あらえびすブログ

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舞 10 舞を通して今できること

【舞】が、死の淵から立ち上がるものでなくては、意味を持たない時代が、到来したことを書いてきました。
此れはそのまま、生き方の変革の時代に入ったと言えると、僕は捉えています。
仕事も家族も趣味も老後も、子供たちの学校教育も全てにおいて、考える考えないにかかわらず、そこには向かう方向性があっての選択をしているからです。

偶然のように、この高度経済グローバル資本主義形態は、震災がなかったこと、人間が感じて危ういと思うほどに、自然の変化がまだ少なかった事に、起因している筈です。

けれどもグローバル形態は、国が生き残れるために何かを搾取する為の市場として、他国を見ています。
今までなら、軍事力で脅したり、近隣の小さな国に戦争させ介入したり、まだ狡猾さが直接見える形の現れでした。
子供や会社や組織の苛めも、殆ど形態が同じだと感じます。
しかしそこに、サイバーによる生活必需品の操作、災害をきっかけに起こす搾取、結果市場からの退却に国ごと向かわせようと、ハブにするやり方での蹴落とし等、陰湿な方法にいじめ同様、国家戦略なるものが幼稚なstyleになってきて事は、グローバル資本主義形態依存型社会というシステムは、ドンドン人間を幼稚にしていく事になっているのだと、改めてその怖さを感じます。

冷静に考えれば当たり前ですね。
昔、彼女をデートに誘う電話するときに、お父さんが出たらどうしよう的な、見える乗り越える壁があった、しかし今は、直に個人にコンタクト出来るのです。
此れは便利だけれども、怖いのです。
何かが起きても。何処からどんな攻撃でこうなったのかが、不明のまま進行するのです。
そのネット時代の怖さを、やっと人類はわかり始めたのでしょう。
彼女をデートに誘うまでは、「危うい社会ね」で済んでいましたが、国レベルでは怖いこと、だから自給出来ることが重要になってくるのです。
水、食糧、暖房等の生きるに関わるものの貯蓄です。

人間は、鈍感な脳が発達し過ぎて、この危機をまさか自分には降りかからないと鷹をくくれる、
そんな部分だけが急速に発達して、狡猾側には都合の良い、飼い慣らされた犬と化しているのです。もろにナオミクラインのショックドクトリンです。

そんな世界移行時期で【舞】は一体何が出来るんでしょうか?
健康とは一体何でしょうか?
死を身近に何時も感じないことには、全ての分野での、進む方向性は見えません。
上っ面で家庭回帰の時代とか、絆の時代とか安易に柔らかい言葉を言いますが、僕らが蝕まれたまま絆を結んでも、事あるごとに崩壊せざるおえないと感じます。

死ぬとき、リゾートの高級ホテルや高級温泉で最期を迎えたいですか?
最後にステーキを食べたいですか?
高級魚の活け作りを食べたいですか?
喉に様々な物が引っ掛かるような最期に水道水を飲みたいですか?
寒い時期に息を引き取るとき、電気毛布や石油ストーブやエアコンで暖をとりたいですか?

殆どの方がそうは言うけれども、そうでない方法は、「今の時代贅沢よ」と言う筈です。
けれども其は、違います。
生きているうちに、最期を先送りして生きてきたからです。
けれども何処かで最期の時には、叶うことならシンプルな当たり前の暖や喉優しく体に柔らかく広がる水、綺麗な自然の景色、小川の音等、「此れから自分が最期に囲まれたいと思える事」を共に大事に繋いでくれる人に囲まれて旅立ちたい筈です。
究極の価値の一致であり、それこそが絆ではないでしょうか。
最近、死ぬように生きる事をテーマに書かれた本がとても目につきます。
間違いなく、膨張する未来ではなく、これさえあれば満たされる方向に向かっています。
と同時に悪あがきする人は、年収一億円を取るにはと、躍起に更なるグローバル資本主義形態依存型に身をお来はじめています。
二極化の現れです。

【最期の舞】此れがテーマになると僕は思っています。
息を引き取るとき、一億円のもうけ話は悲惨です。
借金が山ほどあっても、そこの三次元でもがいていても、息を引き取る瞬間、其を忘れないことには、穏やかにこの世を去れないものだと、十五年前の父の最期で、僕はまざまざと見ました。

ならば普段から時代も変わるのですから【最期の時】に必要なモノをソロソロ整理し始めましょう。
躍りで元気を与えますなんて、最期には煩わしいです。
武士道は、毎日が最期の日と生きてきた。
だから恋も愛も家庭も芸術も文化も育ったのだと思います。
今日が最期の晩餐と何時も食卓を囲んでいたのでしょう。
頂きますは、最期の食事と想い、はじめて意味をなすと感じます。
そして【最後の時】に必要のないものは、勇気を持って捨てましょう。
居たたまれない未練もです。辛いです。
けれどももう既に別れの契りを自分で交わしておきましょう。
そこからあなたが最期にみたい風景、状況を想い踊るのです。
【最期の舞】共に感じて見てください。
【舞】に興味のない方は、【最期のエックス】を当てはめて捉えて見てください。
そして其が可能な【場】で、最期に囲まれたいものだけで生きはじめてください。
もう時間の問題で、グローバル資本主義形態依存型社会は終わるしかないのですから。
そのきっかけに今後予測される震災は、必ず良きにつけ悪きにつけ、完全なきっかけになります。
【その瞬間】が最期の時の方も必ずいます。
それこそが災害に備えるという事ではないでしょうか。
災害が来て避難するのとは意味が違います。
【最期の時に必要な最小限の大事なモノを取り揃えれる場で普段から生きる】これこそが避難です。そしてそこで手に出来ないものは、迷うことなく手放して下さい。
其はそもそもあなたに必要がなかったものなのですから。
恨み、面みの感情に包まれて死にたくないと思うのなら、その感情も今から既に捨ててください。
そこから【最期の舞】を描いてください。
そうすると、何人かは、何故僕が伏流水の活動に命をかけているかを、ただ素直に理解していただけるはずだと思います。




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