっていくのではないでしょうか?
その為には行動を変えることです。

例えば成長しない構造改革というこれまでの路線と成長するためのニューデイール策がありますが、この二つは普通の思考では矛盾します。
成長しないことを肯定してしまった方が楽なのです。
所が成長しないという認識を変えなくてはならないとなると、面倒くさいので、
成長するためのニューデイール策を実行せずに、成長するための対策があることを大衆人は、忘れてしまおうとするのです。
活力のある人は、行動を変えようとしますが、活力のない人は、認識の方を変えてしまいます。
行動を変えるためには、デフレに対しても地震対策にしてもプラグマテイズムの思想(実践主義)が重要なのですが、日本人は、議論で鍛えてこなかったので、非常にその力が弱いのです。
実践主義では、分野での認識は弱いものになってしまうため、様々な観点からの知見を総動員しなくてはなりません。
その分野を繋ぐのが物語の力です。
実践主義でなくては、机上の理論で終るとの決意のもと、自分の未来を自分の手で変えれる範囲において最善を尽くして変えていこうとする力です。
このためには、見るから観るに転換する必要があります。
この訓練に【舞】や【祭】や【武術】は、とても適したエクササイズに変容することができるのです。
大事なのはマルクスが言うように【世の中を論じることではなく、世の中をかえること】です。
その為に先が見えない時代の歴史に名を残した人物から、学ぶ事は非常に有効です。
西郷隆盛の「仮に我が国が滅びようとも義は通さねばならぬ」は、勝ち負けよりも【義】が上なのだと言っているのです。
では、何が【義】なのか。
その為に議論はあるのです。
だから議論を可能にする、体と繋がっている脳を鍛えなくてはならないのです。
そこを武士道は鍛えてきたのです。
そこの脳で世界観を宇宙観を捉えることこそが学問であると行き着いたのが、福沢諭吉であり、其が【学問のススメ】なのです。
世界観を宇宙観を観る学問なのです。
宮本武蔵五輪書も見るから観るへの行動の変革です。
何を見て舞っているのかです。
観るからグローバル資本主義を捉えると、罠が観えてきます。
十九世紀に出来上がった資本主義は、先ずは効率を目指します。
しかし商品を作っても売れるとは限らない。
そこで考え出されたのが、コマーシャルをたくさん流して、買う人を作るという戦略です。

だからマクドナルドは、ファーストで効率よく商品を作り、世界の味覚を画一化させ、効率よく利益をあげる方向を生み出したのです。マクドナルドに限らず、食べればついてくるおもちゃも
恐ろしいほどの戦略です。そしてスマイル、ゼロ円です
働くものも消費者もマニュアル化させることで世の中を運営するための前提条件は、利益のことばかりを考える貪欲な人間から、世界が出来ているという解釈です。
まさに子供に味覚や思いやりから来る満足よりも、おもちゃがついてくるかどうかという消費者利益を刷り込んでいるのです。
リーマンショックは、マクドナルドを食べ過ぎて、味覚音痴になり、肥満になってしまう子供その物です。
マニュアル化されると、大地震が来ようがリーマンショックが起きようが、財政の健全化のみが対策になってしまうのです。だからTPPに参加することが解決になると、宣伝するのです。
消費税も同じこと。
そしてマクドナルドの味しか知らない人が、料理評論家になって徒党を組んでいるような事があちこちでおきはじめています。
だから例えば【祭の舞】と限定した人たちが、俄舞踊家として徒党を組はじめていることこそが怖いのです。
スポーツジムでも、流行りのエクササイズは、マニュアルで何日か講義を受けて、何日か後には、ヨガの先生であったりするのですから、習う人は、自分の身体させもファーストボデイーを目指していくことに、繋がっていくのです。

大衆人とは、マクドナルド化したモノを指しているのです。
シェアがとれるのなら、何屋さんにでもなる企業が増えています。
この志のない集まりが、どの分野に群れはじめています。
だから僕はあえて専門分野から出たのです。
躍りの世界で見えてきた本質は全てのステージで同じはず。
そこを見定めなくては、マクロにならないからです。
マクロにならないと【義】がわからないからです。
ダンスではいけないと思うのです。
ダンスには【義】の解釈をせずとも踊れてしまうからです。
【義としての舞】のあるべき姿、これこそが僕が追い求めていることなのです。
空海はまさに【義としての仏教】のあるべき姿を追い求めた人でしょう。
だからあれだけ土木に精通していた。行動の人です。
狭い仏教認識に逃げなかった人です。
土木は建国の重要な鍵を握ります。
戦国武将は、お城建築の名人でなくてはなれません。
剣術のみでは、いけないのです。
剣術を仏教を舞を通して具体的に【義】を見つけ、具体的に実践してこそのマクロであり、マクロでなくては越えれない、緊急状態がすぐそこに差し迫っているのですから。
今こそ【義の舞】を舞うべき時なのではないでしょうか?







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