あらえびすブログ

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肚の【場】と肺の【市、バザール】を繋げて、出来るだけ日々間脳の位置に自分をおこう。

今日は2ヶ月ぶりの仙台クラスです。
一霊四魂三元八力による理解から、グランドからバザールへの軸を繋ぎます。

さて昨日は、肚が正確な箇所にグランデイングして、そこから胸のバザールに茎を伸ばすのだとの認識に移りました。

肚造りは、仙骨のカーブの一番深い箇所を意識して、不動なものにしなくてはなりません。
ズレたときは、気持ちの有りようで判断できます。
なれるまでは、この本当の肚の位置から生まれる、不安もない、ある意味あえて掲げる希望もない状態に戸惑います。
余りに淡々としているから、何事も進んでいないような錯覚におちいます。
自分は今伏流水を配るシステムを通して、アジール的なバザールの感覚を掴み、そこに噴水のように水を流す感覚訓練中です。
人から言わせると、相当早く様々が動いているらしいのですが、自分にはスローモーションに感じてしまいます。
もう時間概念が大きく変化してしまったのでしょう。
早ければ早いほど、ユックリ見えるのです。

あらえびすのゲストハウス「皆の家」では、薪ストーブが五台も設置しています。
古い古民家なので、なかなか雪の重さも考慮したりと様々な事が予測されるために、仕方がなく、壁から煙突を出します。
結果家のなかで横に伸ばす煙突が長く、排煙のバランス状どうしても外の煙突が、相当高くしなくてはならなくなります。
この感覚が、肚から、バザールに噴水を吹き上げるときに役立ちます。

鋳物製のストーブでは、横に対して縦が最低、一対三から四必要ですが、燃えのよい簡易ブリキストーブは、よく乾燥した薪なら、一対一でも充分に排煙します。
乾燥が悪いと、一対一.(てん)二必要です。
乾燥がよいとは、燃焼温度が理想の1200度に近い状態まであげれると言うこと。
即ちこの燃焼温度のエネルギー感覚が、肚から胸のバザールに噴水を吹き上げるときに必要です。
では、乾燥が良いとは、身体に置き換えると、外から入力された情報に対して、自分が素直に受け取れる本心なものだけを咀嚼して、取り入れると言うこと。
ですから自分に正直でないと、乾燥が悪く燃焼温度が低く、最悪時はイブされた煙だけが出て、煙は煙突から出ないで、部屋に逆流してきます。
肚に落とし込めない、腑に落ちないものは、逆流して怒りやら不安を作ります。
怒るなとか、不安がるなとか、泣くなとか、言ってもなくなりません。
其は肚の位置が違うか、胸のバザール認識を誤解してるか、入ってきた情報が腑に落とせていないかです。

即ち今入れなくてよい情報は、今自分に降りかかっていても気にしないこと。
暫くほっとくことです。忘れようと努力もいりません。
今の自分では降りかかっても仕方がないのだと、認めてしまうこと。
そこではじめて、降りかかりながりながらも、回避に向かわせようと潜在能力が目覚めます。

今の現代人は、自分の真上に降りかからないように先に準備出来る情報を持ちたがります。
だから腑に落ちない多くの情報をもて余して、苦しんでいるのです。

肚が一番燃焼出来る情報は、命に関わることです。
例えば命をかけて取り組むもの以外は、実はどうでも良いことです。
命を賭けるから、本当の自分と、困難を通して出逢っているのです。
命は、自分の安全な立ち会い位置を守るに賭けようがない。
何故なら、立ち位置が不安定だからこそ、命の力が目覚め、其を通して自分の存在と出逢えるからです。
自分の命をタシャ(人とは限らないので)に賭けてみること。
賭ける以上は安全パイだからとかではなく、其に補う困難にも自分がタシャを信じきれるかどうかです。そのときに目覚めます。本当のあなたが。
即ち最後まで信じれることに、賭けると言うことだと思います。
カンフーパンダ1の、亀の老師が言う言葉がそれです。

イメージが難しければ、突然の雨を思い浮かべてください。
今、お葬式に出席しているとします。
外は快晴だったので、布団を干してきたとします。
お葬式中に突然雨が降りだしました。
相当広い面積に雨が降っていても、イメージはそこにいません。
家の布団を干した映像イメージにワープしています。
此のときに俯瞰した体験をしています。
肚では、家の布団の【場】に自分がいます、一方【胸のバザール】では、何事もなかった顔をして、お葬式に参列している自分がいます。
つまり【場】とは今いる所ではないのかもしれません。

星野道夫さんが高校生の時に、授業中校庭を見ながらフッと、今北海道のヒグマはどんな所を歩いているんだろうかと想像してしまった、この時すでに星野道夫さんは、北の大地アラスカを【肚での場】として目指していたのです。
即ち東京近郊の千葉の市川は、彼の本心の【場】ではなかったのです。
この【場】が今暮らしている所や人間関係、地球との関係で一番シックリ来るとこらなら、そこがあなたが生きる【場】であることに間違いないでしょう。
しかしこの【場】でのステージは、変化します。
更に本質に向かいます。本質に向かうほど、広がりを見せます。
其処に無限を感じたとき、あなたは、回りの全ての参加シャ(人だけではありません)と噴水の回りに(噴水とは、昨日のblogで説明しています)同等に座っている、現実の配役としての自分がいるバザールと、奥に無限に広がる可能性を見ている二つの自分を獲得できています。

これは前述したように、自分の頭上に降っている雨を気にせずに、雨が他に降っている【場】を心配するときに起きます、即ち肚に自分に関する事がないのです、だからバザールと繋がれるのです。
えー矛盾していると感じましたか?
肚で心配しているのは、濡れる布団であって、あなたではないはずです。

そのバザールに、無限界から熱エネルギーで、噴水を吹き上げるのです。
其は間脳の中心の高さまでの噴水がベストです。
勿論天界も感じ取りたいのなら、此れを二段階、三段階とあげていきましょう。
けれどもまずは一段階をしっかりと、間脳から思考全体を通ってアジールの参加者に噴水を吹き上げ広げましょう。

噴水を吹き上げるには、熱エネルギーが必須だと書きましたが、よく燃焼させるためには伏流水のシステムで言えば広葉樹の発酵と同じ事が(ここは伏流水と人との関係説明での説明に使いやすいであろうと描いた、絵本をblogで見てください。)情報に対して必要です。
首の頸椎は情報収集に重要な背骨です。
情報を口の味覚感覚から首に全ていれてよいのに、その手前で拒否すると首が肩がこります。
だから首が冷えて風邪をひきます。
又全てを肚まで取り込むと、肚で持ちきれなくなり、腰痛になったり、激怒したりします。

首を温めるだけで、随分と体の腰回りが自然に温かくなります。
腰湯をするだけで、首も温まります。
腰と首は冷やすと情報が入らなくなります。
意固地な状態の時です。
腰椎、仙骨、尾骨そして頸椎は温めるもの、胸椎上部と頭は冷やすもの。
この熱感覚による理解も水の舞ワークにとって重要なアイテムです。
口の味覚感覚で首から取り入れた情報から発酵したものだけを肚に落として、燃焼させて、そのエネルギーで間脳の思考体で噴水を吹き上げ、胸のバザールで無数の方向に広がりながら差し出し伝えるのです。
この次の使い方は、又明日に。
明日は地震、雷、火事、オヤジによる、肚の段階の違いです。

最後に【使命】が出てきましたので、芳村思風さん語録からのお言葉を載せます。


 使命とは、この命の使いどころ。

 使命は、苦難と共にやってくる。

 苦しみ、悩み、苦難は、潜在能力を引き出すために出てくる。

 使命が何処にあるのかを教えてくれる。

 追い詰められた状況になっても、それでも尚必死に取り組んだとき、
 はじめて潜在能力が目をさます。

 使命とは、理性で考えることができないもの、人から教えられるものではない、
 命の底から湧いてくるもの

 「このためになら死んでもいい」という想いで、どういう行き方をするか、
 何をするかということを自ら考えていくところに人間的な生き方の基本がある。

 理性で考えた目的、目標は、決して人間の命に真の喜びは与えません。

 理性で作った目的を実現しようと取り組んだ瞬間から、その目的や結果にとらわれてしまう。

 自分の頭で作ったものに、自分が縛られ、支配されてしまいます。

 自分の内側から溢れてくる想いこそが真実の欲求、願いなのです。


芳村さんが仰る「命の底」此こそが仙骨の一番深い【場】肚なのです。
そして肚はバザールや思考体と共に認識を深めて、はじめて感じられるのです。
其が軸ですから、軸を意識しても感じ取れません。
肚には、理屈がないのに、軸という概念では、理屈になります。
結果を恐れているうちは、軸が立ち上がる大地の位置さえまだ知らないと言うことです。
種を蒔いてもいないのに、心配していると言うことです。
だから先送りさせます。
種を蒔くとは、命に関わることに事前に考えて対処していると言うことです。

だから心臓が命ではないのです。
肚から命が湧き出て、使命を全うする自分と出会います。
ですから、使命がたたれたときに、切腹という方法に繋がって言ったのだと思います。
日本人は肚こそが命の源泉だったのです。









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