あらえびすブログ

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舞 3 ちょっと整理しましょう!

此処までを整理しましょう。

単純に頚椎の何番がどの音階というものではないのですが、確実に身体の感覚というものが、自然界が織り成す音階をキャチ出来る存在だと解っていたのです。

前にもご説明しましたが情報入力は頚椎と腰椎以下の背骨です。
気持ちも、どの背骨で情報を入力したかによって変わります。
同じ出来事でも、気になるとき、気にならないときがあります。

腰椎の底の仙骨で情報を捉えると、一方は尾骨に下がり、一方はかけ上がって行きます。
このあとに胸を意識して息を吸うと情報は、間脳に伝わりませんが、更に冷静に情報を捉えようとしたとき、頸椎に意識が生まれ、間脳に伝わります。
瞬時の対応が作用するときです。

音階が上がると背骨の間は上に伸ばされ、息を吸いたくなります。
音階が下がると息を吐きたくなり、背骨の中を通って意識が腑に落ちるに向かいます。

ですからメロディーによって背骨が動いているのです。
素晴らしいピアニストの演奏等で、身体が浮き上がるように感じたり、ロックの演奏等で腹が座り、そこから意識が高揚していくのを感じたことがありませんか?

例えば過去の名作、デイープパープルのスモークオンザウオーターのはじめ、「ダッダッダー!」は身体が引き上がっていくはずです。

無意識に落ち着きたいとき、高いオクターブをかけあがり、低いオクターブで下がって来る音楽を選んでいます。
高い音ほど高く小さな背骨で捉えるのです。
一方で低音ほど、低い背骨で捉え、尾骨は「間」を捉えるのです。


此も武術で解釈し直すと、とってもわかりやすいのです。
相手の動きと動きの間に生まれる空白時に動けると、相手の力がのるまえに自分の動きを発動させれます。所謂「先の先」です。

空白を掴まえれるとは、無で動く事につなげれますが、音に合わせると意識で動くになってしまうのです。
例えば予測される巨大地震時、【間】が生まれる瞬間にさて避難すべきか、留まるべきかを判断しています。
そこで背骨が引き上がってきたら、迷わずに避難です。
そこで身体は合えて音階が下がっていくのを意識して逃げてください。
落ち着きがありながら、スピードをあげ同時に呼吸が楽になります。

動きとは【間】で発動しながら、必ず直線で運動を起こさないことが鉄則です。
目的方向を限定した瞬間に、【間】は消え失せます。
直線で運動を起こした瞬間、【間】の中に存在した「無」は消え失せてしまいます。
【命の力】を扱うためには、「死」の中に存在する「無の光」を捉えなくてはなりません。
「死の世界の中に、唯一存在する種」=【命の力】と出逢うことです。
「舞」は死の世界に輝く無の光との遭遇を表現することだと、僕は捉えています。
その「無の光」に己の身体を預けてしまう。
サクリファイス(生け贄)から始まるものこそが【命の力の舞】なのです。
「死の世界の中に、唯一ある種」に水を与えるように音を取り扱って下さい。
その種が水を求めて根を伸ばす、そこに音楽があるべきです。
舞が生まれ出る【間】にシンフォニーが存在しているのです。
その結果、「舞」が発芽するのです。
「舞」とは、地中にある「死した自分の中に存在する種」自分は認識しています。が音という栄養分で「発芽」している姿を捧げていることなのだと。
それが三つの丹田から五行節への飛躍です。
尾骨の意識がもう一つ足さされ、進化に向かいます。
ここが八個の意識の一つ、アラヤシキの新薫種子です。

以前触れましたが、八個の意識とは目識、舌識、耳識、鼻識、触識、意識の中の無意識、記憶にない無意識のアラヤシキの新薫種子(先祖などに対する無意識)、本有種子(千年単位で生きている、繋がっていると感じる無意識)です。

ではまた明日!





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