あらえびすブログ

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植芝盛平先生と伏流水

     その2 身体操作法の大家 合気道開祖植芝盛平先生のお言葉から感じる               我々が今繋がって、未来に子供が繋がって貰うために                    やりはじめなくてはならない働き  本当の仕事!  

 三島クラスの吉澤さんからのひとつ目のメールを載せます   
(私の解釈も更に進みましたので以前載せたblogに更に加筆します)


古事記植芝盛平」という本に 「宇宙のいとなみが自己のうちにあるものを感得するのが真の武道なのであります」とあり、この「宇宙のいとなみ」である「高天原」の働きを体現するには自分自身が天の御中主の神となる必要があるとしています。
そして天の御中主は水の神で、「天の水中主(みなかぬし)の神」となるということは自らにおいて「水」の働きを導き出すということでもある。
これは禊と深い関係がある。
「水が終始自分の肉体を囲んで水とともに動くのである」
「自分が天御中主となって、一霊四魂三元八力の御姿御振舞いを完成します。これに同化して宇宙の大神様に向かって御奉公するのであります。」 …とありました。
前回のワークで先生が話してくれた事と繋がった気がして、長くなりましたが抜粋しました。


今日は其を一緒に考えてみたいのです。
[「宇宙の営みが自己の内に有るものを感得する」] 此れは宇宙とは銀河だけではないと感じます。
自然界を霊界を含めた宇宙観を宇宙と、先生は呼んでいると思うのです。
世界とは人間界の事を指して普段から使いますよね。
例えば自分の世界観とかです。
ダンスの世界とかです。
ならば宇宙観とは人間界よりも更に広い、構成者での世界と思うのです。

生き物全てを指していらっしゃる。
勿論鉱物も空気も水も指しているのだと思います。
だから宮沢賢治は世界観を越えた宇宙観を持っていたのではないでしょうか。
ダンスの宇宙観、自分の宇宙観と言える生き方を先生は求められている。

だから「道」は宇宙観です。
ならば現代的に訳すと、

「自然界、霊界を含めた宇宙観、全ての営みが自己の内側に存在することを感じ得れることが武道だ」と仰っているのではないでしょうか。

武道と舞の道も同じこと。

「自然界、霊界を含めた宇宙観、全ての営みが自己の内側に存在することを感じ得れることが舞の道である」と。

そうなると次の部分は [「宇宙の営み」である「高天原」の働きを体現するには自分自身が天の御中主の神となる必要がある。] 此れを訳すと 「宇宙観で見る全ての営みである高次の働きを(高次とは一点を指していない事が、高く広いと言う高天原をお使いになっていることで、私たちに伝えようとされている)自分自身が体現するには、その無限大の中心にいる主、即ちアシンメトリーなものを感じ取れる間脳を司る事ができる心が必要である。」となると思うのです。

だから世界観の目では比べることが難しい、アシンメトリーな情報を語るには、落語番組の「ショウテン」を思い出して下さい。
例えば、あの自然界の虫一匹一匹をキチガイと言われながら観察された、木村農園の木村さんのリンゴを五個頂き、お返しにマグロ一匹をお返しした。
どう考えてもつりあわない。
そこで、「その心は」! 宇宙観からあふれでた、この四つの心で統合して答える。


[そして天の御中主は水の神で、「天の水中主の神」となる と言う事は自らにおいて水の働きを導きだすと言う事でもある。] 此れは解りますよね。
[先ず水の神は「竜神」です。即ち螺旋であり、形をコロコロ変えながら目的を達成する。言い換えれば形さえも持たないもの。
だから私も身体図式は、筋肉や骨などの固有名詞では抜け落ちやすいものを補足する中間点の表現としています。
その先に場や間や水で身体を操らせる所に到達して、ここで一霊四魂三元八力に行き着かせて頂きました。
早速三島クラス、名古屋クラスで実践して頂きました。

だから間脳を司っているのは竜の動きを創ることが出来るアシンメトリーな思考であり(シンメトリーや直線的な二項対立ではないと仰られている)自分の中に(とういうことは川ではなく地中を流れる伏流水)伏流水の働きを導きだす事でもある。]

高次の働きと伏流水の働きと示されていると言う事は、いわゆる動きと言う単純型ではなく働き、即ち役割を指していると思うのです。
宇宙観での役割を。 宇宙観での四つの心をもつ主による高次の働きは、自然界の伏流水の働きのように宇宙観の全体に広げて届けなさいと、仰られていると感じます。
宇宙観での働きと、世界観で働きを一致したときに本当の個人観になる とおっしゃられていませんか。 観念がなくなり、個人も宇宙観そのものになる。


[此れは禊(みそぎ)と深い関係がある]

さて身体性の大切さ言葉の大切さその体験的な把握で、体の動きをコントロールすることをblogでは常に言ってきました。
そして軸は水なんだとも。
軸といっても上下のみ意識しては四魂ではなくなります。
水に流せないと(人や起きた現象を水に流せないと)居着くと説明して来ました。
けれども解釈を間違うと人を許すことになってしまう。
即ち発想の根本がイデオロギッシュで二項対立の思考になるのです。
そうではなく、許せなかった自分が持ち得ている、自分の世界観が生み出す、二項対立思考の愚かさによる穢れを、祓い、宇宙観の自分と出逢う事だと感じます。

次に先生はこう仰られている。

[水が終始自分の肉体を囲んで水と共に動くのである]

この解釈は [自分自身の体を終始囲む様々な時間軸の異なる水の動きに同調させて、二項対立の思考から、自分の世界観から自由になるように宇宙観で動くのである]

そしていよいよ先生は動くことの真髄を語られております。

[自分が天御中主となって、一霊四魂三元八力のお姿お振る舞いを完成します。これに同化して宇宙の大神さまに向かってご奉公するのであります。]

先ずは一霊四魂これは簡単に言えば心です。
一霊が高次の自分である宇宙観の眼差しで世界を見ている自分。

四魂は勇ましく前に進む心(肚)親しく交わる心(胃の内部)、愛し育てる(胸の中心)、物事を観察して分析して悟る心(間脳)、四つのことです。

三元は剛、柔、流で剛は骨の感覚意識、柔は臓器や筋肉の感覚意識、流は血液リンパ液など流体の感覚意識のことですが、骨や筋肉などを意識しては宇宙観が狭くなり世界観になりますので、剛、柔、流のままで扱います。
言葉ではありません。
其で身体を扱ってみるのです。

八力は動的と静的、引と弛、凝固と融解、分と合と言う対照力のことです。

この四、三、八 全ての感覚を同時に持つ心体で、何時も所作を実践し其の中心を掴み、自然界に霊界をも含めた宇宙観における全体に尽くすことが即ち武道だと、舞だと、人が生きて働く事だと、仰られているのです。

働くと言う言葉を「ニンベン」で人が動くと捉え、宇宙観で見る世界を神と捉えていくと、大きな神にご奉仕するような生き方を実践して、動くことが「道」だと。生きると言う事だと仰られていると感じます。
今の僕らは「カネヘン」に動くですよね。
お金は大切ですが、今後は二者での貸借は消えると思います。
出資した者に四つも五つもの道と関わりながら、間接的に返ってくる仕組みです。
内田樹さんも似たような事をお考えになられていると思います。
だから私もお水のサポーターさんには二千名から三千五百円一律。
一万人では無料を目指しています。

例えばAさんがBさんにパン屋開業で二千万投資します。
Cさんは中国でなん店舗チャイニーズレストランを開く方。
今回チャイニーズの具で、美味しい調理パンを展開したいと考えていて、Bさんと知り合い、そのパンに感動。
そこでBさんの店舗とは別口でcさんはパンの供給を依頼。
値段は半額。代わりにその売り上げから一千万はうちが返済しますよ。
此れが更に複雑で、何名も関わる図式です。

さて何時も身体の全ての感覚で掴むものが、身体操作には不可欠であり、其れは自然界から学ぶこと以外に方法がないのであり、其処には水の感覚を身体内外で掴むしかないと言ってきたことの意味合いが、多少なりともご理解頂けたでしょうか。
身体に取り込む水は本当に大切なのです。
八力は水の感覚でしか全てを網羅出来ません。
そしてその水は取り入れている水で決まります。 そして飲む時に宇宙観になっていなくてはなりません。
下心では、世界観です。
そして其れは自国の完全伏流水にしか出来ないのです。
此れは身体感覚に刻まれています。

養老孟司さんが仰られるように、DNAが喜ぶ仕事をレクリエーションと感じ、自然界の仕事の手伝いをお休みに家族で来るような余暇の時代は、そこまで来ています。
器がないだけです。
そのようにして体に取り入れた農作物は宇宙観の力をかりて、食べると言う意味合いを根本から変革させることでしょう。
三元も四魂も水の感覚のみに可能なもの。
だからこそ私は身体操作法伝授から、完全伏流水を飲める事が可能な、社会構造確立が急務だとたどり着いたのです。
幾ら動いても体の内部の水の質感が固ければ、流れるような動きには決して到達出来ないと感じるのです。
其れが証明されたら、当たり前に自然大事にします。
しかし残念ながら今の日本で、本当に豊かに涌き出る伏流水を見つけることが非常に難しい事、其れを現地で汲める人以外に飲むことは残念ながら、今は出来ないのです。
買うことは更に難しいのです。
ヨーロッパでは完全無濾過の伏流水は、薬屋さんで売っています。
日本では法規制で売れません。
ましてや綺麗な伏流水ほど、機械を通すことを嫌います。
だからこそ原始的な方法で、汲み上げ届けようとしているのです。


このワーク終了後、全員がお水の会員希望をしてくれました。
名古屋でもお水を希望してくれました。


皆が此処まで体の動きや心の動きが変わったとデータを出すと、日本で始めての無濾過伏流水が市場に出せます。
その売上で福祉や保険額を賄っていければ 更に社会構造を変えれます。
このように間接的に変えていくのが地下水の凄さです。
其れは本当に僕が飲んで、ただそれだけで、あれほどに苦労して探していた身体の動きかたを知るためのベースを、いとも簡単に掴んだからなのです。
其れが今回のワークで皆さんが気付かれたからなのです。
素晴らしく内側にきく、ワークでした。

この伏流水に辿り着くまでに、何種類も試して、はじめて飲むだけで変わる水に出逢う事が出来た御所山の伏流水。
多分山形には此れが八ヶ所以上あると思います。

さて、そこでもうひとつ頂いた、メールです。

「本日はワーク有り難う御座いました。 植芝盛平先生の追加です。 「禊」は単に心身を浄化することを言うのではない。ここに示されたような根源の「水」とつながることでなされる浄化なのである。」

さて根元の水と繋がるは、そのまま伏流水です。命です。
けれども体感なくして、内部がイメージ力を持つのは不可能です。
取り入れるから同化する。
インディアンの狩猟と食の関係と同じですね。


「神楽舞の始めは「天の浮橋に立たして」であり「むすび」の象徴。 「合気道は、どうしても天の浮橋に立たねばなりません。これは一番のもとの親様、大元霊、大神に帰一するために必要なのであります」」

天の浮橋とは宇宙観の中心に浮く橋に立ちなさい。
我そく宇宙観の中心を実践しなさいと。
そこから始めて自然界の力も霊界の力も見方になって、まるであなた自身が神と直結しているように感じ取れるはず。
更にもう神に肉体を捧げてしまっているような状態になっていけると。

吉澤さんいわく 「なるほど… 先生の解説でより深い意味が見えてきました。」

水や身体操作や様々が密接に関わっていること理解できましたか。
その3では農業、林業のそして漁業のような第一次産業の、大きな可能性を提示します。 
そしてどうかこの宇宙観でのお仕事を僕にやらせてください。
                        その3に続く。



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