読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

伏流水取り込みで乗り越えたい、来年から突入の七十年続く氷河期に向けて今からできること

          伏流水ご利用から始まるプランで    
    今後の70年続く氷河期に向けて今から確立したいロールモデル その4  

 では昨日に引き続き、養老孟司さんと残りの漁業、林業の方との対談から一緒に今と今後の事を考えてみましょう。

「震災直後、海から生き物がスッカリ姿を消しました。海はもう死んだのかと思って、一時はかなり落ち込みました。一ヶ月ぐらいたって、次第に水が澄んでくると、プランクトンが増えて小魚が現れ、その後にあっというまに魚が増えました。山に広葉樹を植える活動の[森は海の恋人]を二十年して、海の環境を改善してきた身として思うのは、人間がつくったものは、壊れてしまったけれども、海の背後にある川と山は何も変わらなかったと言う事です。」

気仙沼の海の環境が悪化した原因は様々です。水産加工場から流される汚水、生活排水、農業現場で仕様されている農薬、手入れのされていない針葉樹林からの赤土の流出。私たちは海の方ばかりを向いて来ましたが、問題は海の反対側、つまり、ここの海に注ぐ大川流域にあったのです。1984にフランスの牡蠣の研究者に招かれていった視察旅行で、ロワール川河口の養殖場を訪れ、干潟に棲む生物の豊かさに驚きました。海が豊かであると言うことは、川が健全である事の証拠です。」

北海道の漁師町で育った自分は、北海道の海の崩壊にいつも心を傷めて来ました。
知床以外は手遅れになりました。
そうしていつの間にか健全な山で浄化される、水を守って育てて行かないとならないといつの間にか突き動かされ、此処まで来てしまいました。
本当に伏流水が大好きなのです。
そして一昨日投稿した、スイスの水事情にも繋がりますが、ここでも1980年代にあれだけ傷んでいたヨーロッパの森が自助努力で、復活していた事が、ロワール河口での海の豊かさに証明されていると思うのです。

そして此れは身体を追求してきた自分としては、我々の身体と心も同じで体を流れる水が健全でないと、様々な疾患が出てくるのです。
昔の農山村には、医者要らずだったことが此れを証明しています。
僕らの体は自然界がつくっています。
ですから自然界の最大の恩恵の伏流水を取り込むと、頭ではなく、身体に直接自然界が訴えて来ているのが解るようになります。
レビーストロースの野生の思考が自然に身に付くのです。
そうなるともう山が海が自分そのものに感じるのです。
そうすると、自分は身体の此処で山を感じていて、身体の此処で海を感じていたことがわかってきます。
その辺りにある体の違和感は、身体と自然が呼応しあっていなかっただけだと 気付いていき、それだけで柔軟になったり、左右の不均等がとれたりしていきます。
此れはそれを生業にしてきた自分が自分の変化で実感しています。

畠山さんも、何故漁業関係者が広葉樹植林をやっているんだと、はじめは思われたそうです。
自分も同じで、身体操作法を伝えるうちに、其処を解決すると飛躍的に身体感覚がBIGチェンジを起こすことが解ったからなのです。
だから広葉樹の枯れ葉の長年の濾過で生まれ、フルボ酸が沢山含まれているお水を体に取り入れなくてはならないのです。
しかし今はまだ、誰もが何時も気軽に手に出来ません。
だからこの活動で、日本産無殺菌の本当の天然水が飲めるようにしたいのです。

「ロワール川の上流にはブナ、ミズナラ、クルミ、クリなどの広葉樹の大森林地帯が広がっています。広葉樹森が海を育てていると直感しました。其処で地元に帰り、皆でなんとかしようと動きました。その時にダム建設の話が持ち上がり、此れは大変だと行政に相談しても大学にあたっても、其々が分野で区切っているために、全体を考えて予測して予定をたてて実行に移していくことが先ずもって難しいので、もう自分達で行動を起こしました。」

此れは伏流水にターゲットを絞り、活動したときにやはり立ちはだかった壁でした。
だから興味を抱かれるために様々を仕掛けましたが、殆ど無理でした。
其処でもう此れはダメもとで自分が直接、お水を飲んでくれる人を発掘して行くしかないとなっていきました。
特にこのお水の動きと身体の動きを通して、ワークで体感された方は自然にお飲み下さるようになってきました。
昨日も書きましたように、外食したいと感じない。
全体食のシンプルなものを取り入れたくなる。
なんかワクワクしてきた。
健全な子供のようによい意味で落ち着きがなくなった。
等は全て細胞が喜んで動き始めたのです。

伏流水を通して、山の恵みが体の全ての菌にバランスを生み出したのです。
人体は海です。
動物は全て海から上がり大地に上がってきました。
ならば、海を綺麗に山から手直しするように、人体も山からの直接的な恵みで手直しされるのです。
だから我々の身体にとっても広葉樹は欠かせないものなのです。
此れは御所山のブナ、ナラ、クルミ、クリの大広葉樹地帯から地下を通って、鉱物も取り入れながら流れてきた水です。
ロワール河口と同じく、その水で海が豊かになるのですから、私たちが豊かになって当たり前なのです。
健康になると言う世界観ではなく、豊かになると言う宇宙観です。
海が健康って狭そうですね。
海が健康って聞いて沢山の生き物想像しますか?
けれども海が豊かって聞くと多様性の生き物で満たされたワクワクする海が、想像されるはずです。

此れを体に置き換えると、身体中に沢山の必要な菌がバランスよく生きているすがたです。
僕らは一個一個の細胞の集合体です。
ですから自分はこうですと決めた世界観だと、細胞は一部分しか動いてないのです。
けれども自分が可能性に満ちていると感じるときは、体の中で全ての細胞が生き生きと、かって気ままに生を謳歌しているのです。
その時が身体が軽いときです。
何でも出来そうな気がするときです。
僕は伏流水を取り入れ、例えば一週間その水の地に暮らし、その川から海までのカヤックでキャンプツアーで殆どの躁鬱は解決するはずだと思っています。
そのあとは飲むだけ。
必ず無意識が年に二回ほど、身体を原型を作り育てる水の地や流れに向かわせて、知らず知らずのうちにこの地に足が向かいたくなるはずです。
無意識に遊びに来てしまったとか、その水が涌き出る地の為になにかしたいと言う発想が観念ではなく、現れてくるはずです。
それこそが故郷だったと思います。
親戚がいるからでは、きっと疎遠になっていくはず。
もっと故郷とは、「自然界における宇宙観」、そのものを指していたと思うのです。

「山の人が木を植えてもマスコミは反応しないけれども、海の人が山に入って商売にならない広葉樹を植えたら、ニュースにもなり、社会が関心を持ってくれるのではないかと言う、不純な動機で始めました。」

しょうがないのですよね。 僕も様々に協力依頼するのは半分は不純な動機です。
世間がもっと伏流水に関心もってくれたら、此れだけ豊かに日本はあるのですから、畠山さんのように美味しい牡蠣に対抗する美味しい私が創る美味しい人生を作れるのです。
医療費も削減されて、ストレスによる精神病も少なくなり、日本中が穏やかな人相の人で溢れ、其処から生み出されるアイデアで、未来への不安がない、本当の意味での豊かな日本は、伏流水を飲むことで可能だと僕は信じています。

ラフカデイオハーンがみた頃の日本人の顔です。
皆始めてみる外人なのに皆ニコニコしているのです。
このときハーンはその後の夏目漱石が気付いたように、ヨーロッパは、日本に学ばなくてはならないと帰国後に様々な活動をしたのです。
結果彼は住み着いてしまいましたよね。

気仙沼では年間で二十億円が養殖の牡蠣、ホタテ、ワカメ、昆布によっての生産高です。そのうちの十八億円相当が森からもたらされる養分によって育てられて要ることがわかり、ダム建設は凍結されました。例えば小田原では昔六十万匹のブリが大量に獲れたと言います。それが今では六百匹です。これも丹澤から相模湾に流れる三本の川が、全てダムで塞き止められていたからです。相模湾ではエサがわいてこない海になってしまったのです。今小田原の方々とブリの水揚げを十万匹を目標に取り組んでいます。 一方気仙沼では広葉樹を三万本植えました。川では水中昆虫も増えて、海にはスズキや穴子メバルも戻ってきました。海と川の繋がりが良くなった指標のウナギも戻ってきました。鮭は川で産卵して海で育ちますが、ウナギは逆なので川が良くないと戻ってきません。」

此処で内容には、僕は敏感に反応してしまうことが多々あります。
稚内で漁師の息子として育った父から良く聞いた話です。
父が子供の頃、ニシンが産卵で浜に近づくと、離れている学校の窓からでも海の色が真っ白に変わるのが解ったそうです。
そうなると漁師の子供は帰って良く、家に帰るとバケツを持って海にはいり、幾らでも数の子を抱くニシンを捕獲出来たそうです。 稚内時代、礼文、利尻が大好きで(今でも出来るならば北の外れの離島で写真撮り、カヤックで海獣と戯れ、本でも書きながら、大好きな人と小さな家を建てて暮らせたらと憧れるのはヤッパリ其処です。)良く行ったのですが、バケツを抱えて腰まで入ると足で探って一時間未満でバケツいっぱいのウニがとれて、腹を壊す程の、ご飯1に対してウニ2.5のウニ丼を食べました。
それでも今の海では考えられない程の豊かさでした。
けれども父の頃はもっともっとすごかったのでしょう。
僕は根本的にきっと第一次産業向けで、もし父が漁師でいたら良かったのにとずーっと思っていました。
身体を使うこと、汗かくこと(出来れば労働で)、自然相手に生きること、だから又自然である体に既決するのです。
其が山であり、川であり、伏流水であり、ダムや針葉樹の放置であり、根本的には人が自然からあまりに離れてしまったこと、そして其は伏流水にしか、改革出来ないと知ったこと。 十八億円相当が森からもたらされる養分、と言う事は我々も九割は、人体に取り入れる完全伏流水で、体も心も全部どうにかなるのではないかと本気で信じているのです。
補足はありますが、ワザワザ身体操作法など教えなくても、飲んでさえいれば、子供が遊びを創るように、自分がやりたいことへの成すための工夫は、無意識から伏流水のように湧き出てくるのだと、今では信じてしまっています。
だから皆さんが飲める環境になったら、レッスンは希望者のみで無料だろうと既決してしまいました。

次に伊豆の状況とダムの事が出てきます。
伊豆は本当に酷いのです。
植林の細い針葉樹が。 その山を切り開いて三菱が開発した巨大別荘地の一画で、自給的な浮いた生活を実践していました。
自分の土地の下に見放された野鳥の森公園が有りました。
自分の土地の細い檜を倒して、すすきを抜根して土壌改良していくと栗が勝手に育ちだしました。
その後自分の土地だけでは飽きたらず、野鳥の森公園も勝手に整備し始め、二年立ち、突然敷地の外れにあった枯れた水の道に水の動きが出始めたのです。
其は変えていけるのではないかと、この伊豆でもやれるのではないかと少しの期待を持った時でした。
東京の生命体として安心感のない生活に見切りをつけて、売上が減っても生きるが根本と、全ての持っているお金を投げ出して、震災が来ても生き残れるシステムで建てた家なので、此処で建てたのはミスかな〜と何処かしっくり来ていなかったのですが、ちょっとほっとしたこと記憶しています。 其がもっと奥の山を森林ワークなるものを企画して六十人で入ったとたん、その荒れようは僕などには手がつけられない状況でした。
結局山の手入れは、人海戦術が必要ですから、何とか面白く、可笑しく、楽しくしてと、人を集めるほどに本質と離れ、一時期の体感教室で終わりますことに、がっかりの繰り返しでした。
東京の皆さんには、直下型地震が来たらうちに避難してと大見得きって建てた家でしたから。

ダム話はこの山形で今切実に感じることです。
うちの家の山を一つ挟んでダムがある黒伏山。 逆がダムがない御所山です。 黒伏山の伏流水を最初は考えていたのですが、何かしっくりと体調にも腑に落ちませんでした。 今の御所山の水は飲んでから直ぐに体調がかわり、これなら行けると思いました。
遂に今年は黒伏山の水が枯れだしました。
一方御所山では枯れていません。
暑い夏だけのせいではないのだと思いました。
人工のダムがそうさせてしまったのです。

「以前、大雨が降った為にダムを全開にしたら、その先の海でキハダマグロが大量に定置網でとれたという話を聞きました。森の養分が海に流れた結果だと思いました。」

僕は人の身体内部は海だと実感できました。
だからこそ森の養分を身体に流さなくてはならないのだと確信しています。
伏流水を何としてももっと当たり前に取り込めるシステムを我々の庶民で作れば、本当に体調不良も精神疾患も減ることでしょう。
それで医療費も削減できて、そのご利用余剰金で様々なシステムを稼働させれて、その柔軟な思考でミニ氷河期を越えれたら、その途上で新しい自然を守ったほうが長いビジネスにも繋がっていくのだと言う、確信が日本人に戻されたときに、様々な可能性の広い、豊かな社会が早出できると思うのです。是非とも応援してください。
是非とも伏流水を体に取り入れて見てください。

養老孟司さんと林業の方との対談の考察は その5で投稿します。

Android携帯からの投稿