あらえびすブログ

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五行説と七つのチャクラ

昨日は、【三】の丹田の意識の仕方を、取り上げました。
今日はバザールの【肺】セクションを通過し、間脳からも噴水を噴き上げながらも、体を越えたもう一段高い二段目の噴水でおきる、【五】の意識と、更にもうひとつ高い三段目の噴水でおきる【七】の意識に入って行きましょう。

【三】は、三次元での身体操作法。
自我から自己という、現世でのタシャをも含む世界観への飛躍でした。
僕も今後は、キチンと【五】や【七】の認識を持ちながらも、【三】のワークを提供出来て行かなくては、ならなくなって参りました。
どうしても、伝えたいと思うばかりに、【三】を身につけていない方にも、【五】や【七】を説いてしまいます。
しかし【三】で大事なのは、信頼できるM.Iさんからご指摘されたのですが、3Tだと実感できました。
短時間、単純、楽しい!
本当に素晴らしいここでも【三】でした。

自分は、海外のPUROの現場に呼ばれたりと、ある意味素晴らしい経験をさせて頂きましたが、それ故に、其々の分野での、専門用語や知識で解説してしまう事が多く身に付きすぎてしまったようです。今日の投稿以降は、暫く、極力この3tでの投稿にチャレンジしていきたいと思います。

しかし何故日本の武術は、三つの丹田で説明しているのに、仏教では五行説で、ヨガでは七つのチャクラで説明しているのかが、ここまでを結びつけるための、身体思考から関係を導くバネに、確実になっていました。
先住民の自然界思想アニミズムが、湧き水だと体感で解り、其が西洋思想のアニミズム系の哲学を、身体思考で解明できたのです。
これにより、やっとキリスト教仏教イスラム教や神道が全て同一線上におくことが可能になりました。

海外で二十ヶ国のダンサーに同時に教えたときに、やはり意識的にも、無意識的にもその国の宗教概念が大きく影響して、分野の違いから始めないと、全体を知って頂くことが出来なかったからです。
此では二項対立から全体を説明するという矛盾をはらみ、結果二項対立で全体を説明してしまうという、フラストレーションをひしひしと感じる結果に終わったからでした。
その意味でも、男性にはこのような部分からお伝えするのは、とっても有効性のあるワークになるのですが、全てを全体から無意識に感じる事が難なく出来る女性には、不向きなのです。
そして日本人は、そもそも宗教が不向きで、全体性の思考から生み出す信仰が根を張っています。
女性が多いバレエの世界で教えてきた時は、専門分野と理屈から入る西洋文化故に、全体性への入り口は簡単に開くことが可能でした。
しかし自分からこの専門的な人体取説を、一般に役立つように広める事が夢であり、だからこそ生活所作に目が向き、その根底にあった宗教よりも自分が【お山】の信仰に目覚めていくことで、メンタルを鍛えるとはどのような事かも把握出来たのでしょう。
しかし今は再度三次元に戻り、バザールを豊かにしたいと思うのです。
バザールは、【肺】セクションです。バザールが広がるから胸を張れるのでしょう。

さて本題に入りましょう。
舞踏家の故「大野」さんは、千人の死者を引き連れて自分は踊っているんだと仰られます。
此れは、仏教概念ととても多くの共通点を見いだせます。
映画「ロードオブザリング」の最終章で、死者の戦士が仲間になって戦ってくれるシーンです。
しかし「ロードオブザリング」はその先も同時に描いてました。
そこを更に取り出したのが「アバター」の映画でした。
やはり信仰心が少ない、西洋文化からの歩みよりの結果だと感じます。
僕らで言えば、交通事故を間一髪で避けれたときに、天国のお婆ちゃんが救ってくれたんだと思えるときです。
此れは生きてる世界と死の世界を繋げた世界観です。
三次元から見る宇宙が、四次元であると感じるのとは全く違う、見えない世界も含めた五次元です。(宇宙科学では、リサダンドール女史の研究で、五次元の宇宙が常識になっています)
つまり、頭から更にもうひとつ出た位置が死をも含めた世界観です。
このとき下の土台は、仙骨よりももうひとつ深い尾骨にも軸が貫通します。
「肝を冷やす」体感は、尾骨まで到達した瞬間です。
きっと仏教の千日回峰行の後にお堂に籠り、不眠不食で大アジャリを目指すのですが、そのときに死臭がすると言います。
本人は、ハッキリと意識があるのに、回りが危ないぞと騒ぐらしいのですが、此のとに【五】の身体を手にしているのだと感じます。
此れが死をも含めたもうひとつ大きな、世界観です。
ミカン等が入っているネットを丸めてリンゴのようにしますよね。
其が身体意識の形です。
だからゲーテはリンゴの実の成り立ちから、世界を宇宙を把握したのです。
洞察力が天才です。
だからご病気や事故で臨死体験をしたかたが、その後に人生が大きく変化するのは、【五】を体感して【三】に至れたからでしょう。
【八識】の考えでは、無意識の浅い【新燻種子】と言われている箇所です。
(八識とは、人間の三次元化での五感とそれと相対する三次元化での無意識の六個と深い無意識の二個で、計八個の意識です。これが植芝盛平合気道開祖の八力に対する意識と考えるならば、ここも数がピッタリと合います。因みに画家ピカソは、数学者との勉強飲み会で数学概念を身につけて、あの其々が次元の違う顔を一枚の画面に描いたのです。平面に現す五次元ですね。この手前に、一点透視方を一枚の画面に多様化させて、三次元を越えた四次元を画面に描くことに成功した画家フェルメールの世界があります。)

そしてその先にある七次元と繋がる【七】の概念は、【八識】の考えでは、無意識の一番深い【本有種子】と言われている箇所です。
インデイアン等が七代先まで見越して、木でも切ってよいかを判断する思想です。
これこそが思想の先にある信仰だと思います。
此処が映画「ロードオブザリング」では木も味方してきます。
動物はどちらかというと、家畜化されていましたから、この辺も大陸系遊牧民の当時の思想形態が色濃く反映されていると感じました。

しかし時代は変わり、映画「アバター」では、野生動物も味方してきます。
普段頂いている野生の命には、命の継承という、いたたまれない気持ちが、動物を殺すときにも家畜ではなく、友としてお互いを認めて始めて成り立つ思考であったり、馬にのらせてもらったり、鳥にのらせてもらったりするのも、友としてお互いを認めて始めて成り立つ思考で描で描かれていました。完全にアニミズムそのものでした。
そしてこのときの木は、「ロードオブザリング」と違い、動き回りません。
もっとそこに何が起ころうが、しっかりと根をはり土と共にいながら、何年も鎮座して洞察する、仙人のような賢者として描かれていました。
ですから、短いサイクルで生きる動物を殺し頂くのと、千年の木を伐り頂くのとは、全くサイクル上重みが違うと感じる思考であり、信仰です。
僕らなら、動いていると見える命には重きを置きますが、動かない木に対しては軽視します。
この時間概念と動かない運動概念をキチンと意識できる事がチャクラになり、【七】の概念を把握したことになります。
此のときもうひとつ高い箇所から噴水が吹き上がり、体を越えたお尻の下とも繋がります。
その上であえて三次元意識に戻ったときに、軸は宇宙の先に、一方は地球の中心まで達すると言われています。(僕も此れはまだまだ体感にはたどり着いてはいません)

さて全てを纏めると、姫リンゴ、其れを内在する国光(料理に使うリンゴ)、其れを内在する津軽やデリシャス、その道を描く湧き水。
その水の概念は、各リンゴ其々を循環するものもありながら、地球の中心まで達するもの、一方宇宙の果てまで達するものまでになっていきます。
当然、【七】を完全に身に付けたときは、光そのものになっていますから、それ故に光の速度で宇宙や地球の核に向かえるのです。
今の三次元感覚で光になりましょうといっても、凄い誤解を招く結果に繋がると思います。
現に、何件かのヨガのスタジオに招かれて教えたときに、指導者から質問されたのが、何故ヨガをやると性格がかえって歪む生徒が多いのでしょうか?というものでした。
此れはバレエでもよくおきるのです。
だから言葉に拘っているのです。
例えば「太陽礼拝のポーズ」といっても、高地三千メートルクラスで「座」して、そこで感じる太陽の体験がないからではないでしょうかと、僕は意見を返しました。
それから指導者と、様々なポーズを名前から想像して、動きとして身体を紐解いて行くと、動いて、伸ばされている筋肉が全く違う事と、本来伸ばされなくてはならない筋肉ではないところが伸ばされるので、当然性格にも作用するという判断を、ご一緒にしました。

このように本質を知るとは、大変なことです。
そして其れを日々実践するは、更に大変なことです。
僕も一生たどり着くのは不可能ですが、日々近づいて行きたいと思います。

しかしそのヒントは、あえて三次元に下山して鍛える方法だと感じているのです。
では明日からは、より単純で短文で楽しい【3T】にチャレンジして行きます。






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