あらえびすブログ

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芳村思風語録を身体で考えてみる

今日は昨日の身体取説内容を、このblogでも何回か取り上げさせて頂きました、芳村思風先生語録のお言葉を例題にして、応用編として考えてみましょう。


先ずは芳村語録から

多くの人は、問題が出てくると、「選んだ道が間違っていた」と考えてしまいます。
これは、理性で考えているから。問題がない道が正しい道ではありません。
人間は、不完全です。問題や悩みのない人生はありません。
どの道を選んでも、問題は必ず起こってきます。
大切なのは、必ず乗り越えれると信じて、出てきた問題から逃げないこと。
問題がないことを願ってはいけません。
決断から出てくる問題を乗り越える努力をするかどうかできまります。
問題がないのは、感じていないだけ。
苦しみ、悩みは、人生を楽しませる為に出てくるのです。


先ずは、問題が出てきた時に、何処が問題なんだろうと、感じようとしている自分なのか、
それとも、問題に道を閉ざされていると考えてしまっている自分なのかを、観察してみましょう。

「何処が問題なのかなあ」と感じようとしているときに、息を吸ってみると、首が伸びて思考が高い位置に運ばれませんか?
同じく工夫して打開策を見いだそうとしているときに、息を吐くと、ウェストは、細く絞られながら、【丹田】は奥の深い箇所に凝縮されませんか?
上下に体が引き伸ばされているはず。
そして細い糸状の【のれん】が立ちふさがっているように感じませんか?
隙間を抜けようとしている。
うっすらと向こうに可能性の大地の広がりを想像できているはず。
暫くすると、問題を説くことが楽しめる自分がそこにいるはずです。

一方、閉ざされていると考えた人は、そう考えたのは、自分の体のどこらへんですか?
「選んだ道が間違っている」と考えて決め付けたのは、体のどの辺?
閉ざされていると考えたのは、頭蓋骨ではないですか?
その時頚椎は、うなだれませんか。
そして「選んだ道が間違っている」と決め付けるのも肋骨ではないですか?
そうすると横隔膜が弛んで、腰椎もうなだれてしまいます。
腰がふらついて、肋骨はフワフワと不安になります。
そして「ダメかもしれない」と思いながら息を吐くと、ウェストは、弛んで太くなりませんか?
息を吸っても、胸にだけ入り、吸うことでどうにか感じる自分が住む骨盤内部から、重荷を遠ざけようとするので、吐くたびに重荷を感じてしまいますよ。
その時目の前には隙間のない、岩石が立ちふさがっているように感じて、昨日説明したように、「肚」に土石流が流れ込んで、感じる自分は、生き埋め状態になります。
其れはクイズ番組に出ているのに、問題を一つも説かないで一番になろうとしているようなものです。

このように映像に直してイメージしてみると、観察しやすくなります。
【のれんの隙間】にイメージ出来るのは、剥き出しの頚椎や腰椎で入力したとき。
一方で岩石に塞がれているとイメージしたのは、閉ざされている箇所で情報を入力したのです。
だから体の把握で越えれるのです。
だから何時も怖がらずに、頚椎と腰椎で、おもいっきり、世界を感じて広げてください。






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