あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

生活するとは、「生」として活動すること

 
           ゼロ化は生の身体にのみ出来る事!

本当に皆様のご理解のもと、「フルボ酸鉄イッパイの森と私」は、ワークに幾度にサポーターが増えて、動き出したことに本当に感謝致しております。
各ワークに、五リットルずつのボトルを人体模型と一緒に持っていって、本当に良かったと思っています。
名古屋の男性は、このような水は飲んだことがないと、東京の昨日申し込まれた男性も、本当に取り入れる水を変えなければ、自分の根本が変わらないとやっとわかってきましたなど、僕が此処まで感じてきた変化を、同じく体感されていることに喜びを感じます。
中心にある食道から内臓に流れ浸透していく様を感じて、僕らは世界の認識のベースを脳が組み立てます。
内臓が固くなっていようが、それを柔らかくしようとするのは、理屈ではなく、内臓自身の細胞を開けたいと思える意思です。
ですから取り入れたいと内臓壁が思うと、体に染み渡る気がします。
此れは「気のせいかしら」ではなく、体の細胞の気付きを「気」と僕らは呼んできたと認識しています。
何故ビール工場で呑む生ビールは、あれだけ体に染み込むように感じるのに、カンビールやビンビールでは、感じられないのでしょうか。
それは生だから、細胞が開いて取り入れたいと、体自身が求めているからです。
身体の細胞で捉える実感は「カテゴリー」とは無縁の次元に僕らを連れていきます。
テレビ番組のドキュメンタリーを見ていても、伝えるように狭めるほどに、上手くまとまってはいるけれど、まとまるほどに、決めつけるゴールに向かわされています。
よって最後は、何々はこうだからヤッパリこうなんだよねと言う思考に着陸します。
そのような事は、美味しい生ビールを呑んだときには、皆無です。
何々はこうだからが抜けて、ダイレクトに「生はヤッパリ旨い」に、物凄く単純に着陸します。
「冷凍マグロとは、一味も二味も違う解体したての生のマグロ」とか言いますよね。

此処で気になるのは、細胞意識で言わせた「生」とは、何を指しているかです。
僕は自然界そのもの、即ちこの生を生としている全ての要因だと感じています。
此処でいつも偏屈な僕は、置き換えてみたくなるのです。
自分に対して、他者に対して「生はヤッパリ素敵な奴だ」「生はヤッパリいい奴だ」ととらえ直してみると、あれなにかがヘンと感じませんか?
いつもは「あの人は素敵な人よね」とか「あの人は好い人ね」とか言いますよね。
では、「ビールはヤッパリ旨い」とは言いませんよね。
言うよと思われる方も生を出されたら「生は旨い」な筈です。
即ち単体としてのビールではなくビールの有り様を旨いと呼んでることになりませんか?
では、「あの人は生で生きているから素敵ね」となる筈です。
今僕らは、自分を生と感じますか?
勿論生きているから何処かは生です。
けれども全身が生ビールのようにシュワシュワと感じませんよね。
腐りかけているなと感じる部分ありますよね。
それだもの心もふて腐れやすいはずです。
生ビールなら、どんな生ビールですか?
宴会の後にあるような、注がれたのにほっておかれた生の菌が死んじゃったビールではないですか。
此れでは細胞が開いて気を出せなくなるのです。
気が全身からわき出ている人が、素敵な人です。
そして其は生きているものを取り入れなくては、動きません。
だから生きた水をのんで欲しいのです。
日本で販売されている水は生きていません。
此れでは体内で滞り、自分の細胞が腐り始めます。

全ての瞬間に「生」として暮らしているのかを感じてください。
「生活」とは「生の活動」です。
「生」で暮らしたときが、生きているって実感できるときです。
最近「生きているって!」実感できない方は、本当に身体が「生」でなくなったサインを、細胞レベルで示してくれています。
そんな方は「生の里」に足を運べと身体が教えてくれているのです。
観光案内は捨てて、どれが「生」の自然かを細胞に教えて貰う旅に出てください。



昨日も体を動かすための思考の使い方で、集めるときに細い海草が左右から水で運ばれ、スレ違い合わさるような想像のチェンジングが必要と書きました。



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