あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

このように影響力のツールをお持ちの著名人や団体にも誤解を畏れずにご協力依頼をさせて頂いております

 下記の文章は音楽評論家の渋谷陽一様に出したお手紙です。


  渋谷陽一様、突然のお手紙失礼致します。
(株)ロッキング.オンから出版されていました、敬愛する内田樹さんと高橋源一郎さんの、「ドンドン沈む日本をソレデモ愛せますか?」を読んで失礼ながらお手紙を出させて頂きました。

売名行為でも詐欺行為でもなく純粋に、私自身がオルタナテイブな学校+養老院を目標に動いてきた中での様々にご意見を頂ければと言う気持ちで書かせて頂くことにしました。
此処までも怪しまれたり、何で其処までやらなければならないのと妻に出ていかれたりと色々ありましたが、自分の奥底でのその欲求は、日増しに速度をあげながらドンドンと身に付いていっているようで、自分はもう其処を歩くしか脳がないようです。
そんな時に東京での空き時間に必ず行う、書店ぶらでこの本と無事に出逢うことが出来ました。 内容は最初から最後まで頷きっぱなしで、まるで僭越ながら、対談にまぜて頂いているようでした。
失礼ながらあまりにも根本の考えが同じで、blogにも沢山引用してしまっておりますことを先にお詫び申し上げます。

 私は世界が変わるのを見たっかたのです。
映画ペイフォワードに出てくる少年の言葉と同じ気持ちです。
きっと人は気付いて変わって行動していけることを信じているのです。
ただそれだけです。
私のまだ幼い子供の未来のために、出来ることを諦めずに形にしたいのです。
私がどれ程の結果を出せるかはわかりません。
けれども諦めたら敗けだと、ただただ思い突き進んでいます。

私の考えは別紙に記してあります。(blogに何度も載せてきた伏流水代行汲み上げ業務とご利用サポーター募集の記事です)
是非ともお目を通して頂きアドバイスを頂けたなら有り難いです。
僕の拙い文章や誤解されやすい表現を怖がらずに、blogにても活動のサポーターを募集しております。
この本のことも勝手にご紹介させて頂いております。
きっとまだまだ自信が欠落している現れかも知れませんが、その文章から僕の考えを導き出したような構成にもなっていることをお許しください。  

お忙しいでしょうが、私もこの伏流水代行汲み上げから実現に繋がるオルタナテイブな学校+養老院に賭けていますので、
是非ともお目を通して頂き、アドバイスを頂きたくお願い申し上げます。                                 2012.8.12     東出   融


 僕は、自分が優れているとも、勇気があるとも今は一切思っていません。
笑えますがきっと昔は相当に根拠のない自信家だったと思います。

そして何度も壁にぶち当たるなかで、本当の自分の弱さとも出逢うことが出来ました。
昨日のオリンピックの解説者の言葉を信じた上で、僭越ながら言わせて頂くならば、
敗者の経験則があるものだけが勝者になり得る。

此れはニュウヨークでの振り付けの時に与えられた怪我からの立ち直りで、自分sizeでの壁を越える経験則はもう揺らぐ事も無いほどに、自分を信じれております。
けれども何せ政治的と言うか世論を引っ張っていく事には、全くもって自分の不甲斐なさ一色です。
特にこの活動を本気でやると決め始めた六年前は、もっと社会は個人個人が扉を開ける力を持ち得ていると勝手に思っていました。
けれども八年前の伊豆在住の頃に参加した、浜岡原発の反対運動時に学んだ「立ち居地の違いを越えて」を身につけないと自分を含めて人間は二項対立の思考からしか打開策を導けないと言う愕然とする想いでした。

其処で自分も受けてきた全ての教育方法の根底に流れる問題点を先ずは知ると言うスタートにどうにか立てました。

其れで教えない教授方を模索しながら沢山の実験を重ねました。

バレエをバレエとして教えたときにもう既に教えるしか術がなくなるのです。

今度は全体としての身体から教え気付いて身に付けて、其処から専門分野のテクニックを身に付けていって貰おうと思い行動していくと、「私はこのような事ではなく、躍りを教えてほしいのだ」と身に付けて頂く前に閉ざされてしまいます。

本当に此処まで自分が教えることが苦手なのだと痛感しました。

息子がシュタイナーに行っていることもあり、どうにかオルタナテイブな例題は自分の側に存在しているのですが、シュタイナーでさえあれだけの時間とあれだけのナチスからの妨害の末に学び構築したものだからこそオルタナテイブなものに行き着けたのでしょう。

其に比べまだまだ其処までは試練を与えられているわけではありませんが、弱い自分は何度も何度も挫折感に苛まれました。

オルタナテイブなものを導ける自分やオルタナテイブなロールモデルは本当に思考から分野を一度抹殺しない限りは導き出せないものを指すのだと言うことも最近やっとわかりました。

だから自然界を生かした所から動かす事に身を置きました。

昨夜久々にペイフォワードの映画を見ました。
ヤッパリ又感動させられました。
けれども琴線で捉える部分は同じでも、自分に響く場所が違うのですね。
場数を踏んできたお陰ですね。

あの映画の中の、純粋に人を信じれる事が如何に勇気が必要であるかを再確認して
どうにか今日も一人でも多くの参加者と出逢える事を求めてこのようにblogにもコメント出来る自分がおります。
本当に僕は弱いです。
けれども今は強さを求めていません。
自分を見つめるほどに出逢えるのは弱い力のない自分です。
だからさらけ出せて、怖がることなく、素直に、この伏流水代行汲み上げから始まる、オルタナテイブな学校+養老院構築ロールモデルに「貴方の一票を投じて下さい」と協力者を求めていることを発信できるのだと思っています。



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